2014年8月16日土曜日

五山の送り火の日に、中国版ツイッターの投稿記事を。戦争で亡くなった日中両国の人々の霊を慰めたい。

今日は、五山の送り火の日。
この記事を投稿する事で、戦争で亡くなった、多くの日中両国の人々の霊を慰めることにしたい。

「敗戦」を「終戦」と呼ぶこと。
この事を改めない限りは、日本の「戦後決算」は、終了しない。
中国や韓国の人々の心も理解できない。


中国や韓国との関係の好転を望むことなど、「夢のまた夢」
山に登って、魚を求めるに等しい行為である。

私はそう思う。

さて、中国のネットに、地震にまつわるツイートが、投稿された。
その話題についての記事である。(*記事中の番号は、私のもの)

1) XINHUA.JP のサイト記事より__



『中国のあるインターネット・ユーザーが中国版ツイッターにこのほど、「中国で地震があった。でも日本人はわれわれの不幸を喜ばなかった」と書き込んだ。

ユーザーは日本のポータルサイト上の日本人の書き込みを紹介。そして、「日本で地震が起きた時、中国ではたくさんのネット民たちが喜び、反日感情をぶちまけた。

そして今、中国で地震があったが、日本のネット民の書き込みにはわれわれの不幸を喜ぶ様子が見えない議論しているのはどうやって助けるかということだけだ。

中国人よ、恥ずかしくないか?災害は全人類が直面しうるものだ。“人”であるなら、災害を喜ぶべきじゃない。それは邪悪なものに拍手をすることになる」とつづった。

この書き込みに中国の多くのネットユーザーがコメントを寄せた。一部を拾ってみる。・・・・


「アメリカは日本を攻撃したが、日本人はもう、アメリカを恨んではいない。日本は敗戦から学び、努力して世界第2の経済大国になった。じゃあ、中国人は?なぜ侵略されたのかと反省もせず、歴史にこだわってばかりだ!!」①

「私の妻は両国関係が一番緊張していた時期に日本にいた。でもその時期、周囲の人は妻を気遣ってくれた。帰国する時には防塵マスクをくれた人もいた」②


「本当に日本人が中国を、そして雲南を助けようとしているなんて思う人がいたら、自らをも欺く思い込みってやつだ」③』(XINHUA.JP 8/7)
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/economic_exchange/391164/


2) 「正しい評価」や、「反省も」「決意も」、何もない。




このツイートの投稿者が言うように、日本も、同様に、「直視すべきこと」がある。


それは、恥知らずにも、「敗戦を終戦」と言い換えたことだ。


「日本は敗戦から学び、努力して世界第2の経済大国になった」
その意味で、このツイートの投稿者の、この文章は、正しい書き方をしている。

もし、「敗戦」を「終戦」に置き換えたとしたら、「日本は終戦から学び、・・・・」となってしまう。

終戦から、何が学べる?
「戦争が終わった」という事実を述べるだけのことだ。
「瞬間の時間の流れ」を捉えただけのことだ。

そこには、「正しい評価」や、「反省も」「決意も」、何もない__。
今ここまで書き進んで、愕然とした。

「正しい評価」や、「反省も」「決意も」、何もない。
この事の持つ、重要性に気付いた。

そうだから、毎年のように、日本では、「過ち」が繰り返される。

政府の高官による、中国や韓国にまつわる「失言騒動」
政府の閣僚による、靖国参拝問題。
ただただ「ペコペコと頭を下げるだけの、外交」交渉。
毎年の、恒例になっている、戦没者追悼集会・原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。この事にまつわる、あれこれ。

これらの事はすべて、「敗戦」を「終戦」に置き換えた事が、__根本的な__原因となっている。
そう思うに、至った。

3) このような書き込みがあったことは、驚くべきこと


思わず、話題が、逸れた。
元に戻す。

地震の話だ。
このような書き込みがあったことは、驚くべきことだ。

また、正しい見方であると思う。

このような書き込みがあったことを、日本人の一人として、感謝したい。

この書き込みこそ、日中両国の国民の将来を占うものであってほしい。

また、その書き込みに対する、他からの反応も、正常なものだ。
ここに取り上げた、①も②は、普通だ。

③は、元記事の最後に、掲載された文章である。
当然、こういう反応もあるだろう。

この反応が、大多数であるのか、少数派であるのか。
実はそのことにこそ、重大なことだ・・・。

このような反応をする人々が、__③のような__少数派に
なってくれた時、国民同士の、「真の和解」が出来るだろう。

そうなってこそ、初めて、戦争で亡くなった、多くの日中両国の人々の霊を慰めることが出来る。「無駄死」にしないことになる。

そう思う。

(2014/8/16)