2015年12月31日木曜日
2015年12月30日水曜日
2015年12月29日火曜日
岸の唱えた「自主的国民外交」とその「限界」
<正村 戦後史(77)
今回は、岸の唱えた「自主的国民外交」の中身がどんなものであったが検討されます。それは、言葉と裏腹に、非「自主的」、非「国民」な外交でした。
今回は、岸の唱えた「自主的国民外交」の中身がどんなものであったが検討されます。それは、言葉と裏腹に、非「自主的」、非「国民」な外交でした。
2015年12月28日月曜日
県民の沖縄祖国復帰運動は、「軍事基地反対」運動へと転換した
<正村 戦後史(76)
沖縄返還と、沖縄住民の祖国復帰運動について、読んでいきます。祖国復帰運動は、「軍事基地反対」運動へと転換を遂げます。
沖縄返還と、沖縄住民の祖国復帰運動について、読んでいきます。祖国復帰運動は、「軍事基地反対」運動へと転換を遂げます。
2015年12月26日土曜日
「マンハッタン計画」関連施設を、国立歴史公園に指定(上) 米国人は凄いことを成した
「傷口に塩を塗る」とは、このことである。いくら弁解しようと、到底、我々日本人としては、認めることは出来ない。安倍首相は、どう感じるのだろうか。米国が、原爆を開発した「マンハッタン計画」の核関連施設を、国立歴史公園に指定した。
2015年12月25日金曜日
2015年12月24日木曜日
2015年12月23日水曜日
岸が警官を国会にいれて、日米新安保条約を強行採決
<正村 戦後史(72)>
岸内閣が、日米新安保条約を強行採決します。警官を国会に入れてのことでした。そのことは、自民党議員でさえ、ほとんどが知らされていませんでした。
岸内閣が、日米新安保条約を強行採決します。警官を国会に入れてのことでした。そのことは、自民党議員でさえ、ほとんどが知らされていませんでした。
2015年12月22日火曜日
岸首相「新安保条約は、個別自衛権の発動、と答弁」
<正村 戦後史(71)>
国会審議で、岸首相は「新安保条約における在日アメリカ軍にたいする日本側の防衛協力義務は、集団的自衛権ではなく、個別自衛権の発動だ」と答弁します。
国会審議で、岸首相は「新安保条約における在日アメリカ軍にたいする日本側の防衛協力義務は、集団的自衛権ではなく、個別自衛権の発動だ」と答弁します。
2015年12月21日月曜日
2015年12月20日日曜日
2015年12月19日土曜日
1960年1月19日「岸が、日米新安保条約に調印」
<正村 戦後史(69)>
1958年10月に岸、藤山、マッカ―サー会談以来、正式会談だけで25回に及ぶ交渉の結果、新安保条約の締結に合意。調印が行われました。
1958年10月に岸、藤山、マッカ―サー会談以来、正式会談だけで25回に及ぶ交渉の結果、新安保条約の締結に合意。調印が行われました。
2015年12月16日水曜日
2015年12月15日火曜日
日米安保条約改定阻止国民会議と、安保改定阻止
<正村 戦後史(66)>
今日は、安保改定反対闘争を見ていきます。ただ、この時点においては、条約が締結される前の段階であり、それほど、「激しい」反対運動にまで発展はしていません。
今日は、安保改定反対闘争を見ていきます。ただ、この時点においては、条約が締結される前の段階であり、それほど、「激しい」反対運動にまで発展はしていません。
2015年12月14日月曜日
2015年12月13日日曜日
岸の警職法改正「全国統一行動が、改悪を阻止した」
<正村 戦後史(64)>
岸の警職法国会上程。警職法改悪反対運動と、改定の断念などについて観ていきます。全国統一行動が、改悪を阻止することになりました。
岸の警職法国会上程。警職法改悪反対運動と、改定の断念などについて観ていきます。全国統一行動が、改悪を阻止することになりました。
2015年12月12日土曜日
2015年12月9日水曜日
2015年12月8日火曜日
児島襄著『講和条約』=「戦後日米関係の起点」となった条約
読書ノート。児島襄著「講和条約」。それを徹底して、追求した本書は、現在においても、第1級の資料である。
副題は、「戦後日米関係の起点」。まさに、ここが、「新生」日本の起点であった。それを、児島氏は、時折、自身の感想を挟みながら、「坦々と」記述していく。
2015年12月7日月曜日
