環境省が、除染作業で、空間線量で「毎時0.3~0.6マイクロシーベルト」の提示の方針をだした。この線量で、福島の住民の命と暮らしが守れるのであろうか。
これでは、除染基準のねつ造である。
『環境省は31日、東京電力福島第1原発事故による除染作業を進め、放射線量を下げる際の事実上の目安として、空間線量で「毎時0.3~0.6マイクロシーベルト」を提示する方針を決めた。
福島県の住民の多くが実質的な目標と受け取めている「毎時0.23マイクロシーベルト」にこだわらない姿勢を示し、除染の効率化を促す。
同省は福島県内で1日に開く福島、郡山、相馬、伊達4市との会合で、各市の空間線量が毎時0.3~0.6マイクロシーベルトの場合でも、個人の追加被ばく線量の実測値で見ると政府の長期目標の年1ミリシーベルトを下回るとの分析結果を示す。』(時事ドットコム 07/31)
これでは、除染基準のねつ造である。
『環境省は31日、東京電力福島第1原発事故による除染作業を進め、放射線量を下げる際の事実上の目安として、空間線量で「毎時0.3~0.6マイクロシーベルト」を提示する方針を決めた。
福島県の住民の多くが実質的な目標と受け取めている「毎時0.23マイクロシーベルト」にこだわらない姿勢を示し、除染の効率化を促す。
同省は福島県内で1日に開く福島、郡山、相馬、伊達4市との会合で、各市の空間線量が毎時0.3~0.6マイクロシーベルトの場合でも、個人の追加被ばく線量の実測値で見ると政府の長期目標の年1ミリシーベルトを下回るとの分析結果を示す。』(時事ドットコム 07/31)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2014073101036
2) 国民の命や生活などはどうでもいいのか
安倍政権は、毎時0.3~0.6マイクロシーベルトの場合でも、「政府の長期目標の年1ミリシーベルトを下回る」と、詭弁を弄した。これが、環境省のいうべき言葉か。あきれる。
毎時0.3~0.6マイクロシーベルトなら、年間に直すと、2.6から5.2ミリシーベルトになるではないか。とんでもない事である。もう、国民は、今では、バカではない。しっかりと学習をしてきている。今までのように誤魔化すことは出来ない、と知るべきだ。
だいいち、「毎時0.23マイクロシーベルト」にこだわらない姿勢」とは、どういいう事か。これは環境省自らが、法律を破るという事か。そうなら、これでますます、環境省の反国民的性格が、はっきりとした。
環境省は、国民の命や生活などは、どうでもいいのだ。ただ「除染の効率化」を計り、余計なお金を、_福島の住民のため、日本の国民のために_、出したくないだけなのだ。
安倍首相は「命と暮らし」を守る、と言ったが、それは、方便に過ぎない事が、これで、はっきりとした。
3) 一人一人が違うのに、どう判断するのか。
第一に、「個人の追加被ばく線量の実測値」を、どうやって計量することができるのか。一人一人が違うのに、どう判断するのか。結局は、平均値を、取るという事になるのであろう。
個人の生活が。千差万別であるのに、それを平均値で示すなど、結局は、個人を無視していることになる。ところが驚いたことに、大手、マスコミは、これを真逆に取り扱っている。
例えば、毎日新聞は、「<除染>個人線量を重視 環境省、実態に即し方針転換」と言う見出しの記事を載せた。
「生活習慣の違いによる個人差が大きく」といいながら「約7万人を対象にした調査」を持ち出す。これで、どうして、「個人線量」を重視したことになるのか。
詭弁を弄する、とはこのことだ。
3) 福島の住民の話で済むことではない
また、これは、福島の住民だけの問題ではない。日本の国民全体の問題でもある。しっかりと除染がされないと、何度でも、_落ちたり、また、舞い上がったりで_同じことが繰り返される。少しも、放射性物質が、減らないことになる。
「福島県の住民の多く」が求めている線量に決めるのが、当然のことだ。2) 国民の命や生活などはどうでもいいのか
≪話の前提≫
法律はこうなっている。=「文部科学省の「設計認証等に関する技術上の基準に係る細目を定める告示」で「文部科学大臣が定める線量限度は、実効線量が1年間につき1ミリシーベルトとする」
安倍政権は、毎時0.3~0.6マイクロシーベルトの場合でも、「政府の長期目標の年1ミリシーベルトを下回る」と、詭弁を弄した。これが、環境省のいうべき言葉か。あきれる。
毎時0.3~0.6マイクロシーベルトなら、年間に直すと、2.6から5.2ミリシーベルトになるではないか。とんでもない事である。もう、国民は、今では、バカではない。しっかりと学習をしてきている。今までのように誤魔化すことは出来ない、と知るべきだ。
だいいち、「毎時0.23マイクロシーベルト」にこだわらない姿勢」とは、どういいう事か。これは環境省自らが、法律を破るという事か。そうなら、これでますます、環境省の反国民的性格が、はっきりとした。
環境省は、国民の命や生活などは、どうでもいいのだ。ただ「除染の効率化」を計り、余計なお金を、_福島の住民のため、日本の国民のために_、出したくないだけなのだ。
安倍首相は「命と暮らし」を守る、と言ったが、それは、方便に過ぎない事が、これで、はっきりとした。
3) 一人一人が違うのに、どう判断するのか。
第一に、「個人の追加被ばく線量の実測値」を、どうやって計量することができるのか。一人一人が違うのに、どう判断するのか。結局は、平均値を、取るという事になるのであろう。
個人の生活が。千差万別であるのに、それを平均値で示すなど、結局は、個人を無視していることになる。ところが驚いたことに、大手、マスコミは、これを真逆に取り扱っている。
例えば、毎日新聞は、「<除染>個人線量を重視 環境省、実態に即し方針転換」と言う見出しの記事を載せた。
そこには、政府による報告書について、「・・・その上で、被ばく線量は生活習慣の違いによる個人差が大きく、国が統一目標を示すことは困難」「・・・(1)個人の被ばく線量への着目(2)リスクコミュニケーションの充実--を除染対応の柱と掲げた」
「新たな知見として、伊達市と相馬市が約7万人を対象にした調査から、毎時0.3~0.6マイクロシーベルトの地域でも年1ミリシーベルト以下だったことを紹介」と記事は書く。
「生活習慣の違いによる個人差が大きく」といいながら「約7万人を対象にした調査」を持ち出す。これで、どうして、「個人線量」を重視したことになるのか。
詭弁を弄する、とはこのことだ。
3) 福島の住民の話で済むことではない
また、これは、福島の住民だけの問題ではない。日本の国民全体の問題でもある。しっかりと除染がされないと、何度でも、_落ちたり、また、舞い上がったりで_同じことが繰り返される。少しも、放射性物質が、減らないことになる。
これ以上、福島の県民や国民を欺くようなことがあってはならない、と思う。
政府が言い逃れをして、法令を守らないで、一体だれが、法令を守る、と言うのだ。そんなん事をすれば、日本中に、犯罪が蔓延することになろう。こんな欺瞞は、けっして許されない。
≪関連サイト案内≫
*”年間1mSvは法定の限度線量:遵法感覚はどうした”=WEB RONZA
http://webronza.asahi.com/bloggers/2011053100002.html
*”<除染>個人線量を重視 環境省、実態に即し方針転換」”=毎日新聞
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20140802k0000m040097000c.html(gooより転載したもの)
(2014/7/31)