ジキルから、ハイドに変わった。
1) CNNが報じたこと
安倍内閣の集団的自衛権の行使の閣議決定について、米国のCNNは、慎重な言い回しであるが、「異論はあるかもしれないが、自衛隊の名は意味を持たなくなった」、と報じた。
『自衛隊の発足から60年を迎えた1日、安倍政権は集団的自衛権を行使できるようにする憲法解釈の変更を閣議決定した。
牙を抜かれた戦闘部隊である自衛隊は、第2次世界大戦後の日本の防衛の任務を負ってきたが、今回の発表により、異論はあるかもしれないが、自衛隊の名は意味を持たなくなった。
安倍政権は、日本や近隣諸国に対する地域安全保障上の脅威が差し迫っているとの認識から、国が直面する21世紀の課題に対応するために必要な措置として憲法解釈の変更を認めた。
閣議決定では憲法の解釈を変え、同盟国を守るための日本の介入を容認した。これまでの解釈では、自衛隊は日本が直接的に脅かされた場合にのみ活動できるとされていた』(CNN 7/2)
まさに抽象的な理論ではなく、自衛隊の性格の変化したことを指摘し、現実的な理論を展開した。
安倍政権の認識についても、正確に描き出している。
閣議決定で「何が、どう変わった」のかも、要領よく、記事にしている。
2) CNNの記事を、さらに詳しく見ていくと
さらに、日本国憲法第9条の条文も、書き出している。
中国や韓国との関係の悪化の懸念、東アジアとの関係のさらなる悪化への危険もあると、懸念を表明した。
そして、人民日報が、「これで自衛隊が、国軍に昇格すると、警鐘を鳴らした」と記事に書いたことについても、報じた。
首相官邸前で、デモをする人々が持つ、プラカードを写した写真を掲載している。
3枚のプラカードには、
「戦争のできる国 no」
「戦争反対」
「集団的自衛権=戦争」
と書かれている。
もう一枚の写真は、海にポツンと浮かぶ、尖閣列島が大きく映っているものだ。
我々米国民は今後、この太平洋にポツンと浮かぶ(とるに足らないほどの)小さな島のために、「血を流したりする、危険がなくなった」とでも言いたげである。
3) 何が問題か、今後どうすべきか
何が問題なのであろうか。
あるいは、我々は、何を問題とすべきなのであろうか。
それは、安倍内閣が「閣議決定では憲法の解釈を変え、同盟国を守るための日本の介入を容認した」と言う事実のことではない。
「世界に冠たる近代国家である」と称している日本において、憲法のもとに行動すべき立場にある内閣が、最高機関である国会との関係や、大方の国民の意思を無視してまで、強引に内閣の意志を通したことである、と思う。
米国民は、「米国の日本に対する占領政策が、無に帰した」と考えて初めているのではなかろうか。再び、いつか来た道をたどり直す事になる、との不安を感じ始めているのではないか。
これは、ワシントンの話ではない。米国の国民の話である。
「米国は、一つではない」というのが、稀有の学者である、今は亡き小室直樹博士の発見されたこと。
米国には、いわゆるワシントン(連邦政府)と、国民の二つの政府が存在する。
米国の国民は、現在においても、自らを自衛する手段として、銃を手放してはいない。
銃をめぐる問題が度々発生しているのも、かかわらずである。
ごく幼い子供が、銃を使ったことによる犠牲者も出ている。
それでも、銃を離さない。
米国の国民にとっては、自国の政府(ワシントン)は、あくまでも、「自分たちの理想を、実現するための手段」としてのみ、存在価値を認められている。
米国民にとって、「人民の、人民による、人民のための政治」の理念は、今も、今後も変化しないであろう。
日本は、戦後一貫にして、その胸の中に隠した剣を磨き続けてきた。ひそかに、時期が来るのを待ち続けていた。
米国の国民が、こう考えるようになるのではないか。
考え始まるのではないか。
考え始まるのではないか。
4) 安倍政権で、日本の安全保障は守られるか
今回の、安倍内閣による閣議決定は、日本が法治国家であることを放棄した、と米国や他の国々からは、受け取られることに、なりはしないか。
そうなれば、何のための安全保障政策と、言えるのであろうか。
これでは、かえって、日本を危険に追い込むことになる、のではないか。
安倍首相が言うように、「日本が、より安全になる、事などない」のではないか。
その前途に影が射し始めたとはいえ、米国は今もって、巨大な国だ。
そして、その米国とは、ワシントンに代表される政府ではなく、米国民である。
この事をしっかりと府に落とし込んでおかないと、再び、戦前の轍を踏むことになる。
(2014/7/7) 七夕に日に