2015年12月6日日曜日
2015年12月5日土曜日
2015年12月4日金曜日
2015年12月3日木曜日
社会党が分裂「サンフランシスコ両条約の衆議院で採決を前に」
<正村 戦後史(60)>
この回では、「社会党の分裂」を見ていきます。講和問題が表面化するとともに、社会党内部の路線の対立が、激しくなってきます。
この回では、「社会党の分裂」を見ていきます。講和問題が表面化するとともに、社会党内部の路線の対立が、激しくなってきます。
2015年12月2日水曜日
アルヘル・べラスコ氏「我々の夢と力 それらはどこに消えたのか」
これは、今日の日本の状況に対する強烈な「メッセージ」である。そう、思う。
戦前に「東」機関という情報収集組織があった。それに関係した重要人物が、スペインの「アンヘル・アルカッサル・デ・べラスコ」氏、である。高橋五郎氏の『天皇のスパイ』に詳しい。
戦前に「東」機関という情報収集組織があった。それに関係した重要人物が、スペインの「アンヘル・アルカッサル・デ・べラスコ」氏、である。高橋五郎氏の『天皇のスパイ』に詳しい。
曲学阿世の輩=吉田首相が南原総長を呼び捨て
<正村 戦後史(59)>
今日は、吉田首相の「曲学阿世の輩」発言と、南原総長の反論。アメリカ軍の日本駐留という路線が決定的になった経過について、読んでいきます。
今日は、吉田首相の「曲学阿世の輩」発言と、南原総長の反論。アメリカ軍の日本駐留という路線が決定的になった経過について、読んでいきます。
2015年12月1日火曜日
”正当”な主張「知識人による”全面講和”の主張」
<正村 戦後史(58)>
今回は、「全面講和論」です。米国や、日本政府の方針に反して、日本の知識人や、報道機関などから、「全面講和」を押す動きが起きてきました。
今回は、「全面講和論」です。米国や、日本政府の方針に反して、日本の知識人や、報道機関などから、「全面講和」を押す動きが起きてきました。
2015年11月30日月曜日
2015年11月29日日曜日
ダレスの「恫喝」=「片面講和と、米軍の駐留継続」
<正村 戦後史(56)>
ダレスによる「恫喝」で始まりました。しかし、日本の政府内部においても、この頃すでに、ソ連を除く片面講和の考えと、米軍の駐留継続という方向が決まりつつありました。
ダレスによる「恫喝」で始まりました。しかし、日本の政府内部においても、この頃すでに、ソ連を除く片面講和の考えと、米軍の駐留継続という方向が決まりつつありました。
2015年11月28日土曜日
トルーマン大統領「J・F・ダレスを国務省顧問に任命」
<正村 戦後史(55)>
トルーマン大統領は、1950年4月6日、ジョン・フォスター・ダレスを国務省顧問に任命します。ここから、講和問題が、本格的に動き出します。
トルーマン大統領は、1950年4月6日、ジョン・フォスター・ダレスを国務省顧問に任命します。ここから、講和問題が、本格的に動き出します。
2015年11月27日金曜日
米国の大転換「日本を、共産主義の防波堤にする」
<正村 戦後史(54)>
連合軍の(米国の)対日政策は、1948年に、180度転換されることになります。それは、日本を、共産主義の「防波堤」にするというものでした。
連合軍の(米国の)対日政策は、1948年に、180度転換されることになります。それは、日本を、共産主義の「防波堤」にするというものでした。
2015年11月26日木曜日
東西「冷戦」が、米国の日本占領を長引かせた
<正村 戦後史(53)>
今回から、「講和条約」に関する章を読んでいきます。今日は、米国の「日本占領が長期化」した、いきさつを観ていきます。それは、主には、「冷戦」が原因でした。
今回から、「講和条約」に関する章を読んでいきます。今日は、米国の「日本占領が長期化」した、いきさつを観ていきます。それは、主には、「冷戦」が原因でした。
世界が解る「イスラム教が分かれば、ユダヤ教もキリスト教もOK」
<小室 『イスラム原論』(1)>
世界が解る。イスラム教が分かれば、ユダヤ教もキリスト教も分かる。小室直樹氏の「発見した」ことである。混迷の日本にあって、イスラム教の理解こそが、重要である、
世界が解る。イスラム教が分かれば、ユダヤ教もキリスト教も分かる。小室直樹氏の「発見した」ことである。混迷の日本にあって、イスラム教の理解こそが、重要である、
