2015年10月8日木曜日

(昭和)造船疑惑「佐藤栄作への指揮権発動問題」

<web上「読書会」 正村【7】>を投稿します。我々には、なじみのない「政党名」がたくさん出てきて、紛らわしいのですが、この時期は、それだけ政治が安定していなか
ったということになります。


今回は、造船疑獄、保守合同が志向された理由についての、紹介です。
また、いよいよ、岸信介が表舞台に登場してきます。このことも大きな特徴のひとつではないでしょうか。

色々な駆け引きが、頻繁に行われたことがうかがえます。


◆ 造船疑惑、佐藤・岸の登場




































1953年11月、鳩山自由党の主流は鳩山自身を含めて自由党に復帰した。三木武吉、河野一郎らの8人が日本自由党を結成した。

1954年11月、造船疑惑が起こった。計画造船や造船利子補給法(1953年1月5日公布)に関連する造船・開運業界から政治家や官僚への贈賄が追及されたのである。

1月7日、東京地方検察庁が捜査を開始し、造船工業会長丹羽周麻夫(三菱造船社長)、同副会長土光敏夫(石川島重工業社長)ら71人が逮捕された。

自由党幹事長佐藤栄作は造船工業会と船主協会からの収賄2500万円の容疑、同政務調査会長池田隼人は飯野海運社長俣野健輔からの収賄200万円の容疑で、それぞれ調べられた。

池田の場合は、1953年10月に吉田首相の私設秘書として訪米して防衛問題で国務次官補ロバートソンらと会談したさいの「選別」と判定された。4月19日、検察首脳は収賄罪容疑で佐藤栄作の逮捕請求を決定した。

吉田、副総裁緒方竹虎、法相犬養県らが協議し、法相の「指揮権」を発動、国会終了まで逮捕延期を検察庁に指示した。検察庁は逮捕の時期を失し、のちの佐藤を政治資金規正法違反容疑だけで起訴した。

この事件は、結局、飯野気運副社長、運輸省官房長などの業界側・官庁側の合計17人の有罪が確定した。捜査の進行中、石川島重工業の重役と運輸省課長補佐が自殺した。

3月28日、緒方は吉田内閣の窮状打開のために保守合同を提案したが、改進党は拒否した。4月24日、左右社会党提出の内閣不信任案には改進党議員の大半が賛成票を投じたが、成立しなかった。

4月28日、自由党反主流派、改進党、日本自由党の国会議員約200人が新党結成促進協議会を結成した。それは、7月3日、新党結成準備会に発展した(事務局長岸信介、組織委員長石橋湛山、政策委員長芦田均)。

自由党幹事長池田隼人らは自由党をこれに合流させようとしたが、準備会に拒否された。11月24日日本民主党が結成された。(総裁鳩山一郎、副総裁重光葵、幹事長岸信介)。

12月6日、民主党幹事長岸信介、左社書記長和田博雄、右社書記長浅沼稲次郎が共同で吉田内閣不信任案を提出、吉田は解散・総選挙を考えたが緒方などの側近が反対し、総辞職した。第一次吉田内閣以来、吉田の首相辞任期間は通算7年間に及んだ。


・・・・・中略(この間では、吉田の退陣の必要性などが、説かれています。)・・・・


保守合同が促進された第一の理由は、新しい保守主流の統一的な政策路線が形成されてきたことである。平和条約が成立し、敗戦後10年近くが経過して、ようやく保守の基本路線らしいものが見えてきたのである。

とくに改進党の主流と自由党の鳩山派は日本の進路について共通の見解をもち、それが当面、吉田のあとの保守路線の主流になった。日本民主党の綱領にはその考え方が以下のように集約されている。

(1)民主主義化の政界浄化、議会政治の一新。(2)国民の自由な意見による占領以来の諸制度の改定と「独立自衛」の完成。(3)自主国民外交による国際緊張緩和、アジアの復興、世界平和の実現。(4)総合計画による自律経済の確立、社会正義に基づく民主の安定と福祉国家の建設。(5)人類愛の理念に基づく階級闘争の排除、民族団結の強化、動議の効用。

日本民主党の政策大綱は、「国力に応じ均衡を得た少数精鋭の自衛軍」を確立し、アメリカ軍の撤退を可能にし、日米安保条約を双務的内容に改めるという方針を掲げている。

対米従属を払拭して独立国家の要件を確立しようというナショナリズムである。これは新憲法体制とサンフランシスコ体制の修正と呼ぶべき路線だが、方法は、比較的穏健なものである。

憲法は、慎重に内容を検討し、平和主義・民主主義の原則を堅持しつつ改定をはかることにしている。外交面では、「自主国民外交」のスローガンのもとに、中国・ソ連を含むアジア諸国との国交を正常化するという方針を掲げている。≫


◆ 占領以来の諸制度の改定と「独立自衛」の完成は、「遠い夢」

日本民主党の綱領「国力に応じ均衡を得た少数精鋭の自衛軍」を確立し、アメリカ軍の撤退を可能にし、日米安保条約を双務的内容に改める」は、その内のひとつを実現できた、ところです。

今安倍首相が狙っているのは、「「国力に応じ均衡を得た少数精鋭の自衛軍」を確立と、「日米安保条約を双務的内容に改める」ということにあるわけですが、今回の「安保法制」がそれを実現するものになるでしょうか。

安倍首相は、日米安保条約をより強固なものにすることには、「成功」したようにみえますが、はたして、「双務的なものにした」といえるのでしょうか。

日米安保条約に付属する「日米地位協定」は、依然として祖もままになっています。

米軍が、日本の空を「わが物顔」に自由に飛ぶことが出来るのは、この日米地位協定があるからです。この協定が改定され、日米が平等な立場で交渉する子tが出来るようにならない限り、日米安保条約を双務的なものにした、ということにはなりません。

米軍は、「望めば」、日本国内のどの場所においても、自由に「主権」を主張することが出来ます。それは、この協定があるからです。

安倍首相は、「安保法制」を整備することで、日米がより強固になったと自慢していますが、肝心なことには、一切手を付けていません。

それは、沖縄の普天間も同じです。

この時代に早くも、「国民の自由な意見による占領以来の諸制度の改定と『独立自衛』の完成」を志向しているのに、そのことに関しては、今もって、解決に至っていないのです。

国民政党を標榜する「自民党」であるのに、これほどの「怠慢」がほかにあるでしょうか。

それにして驚くのは、「検察の正義」です。この時点において、このようなことが出来たことは、驚異に値するものであると思います。

結果的には「指揮権発動」によって、佐藤栄作は「難を逃れました」が、検察の存在を大きくアピールしたものになりました。

一方で、このときの「経験」が、日本の国民に「検察への幻想」を抱かせる結果になったということも、忘れてはならないことであると思います。


 明日は、保守合同のもう一つの理由について、見ていきます。

(2015年10月8日)

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