東京の検審が、「起訴相当」の議決をした事について、北海道新聞が社説を掲載した。
1) 北海道新聞 の社説より__
「巨大津波の可能性は社内で認識されていた。」
「役員として適切な対策を取らせることができたのに、それをしなかった」
「検察審査会の結論は明快だ。」
こう、記事は__検察審査会の出した結論を引用して__書いている。(少し長い引用であるが、我慢をして、読んで手頂きたい。)
『巨大津波の可能性は社内で認識されていた。役員として適切な対策を取らせることができたのに、それをしなかった。
だから刑事責任を問うべきだ―。市民11人による検察審査会の結論は明快だ。
我々の意志は、直接的には、表明する事が出来ない。出来るのは、せいぜい、新聞の投書欄を使うことぐらいである。これでは、十分な意見の表明にはならない。投書は、文意を和らげて、掲載される恐れもある。
個人が投書をするのと、公の機関である新聞社が、社説で取り上げるのとでは、大きな違いがある。当然だ。
この北海道新聞の社説は、__我々、日本の国民の、多くの意見を__代表してくれている。
私などが、このブログを通して述べる意見を__もちろん、私だけでなく、多くのブログ、ツイッタ―などで、意見も__、実質的に代表してくれている。
そう思う。
マスコミの役目は、国家権力を監視する事である、と言われる。
そのことで、国家権力の暴走をセーブすることにある、とされる。
もし、そうであるなら、特に新聞社が、__今回の検審の決定を__その社説で取り上げるのは、当然のことだ。むしろ、取り上げない方が、おかしい。
その意味で、__北海道新聞の社説は__よく、その本来の役目を果たしていると思う。
(注①)
1) 北海道新聞 の社説より__
「巨大津波の可能性は社内で認識されていた。」
「役員として適切な対策を取らせることができたのに、それをしなかった」
「検察審査会の結論は明快だ。」
こう、記事は__検察審査会の出した結論を引用して__書いている。(少し長い引用であるが、我慢をして、読んで手頂きたい。)
『巨大津波の可能性は社内で認識されていた。役員として適切な対策を取らせることができたのに、それをしなかった。
だから刑事責任を問うべきだ―。市民11人による検察審査会の結論は明快だ。
検察は、不起訴処分に疑問が突き付けられた事態を重く受け止め再捜査に全力を挙げるべきだ。
その手法や結論を含め、国民が納得できるものでなければならない。
その手法や結論を含め、国民が納得できるものでなければならない。
東日本大震災に伴う福島の原発事故で業務上過失致死傷容疑などで告訴・告発された東京電力の勝俣恒久元会長ら元幹部3人について東京の検審は、「起訴相当」の議決をした。・・・・
・・・未曽有の事故の真相解明がかかる。検察は「公益の代表者」の責務を果たすべきだ。
検察は東電本店などの家宅捜索をしなかった。捜査を尽くしたのかとの批判が出るのも当然だが、不起訴理由もまた不可解だった。
東電は政府機関の地震予測に基づき、巨大津波の可能性を把握していたが、検察は「具体的に予見できたとは言えない」とした。
地震予測をめぐる専門家の評価が分かれていたことなどをその根拠に挙げた。
これに対し、議決は「権威ある機関の科学的根拠に基づく予測で最新の知見として取り込むべきものだ」と疑問を投げかけた。
対策を取らなかった東電も厳しく指弾した。「原発の運転停止のリスクが生じると考え、(予測の)採用を見送り、関係者の根回しを進めたことがうかがわれる」
この通りなら安全軽視の姿勢に戦慄(せんりつ)を覚える。
国会事故調査委員会の報告書も事故は「人災」とした。検察の判断が社会常識から外れているのではないかとの印象は拭えない。
確かに刑事責任を問えるかどうかの判断は慎重に行うべきだ。
だが、電力会社の役員は原発の安全確保に極めて高度の注意義務を求められている。
あれだけの深刻な被害をもたらした事故だ。しかも回避できる余地はあった。なのに誰も刑事責任を問われないなら正義に反する。
この不公平感を放置すれば刑事司法に対する国民の信頼はますます揺らぐ。検察は再捜査結果の説明責任も忘れてはならない。』(北海道新聞 8/2)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/554688.html
2) 大手、新聞社の社説は?
産経ニュース、YOMIURI onlineは、共に無視。
社説を掲載してはいない。
朝日新聞は、SNS記事で、報じた。
登録者以外が読むことは出来ない、記事だ。
毎日新聞が、辛うじて、社説として、掲載した。だが、それは、
「新規制基準に基づく原発再稼働も現実的になっている。政府や電力会社は、原発を動かすに当たっては何より安全が優先されるべきだとの市民からの警告と受け止めるべきだ。」(注①)
というもので、とても、読者を納得させられるような記事ではない。
2) 大手、新聞社の社説は?
産経ニュース、YOMIURI onlineは、共に無視。
社説を掲載してはいない。
朝日新聞は、SNS記事で、報じた。
登録者以外が読むことは出来ない、記事だ。
毎日新聞が、辛うじて、社説として、掲載した。だが、それは、
「新規制基準に基づく原発再稼働も現実的になっている。政府や電力会社は、原発を動かすに当たっては何より安全が優先されるべきだとの市民からの警告と受け止めるべきだ。」(注①)
というもので、とても、読者を納得させられるような記事ではない。
やはり、北海道新聞 の社説が、秀逸だ。
ここに取り上げた理由である。
もちろん、検察による再捜査は、これから始まる。
それをマスコミが、ミスリードすることは許されないことは、自明のことである。
だからといって、マスコミが、この事を社説に書く事は、検察の捜査妨害になることではない。むしろ、必要な事だ。
3) この社説は、国民の多くの意見を、実質的に代表している。
3) この社説は、国民の多くの意見を、実質的に代表している。
公には、意見を表明する事が出来ない、国民の意見を代表してくれている、と思うからである。それは、我々、庶民の「声なき声」を代表してくれるものであるからだ。
我々の意志は、直接的には、表明する事が出来ない。出来るのは、せいぜい、新聞の投書欄を使うことぐらいである。これでは、十分な意見の表明にはならない。投書は、文意を和らげて、掲載される恐れもある。
個人が投書をするのと、公の機関である新聞社が、社説で取り上げるのとでは、大きな違いがある。当然だ。
この北海道新聞の社説は、__我々、日本の国民の、多くの意見を__代表してくれている。
私などが、このブログを通して述べる意見を__もちろん、私だけでなく、多くのブログ、ツイッタ―などで、意見も__、実質的に代表してくれている。
そう思う。
マスコミの役目は、国家権力を監視する事である、と言われる。
そのことで、国家権力の暴走をセーブすることにある、とされる。
もし、そうであるなら、特に新聞社が、__今回の検審の決定を__その社説で取り上げるのは、当然のことだ。むしろ、取り上げない方が、おかしい。
その意味で、__北海道新聞の社説は__よく、その本来の役目を果たしていると思う。
(注①)
(2014/8/9)