2015年11月25日水曜日
あらかじめ、”想定”か『警察予備隊+海上警備隊』⇒保安隊⇒自衛隊」
<正村 戦後史(52)>
今日は、「警察予備隊+海上警備隊」⇒保安隊⇒自衛隊、と「変態」した過程を観ていきます。この動きは、もともとは、先に矢印とは逆のことが、あらかじめ「想定」されてい
今日は、「警察予備隊+海上警備隊」⇒保安隊⇒自衛隊、と「変態」した過程を観ていきます。この動きは、もともとは、先に矢印とは逆のことが、あらかじめ「想定」されてい
「日本人にとって、イスラム教ほど、分かりやすい宗教はない」
「日本人にとって、イスラム教ほど、分かりやすい宗教はない」
小室直樹『日本人のためのイスラム言論』を読んでいきたい。もっとも、この本の出版は比較的新しいので、簡単に手に入る。だが、全ページ数は400ページを超えるという大部のものである。
そんなものをすべて読むのは、「嫌だ」「面倒だ」と言う向きもあろう。そうした人々のみを多使用にしているという訳ではもちろんないが、この本のエッセンスだけを取り出して、全体のスケッチをしてみようと思う。
こういうことをするのは、小室博士の意には沿わないことであるかもしれないが、それは、私が「鬼籍に入った」とき、博士におわびをする、ということで許していただけるであろう。
小室直樹『日本人のためのイスラム言論』を読んでいきたい。もっとも、この本の出版は比較的新しいので、簡単に手に入る。だが、全ページ数は400ページを超えるという大部のものである。
そんなものをすべて読むのは、「嫌だ」「面倒だ」と言う向きもあろう。そうした人々のみを多使用にしているという訳ではもちろんないが、この本のエッセンスだけを取り出して、全体のスケッチをしてみようと思う。
こういうことをするのは、小室博士の意には沿わないことであるかもしれないが、それは、私が「鬼籍に入った」とき、博士におわびをする、ということで許していただけるであろう。
2015年11月24日火曜日
日本側の論理「独立後の日本の軍隊の保有は当然?」
<正村 戦後史(51)>
日本の再軍備は、GHQの「命令」指示ばかりではなく、日本側にもそれを求める動きがありました。独立後の日本が軍隊を持つことは、当然である、と言う考えが、指導や学
日本の再軍備は、GHQの「命令」指示ばかりではなく、日本側にもそれを求める動きがありました。独立後の日本が軍隊を持つことは、当然である、と言う考えが、指導や学
2015年11月22日日曜日
マッカーサー元帥の命令「警察予備隊の創設の『舞台裏』」
<正村 戦後史(50)>
今回は、日本再武装への動きの「背景」に迫る文章を読んでいきます。警察予備隊の創設は、マッカーサー元帥の命令でしたが、複雑な「いきさつ」が存在しました。その「舞台
今回は、日本再武装への動きの「背景」に迫る文章を読んでいきます。警察予備隊の創設は、マッカーサー元帥の命令でしたが、複雑な「いきさつ」が存在しました。その「舞台
朝鮮戦争の「余波」 マッカーサーによる「警察予備隊」創設の命令
<正村 戦後史(49)>
国家警察予備隊の創設。いわゆる警察予備隊のことです。マッカーサーの命令によるものです。日本の国会審議を経て造られたものではありません。
国家警察予備隊の創設。いわゆる警察予備隊のことです。マッカーサーの命令によるものです。日本の国会審議を経て造られたものではありません。
2015年11月20日金曜日
トルーマン大統領、マッカーサー元帥を解任
<正村 戦後史(48)>
マッカーサーは、繰り返し中国本土爆撃を含む強硬策をワシントンに要求。トルーマンは、ついに、マッカーサーを解任します。同時にマッカーサーは、日本
マッカーサーは、繰り返し中国本土爆撃を含む強硬策をワシントンに要求。トルーマンは、ついに、マッカーサーを解任します。同時にマッカーサーは、日本
中国軍参戦で、米軍が敗退「北側がソウルを再占領」
<正村 戦後史(47)>
今回は、中国の参戦を読んでいきます。国連軍が38度線を超えたので、中国軍が介入してくることになりました。その中国軍の反撃で、再びソウルが占領されます。
今回は、中国の参戦を読んでいきます。国連軍が38度線を超えたので、中国軍が介入してくることになりました。その中国軍の反撃で、再びソウルが占領されます。
