2014年8月15日金曜日

市立学校教師が小2児童に、「生きている意味がない」「窓から飛び降りるか」と、暴言。

クラーク博士:日本の教育の恩人
佐世保の事件が引き金になって、表沙汰になったのか。
これでも、「首にならない」とは、気楽な商売である。


1) 静岡新聞 が報じた記事による__

浜松市の市立小学校でのことである。
またも、教師が、児童に、「窓から飛び降りるか」とは発言していた。
しかも相手は、2年生だ。

この教師の「辞書」には、クラーク博士の「少年を大志を持て」という言葉は、ないのであろうか。


『浜松市の市立小学校(同市南区)で2年生を受け持つ男性教諭(41)が7月、男子児童に暴言を吐き、児童と保護者に謝罪していたことが14日、分かった。

 浜松市教委によると、教諭は7月17日の「帰りの会」で児童を注意した際、「頑張れない子は学校に来る意味がない」「生きている意味がない」「窓から飛び降りるか」などと発言した。

問答するうちにエスカレートしたという。さらに児童の腕を引っ張ったところ、近くの席の女子児童にぶつかり、女子児童が痛みを訴えた。

 教諭はその後、両児童と親に謝罪。1学期終業日の24日にクラスの全児童にわびた。25日には緊急保護者会を開き、校長らが経緯を説明して謝罪した。

 学校によると、教諭は外国籍の親を持つ児童に「国へ帰れ」と暴言を吐いたこともあったという。

 学校はクラスの全家庭を対象にアンケートを行っていて、回答を踏まえて市教委と相談の上、今後の対応を決める方針。同校の教頭は取材に「子どもたちに申し訳ないことをした」と答えた。』(静岡新聞 8/14)
http://www.at-s.com/news/detail/1141958262.html

2) 教育の可能性を、否定する言葉だ

「頑張れない子は学校に来る意味がない」
「生きている意味がない」
「窓から飛び降りるか」

これらの言葉、どれを取ってみても、教師が言うべき言葉ではない。
それは、教育を否定する言葉だ。

「生きている意味がない」「窓から飛び降りるか」という言葉は、「死ね」というに等しい言葉だ。
どんなことがあろうと、決して、口に出してはならない言葉である。

それは、教育の可能性を、否定する言葉でもある。
同時に、それは、この教師自身が、自分をも、否定することになる言葉である。


”外国籍の親を持つ児童に「国へ帰れ」”も非常識な、差別的な発言だ。
人権侵害であることは、論を待たない。

とても教師が言う、言葉とは思えない。
この教師は、学校の教師ではなく、他の職業を選択すべきであった、と思う。

つい、「自分が窓から飛び降りてみたら」と、思いたくなってしまう。

3) 現在の教師の採用の仕方にも、問題がある

どうして、免職に出来ないのだろう。不思議だ。
「申し訳ない」では、済まされることではない。

こういう教師を採用した教育員会の責任も大きい。
現在の、現在の教師の採用の仕方にも、問題がある、と思う。

1日の学科試験。
1日の面接試験。

それで、本人の適性を判断する事が出来るとは、到底思えない。
ここに、問題の根本がある、と思う。

そして、わずか4、5日程度の__詳しい事は知らないが、たぶんこの程度のなおざりの__短い期間の新任研修で、黒板の前に立たせることも、問題がある。

少なくとも、半年ぐらいは、試験的採用にすべきである。
これも、いい加減な評価が、まかり通るようなものであっては、意味がない。

それにしても、「大志を持て」と教える教師は、もう日本の教育界には、存在しなくなってしまったのであろうか。


まだ、他にも、教員養成の過程における問題もあると思うが、それについては,別の所で、意見を述べたい。

(2014/8/15)