2015年10月7日水曜日

仙台市教委、学校名を公表 全校生への説明も 

<中1生「イジメ自殺」 【5】>
市教委が、これまでの姿勢を一転させ、学校名を公表した。
仙台の中学生1年生の「イジメ自殺」事件のことである。
市教委は、仙台市立舘中学校と公表した。
学校長も、会見に同席、全校生に対し説明をする予定であることを、明らかにしたようだ。


仙台の中学生の「イジメ自殺」事件については、続きの記事を投稿する約束であったのが、そのままになっていた。そうしたところに、昨日、次のような記事が、飛び込んできた。


◆ 市教委が会見。学校も「全校生に説明」へ

市教委が会見をした。学校長も同席をした。(「河北新報」)

仙台市立中1年の男子生徒=当時(12)=が昨年9月下旬、いじめを苦に自殺した問題で、市教委は5日、市役所で記者会見し、男子生徒が通っていたのは泉区の館中と発表した。6日に全校生徒、7日に保護者に説明する。
市教委は公表した理由について「遺族から了解が得られたため」と説明した。非公表とし在校生や地域に混乱が生じたことについて、大越裕光教育長は「想定しきれなかったことは反省している。判断が非常に難しく、遺族への説得が足りなかったと言われればその通りだ」と述べた。
会見には館中の菅原光博校長も出席。初めて取材に応じ、「何とか防げなかったのか校長として責任を痛感する」と謝罪した。同校は6日以降、在校生への心のケアとして複数のカウンセラーを配置する。≫

◆ 「想定外」と言えば、済むのか

市教委の会見が行われ、学校名などが明らかにされたが、どうも「しっくり」こない。「遺族の了解が取られたため」と市教委は説明しているが、遺族の父親の話とは、「ちぐはぐ」な感じがするのだ。

会見で大越裕光教育長は、(非公表とし、在校生や地域に混乱が生じたことについて)「想定しきれなかったことは反省している。判断が非常に難しく、遺族への説得が足りなかったと言われればその通りだ」と述べた、という。

「想定外」と言えば、何でも許されるのだろうか。そのように考えていること自体が、問題である。そうだから、いつまでたっても、「イジメ」でこうした事件が起きる。

それを、防ぐ手だてが、遅れる。
結果、こういう事件が起きる。

今日はネット時代で、ネットには情報が氾濫している。むしろ、「隠す方が混乱する」ことは、解りきったことである。それは、オリンピックの件でも、ハッキリと示されている。

遺族に配慮する形での「公表」を、もっと真剣に検討すべきであった、と思う。市教委は、「遺族の申し出を”これ幸い”」と、「ほっかむり」するつもりではなかったのか。

そう思えてならない。


◆ 不可解な父親の動向

記事は、父親の話も載せている。

男子生徒の父親は、河北新報社の電話取材に答え、次のように述べたという。「これまでインターネットなどで詮索され苦しく、公表に至りほっとしている。全校アンケートでは決してうそをつかず本当のことを書いてほしい」。

どうも、しっくりとこない話しである。

「公表に至りほっとしてる」というのは、どういうことなのであろうか。父親は、もっと早くに市教委に、公表することへの「了解の意思」を伝えていた、ということではないのか。

今回の事件は、「遺族の了解」ということがネックになったようだが、どこまでこの話が「本当であるのか」疑わしくなってきた、という気がする。「遺族の了解」という中には、「市教委の願い」も込められていたのではないか。

このまま、何とか「穏便に済ませたい」という気持ちがあった。出来れば、生徒にも知らせたくなかった。そういうことではないのか。

だが、それでは、根本的な解決にならないことは、誰が見ても明らかなことだ。
もっと、早く公表しておれば、ここまでのことに至らずに済んだことであろう。


◆ 「火をつけた」献花台

今回の市教委の判断は、「”献花台”事件」に影響された面が大きいと思う。あれで、もう、隠し通すことが出来なくなってきた。

あの公園に設けられた献花台には、被害者の父親も訪れたと報道された。してみれば、父親も「同級生や、地域の人びと」からの「見舞い」を期待する所があったのではないか。

あの献花台は、早々に取り払われたと聞く。おそらくは、市役所の関係者により行われたのであろうが、そのことが却って、それまでの市教委の対応への批判を増幅させる結果になった。そう思える。


それにしても、市教委の「あやふやな対応」は、遺族を二重、三重に苦しめる結果になった、と思う。


(タイトルを変更の上、加筆して、再投稿しました。2015/10/8)

(2015年10月7日)