2015年11月19日木曜日
2015年11月17日火曜日
米国の常套手段?「朝鮮半島での内戦に参加」
<正村 戦後史(46)>
今日は、米軍の参加の章です。相手に先に撃たせる。それを理由にして、攻撃する。これが米国の常套手段である。在韓大使の連絡をうけたトルーマンは、戦争の決意をします。
今日は、米軍の参加の章です。相手に先に撃たせる。それを理由にして、攻撃する。これが米国の常套手段である。在韓大使の連絡をうけたトルーマンは、戦争の決意をします。
2015年11月16日月曜日
北朝鮮軍の侵攻と、米国の韓国への軍事的援助の禁止
<正村 戦後史(45)>
アメリカは、南朝鮮の軍事的空白は北からの侵攻を誘うと考え、米軍撤退後も500人ほどの軍事顧問団を残しました。ところが、韓国への軍事的援助を「なおざり」にしまし
アメリカは、南朝鮮の軍事的空白は北からの侵攻を誘うと考え、米軍撤退後も500人ほどの軍事顧問団を残しました。ところが、韓国への軍事的援助を「なおざり」にしまし
2015年11月15日日曜日
デモクラシーの論理と儒教論理「ロッキード裁判における田中角栄」
<小室直樹 「田中角栄の呪い」 (2)>
今日は、ある投書が題材です。この投書をもとにして、デモクラシーの論理と儒教論理の違いについても観点から、「ロッキード裁判における田中角栄」を、観ていきます。
今日は、ある投書が題材です。この投書をもとにして、デモクラシーの論理と儒教論理の違いについても観点から、「ロッキード裁判における田中角栄」を、観ていきます。
2015年11月14日土曜日
朝鮮戦争の開始「北朝鮮が韓国に奇襲攻撃をかける」
<正村 戦後史(44)>
1950年6月25日午前4時、北朝鮮は韓国に対する全面的攻撃を開始します。「朝鮮戦争」の始まりです。しかもそれは奇襲攻撃でした。
1950年6月25日午前4時、北朝鮮は韓国に対する全面的攻撃を開始します。「朝鮮戦争」の始まりです。しかもそれは奇襲攻撃でした。
”田中事変”とカリスマ「角栄を殺せば、戦後デモクラシーも死ぬ」
〈『田中角栄の呪い』 (1)>
今なお、その「人気」は衰えていません。まずは、「田中事変」(「ロッキード事件」)に関する本を読んでいきます。第1回は、「角栄を殺せば、戦後デモクラシーも死ぬ」を
今なお、その「人気」は衰えていません。まずは、「田中事変」(「ロッキード事件」)に関する本を読んでいきます。第1回は、「角栄を殺せば、戦後デモクラシーも死ぬ」を
他人と自分は違う「立場をかえてものを観る」
<糸川 「前例がなからやってみよう」(2)>
今日は、「他人と自分は違う」ということについて考えてみます。これは、「立場をかえてものを観る」ということにつながります。別の言い方をすると、物事を客観的に観る、
今日は、「他人と自分は違う」ということについて考えてみます。これは、「立場をかえてものを観る」ということにつながります。別の言い方をすると、物事を客観的に観る、
2015年11月13日金曜日
同胞、相争う「朝鮮戦争:世界大戦と比肩しうる大戦争」
<戦後史 (43)>
今日から、「朝鮮戦争」を読んでいきます。同胞がおたがいに「血で血を洗う」戦いを繰り広げました。また、この朝鮮戦争は、世界大戦と比肩しうる大戦争でもありました。
今日から、「朝鮮戦争」を読んでいきます。同胞がおたがいに「血で血を洗う」戦いを繰り広げました。また、この朝鮮戦争は、世界大戦と比肩しうる大戦争でもありました。
日本人には理解が不能?「科学あるいは科学的精神とは何か」
<糸川 「前例がないからやってみよう」 (1)>
はたして、日本人には理解が不能?という「決めつけ」は、正しいのでしょうか。
日本人には、科学あるいは科学的精神とは何か、ということを理解することが出来るのでしょうか。
現代は、科学万能の時代であるように思えます。科学がなくては、始まらない、という雰囲気が満ち満ちています。
ですが、日本人に、そもそも、科学を理解することは、可能なのでしょうか。
昨年以来、日本中を騒がせた「STAP細胞」事件が、「一段落」したようです。
この事件ほど、日本人の科学あるいは科学的精神への理解がためされた「事件」は、ないように思えます。
事件は一段落しましたが、果たして、多くの日本人が大騒ぎをしたほど、日本人の科学への、あるいは、科学的精神の進歩に貢献することになったのでしょうか。
そもそも、「「STAP細胞」事件を、騒ぎ立てた多くの国民は、科学あるいは科学的精神という観点から、この事件を批判していたのでしょうか。
この「シリーズ」では、科学あるいは科学的精神というようなものについての「文章」を読んでいきたい、と考えています。
★ 「システム」とは何か
【「スパイ大作戦」について、これまでいろいろ触れてきたが、では、この番組のプロセシングとしてのシステムというのは、一体、どんな思想が根底になっているのだろうか。
インポシブルという意味は、いうなれば常識とか、いままでの考え方とか、これまでの自分たちの持っている組み合わせではどうにもならないということである。
それをポシブル、つまり可能にするためにはどうしても、これまでとは違った方法をとらざるを得ないということにほかならない。
これは、別の言葉で言うと、反体制の思想が内在していることを意味している。反逆の精神が半分を占めているということである。
・もしも、そこに反逆の精神がなかったならば、どうなるか。きのうまでのものが、あしたも、あさってもそのままだというような発想であったら、新しいものなど何一つとして生まれてくるわけはないのである。
システムという発想は、まことに意外なことに、50%は反逆の精神なのであって、その50%を構成しているものはなにかというと、”他人は自分とは違う”という発想によるものである。
・「スパイ大作戦」はアメリカで作られたテレビ映画で、システムという言葉もアメリカ人がつくりだしたアメリカ語である。英語ではなく、アメリカ語なのである。そのアメリカ人が、システムという言葉をつくりだした背景には、じつは二つの問題がある。
・一つは、アメリカ建国当初の事情だが、周知のように、アメリカという国は、カリフォルニア州などはスペインの植民地であった。東海岸のボストン、ニューヨークはイギリスの植民地であった。かなり前に、やはりテレビ映画に「怪傑ゾロ」というのがあった。チチチと「Z」のマークを切るあのゾロの物語の舞台が、つまり、カリフォルニアで、ここでは法律用語、公用語はみなスペイン語である。
・このようにアメリカは建国のときから、東海岸と西海岸とでは言葉が違っていたわけであり、しかも、時間も3時間くらいの時差がある。だから電話が初めて開通した時など、カリフォルニアの人間がうっかり電話をかけると、相手のほうはとっくに勤務時間を過ぎていたりしたものだったという。
・3時間も時差があることから。他人と自分というものが、時間も違えば話す言葉も違うものだということでアメリカでは、それが建国以来のひとつの発想になっていた。
(これ以後は、章が変わる)
・こうなると、たとえば、ニューヨークの人がはるばる馬で大陸を横断してロスアンゼルスの友達を尋ねたときなど、時間も言葉も違う町なのだから、自分の目的とする家をすぐ尋ねあてるためには、番地のつけ方なども、よほど考えてつけておかなくてはならない。
アメリカの町は、右側が偶数番号だったら、左側はみんな奇数番号ということになっており、いわゆる遇数ナンバーと奇数ナンバーで全部両側に分かれている。・・・だれでも、ちゃんとビルを探し出せるシステムになっている。
・反対にロスアンゼルスの人が、ニューヨークに行っても、同じように分かるようになっていることはもちろんである。ニューヨーク5番街の500と書いてあったら、これは偶数番号であるから、右側で、00であるから角の家だとすぐわかる。
・しかし、東京はどうであろうか。以前は00区××0丁目0×番地であったのが、東京オリンピックの時に、誰が考えたものか知らないが、0の00の××と数字を三つのブロックに分けたのである。いったい、どういうコンセプトでこういう番地のつけ方をしたのか、家の発見の困難さというのはとくかく、すこしもかわってはいない。
・昭和通りのような広いところでは、どっちへ渡ろうとしても、番地が規則正しくなければ骨が折れる話である。東京駅の真ん中に丸ビルという日本中に知られたビルがあるが、では、丸ビルは何番地かと聞いても、誰ひとりわからない。
・六本木にあるわれわれのオフィスのスタービルには、六本木の4の1の13という数字がついているが、何も意味がない。こんな数字を人に教えても、六本木のスタービルを発見するのに、まるで役にたたない。
こういう意味のない数字をつけて何とも思っていない日本人はおかしい。何とも思わない人間もおかしいのである。この程度の番地しかつけられない人しかいないということが、そもそも、おかしいと思うのである。
つまり、これこそ、システムという発想が最初から全くないということにはほかならない。】(糸川英夫 『前例がないからやってみよう』 カッパ・ブックス)
★ 「システム」の理解
米国のような番地のつけ方は、「家の並び」がそのようになっているということを、前提にしていると思います。
つまりは、家を建てる前から、全体としての構想が「システム」化されているので、「そのような」番地のつけ方が、可能になる、のだと思います。
日本のように、「ごちゃごちゃ」とたて込み、入り組んだ「統一性のない」街のつくりでは到底望むべくもない、と感じます。
そのことは、もともと、「システム」という考え方が、日本に存在しなかった。
戦争でほとんどの「都市」が焼かれて、「更地」になったのですから、「新しい街」を作り直す機会は、ありました。
それでも、戦後の「ドサクサ」が、それを許さなかった、のでしょうか。私には、そもそも、そのような「発想」そのものがなかった、と思えます。
住所(番地のつけ方)を例に引いて、説明するという発想そのものが、「科学的精神」の現れであるように、感じます。
糸川博士の文章は、語り口が、「やさしい」ので分かりやすい、ということも特徴だと思います。
それでいて、「ツボ」をはずさないので、呼んでいるうちに自然と理解が深まっていくのが、自分で実感できます。
しばらく間は、糸川英夫博士の本を読んでいくことにしたいと思っています。
(2015年11月3日)
はたして、日本人には理解が不能?という「決めつけ」は、正しいのでしょうか。
日本人には、科学あるいは科学的精神とは何か、ということを理解することが出来るのでしょうか。
現代は、科学万能の時代であるように思えます。科学がなくては、始まらない、という雰囲気が満ち満ちています。
ですが、日本人に、そもそも、科学を理解することは、可能なのでしょうか。
昨年以来、日本中を騒がせた「STAP細胞」事件が、「一段落」したようです。
この事件ほど、日本人の科学あるいは科学的精神への理解がためされた「事件」は、ないように思えます。
事件は一段落しましたが、果たして、多くの日本人が大騒ぎをしたほど、日本人の科学への、あるいは、科学的精神の進歩に貢献することになったのでしょうか。
そもそも、「「STAP細胞」事件を、騒ぎ立てた多くの国民は、科学あるいは科学的精神という観点から、この事件を批判していたのでしょうか。
この「シリーズ」では、科学あるいは科学的精神というようなものについての「文章」を読んでいきたい、と考えています。
★ 「システム」とは何か
【「スパイ大作戦」について、これまでいろいろ触れてきたが、では、この番組のプロセシングとしてのシステムというのは、一体、どんな思想が根底になっているのだろうか。
インポシブルという意味は、いうなれば常識とか、いままでの考え方とか、これまでの自分たちの持っている組み合わせではどうにもならないということである。
それをポシブル、つまり可能にするためにはどうしても、これまでとは違った方法をとらざるを得ないということにほかならない。
これは、別の言葉で言うと、反体制の思想が内在していることを意味している。反逆の精神が半分を占めているということである。
・もしも、そこに反逆の精神がなかったならば、どうなるか。きのうまでのものが、あしたも、あさってもそのままだというような発想であったら、新しいものなど何一つとして生まれてくるわけはないのである。
システムという発想は、まことに意外なことに、50%は反逆の精神なのであって、その50%を構成しているものはなにかというと、”他人は自分とは違う”という発想によるものである。
・「スパイ大作戦」はアメリカで作られたテレビ映画で、システムという言葉もアメリカ人がつくりだしたアメリカ語である。英語ではなく、アメリカ語なのである。そのアメリカ人が、システムという言葉をつくりだした背景には、じつは二つの問題がある。
・一つは、アメリカ建国当初の事情だが、周知のように、アメリカという国は、カリフォルニア州などはスペインの植民地であった。東海岸のボストン、ニューヨークはイギリスの植民地であった。かなり前に、やはりテレビ映画に「怪傑ゾロ」というのがあった。チチチと「Z」のマークを切るあのゾロの物語の舞台が、つまり、カリフォルニアで、ここでは法律用語、公用語はみなスペイン語である。
・このようにアメリカは建国のときから、東海岸と西海岸とでは言葉が違っていたわけであり、しかも、時間も3時間くらいの時差がある。だから電話が初めて開通した時など、カリフォルニアの人間がうっかり電話をかけると、相手のほうはとっくに勤務時間を過ぎていたりしたものだったという。
・3時間も時差があることから。他人と自分というものが、時間も違えば話す言葉も違うものだということでアメリカでは、それが建国以来のひとつの発想になっていた。
(これ以後は、章が変わる)
・こうなると、たとえば、ニューヨークの人がはるばる馬で大陸を横断してロスアンゼルスの友達を尋ねたときなど、時間も言葉も違う町なのだから、自分の目的とする家をすぐ尋ねあてるためには、番地のつけ方なども、よほど考えてつけておかなくてはならない。
アメリカの町は、右側が偶数番号だったら、左側はみんな奇数番号ということになっており、いわゆる遇数ナンバーと奇数ナンバーで全部両側に分かれている。・・・だれでも、ちゃんとビルを探し出せるシステムになっている。
・反対にロスアンゼルスの人が、ニューヨークに行っても、同じように分かるようになっていることはもちろんである。ニューヨーク5番街の500と書いてあったら、これは偶数番号であるから、右側で、00であるから角の家だとすぐわかる。
・しかし、東京はどうであろうか。以前は00区××0丁目0×番地であったのが、東京オリンピックの時に、誰が考えたものか知らないが、0の00の××と数字を三つのブロックに分けたのである。いったい、どういうコンセプトでこういう番地のつけ方をしたのか、家の発見の困難さというのはとくかく、すこしもかわってはいない。
・昭和通りのような広いところでは、どっちへ渡ろうとしても、番地が規則正しくなければ骨が折れる話である。東京駅の真ん中に丸ビルという日本中に知られたビルがあるが、では、丸ビルは何番地かと聞いても、誰ひとりわからない。
・六本木にあるわれわれのオフィスのスタービルには、六本木の4の1の13という数字がついているが、何も意味がない。こんな数字を人に教えても、六本木のスタービルを発見するのに、まるで役にたたない。
こういう意味のない数字をつけて何とも思っていない日本人はおかしい。何とも思わない人間もおかしいのである。この程度の番地しかつけられない人しかいないということが、そもそも、おかしいと思うのである。
つまり、これこそ、システムという発想が最初から全くないということにはほかならない。】(糸川英夫 『前例がないからやってみよう』 カッパ・ブックス)
★ 「システム」の理解
米国のような番地のつけ方は、「家の並び」がそのようになっているということを、前提にしていると思います。
つまりは、家を建てる前から、全体としての構想が「システム」化されているので、「そのような」番地のつけ方が、可能になる、のだと思います。
日本のように、「ごちゃごちゃ」とたて込み、入り組んだ「統一性のない」街のつくりでは到底望むべくもない、と感じます。
そのことは、もともと、「システム」という考え方が、日本に存在しなかった。
戦争でほとんどの「都市」が焼かれて、「更地」になったのですから、「新しい街」を作り直す機会は、ありました。
それでも、戦後の「ドサクサ」が、それを許さなかった、のでしょうか。私には、そもそも、そのような「発想」そのものがなかった、と思えます。
住所(番地のつけ方)を例に引いて、説明するという発想そのものが、「科学的精神」の現れであるように、感じます。
糸川博士の文章は、語り口が、「やさしい」ので分かりやすい、ということも特徴だと思います。
それでいて、「ツボ」をはずさないので、呼んでいるうちに自然と理解が深まっていくのが、自分で実感できます。
しばらく間は、糸川英夫博士の本を読んでいくことにしたいと思っています。
(2015年11月3日)
登録:
投稿 (Atom)