2014年7月22日火曜日

政府が、自衛隊の将官クラスを、国連の軍事作戦部隊の司令官として、派遣の検討。

ミッドウエー海戦。大和艦上の山本大将
これでもまだ、公明党は、一定程度の「歯止め」をかけることが出来た、というのであろうか。

今度の閣議決定では、集団的自衛権の行使は出来ない、と主張している人々は、その主張を取り下げないのであろうか。


1) 河北新報が、報じた記事より_
政府は、自衛隊の将官クラスを、国連の軍事活動部隊の司令官として、派遣出来ないか、検討に入った様だ。

『政府は、国連平和維持活動(PKO)に自衛隊の将官クラスを派遣し、国際部の現地司令官ポストを担当できないか、外務、防衛両省などによる検討に着手した。
従来は他国部隊への指揮行為が、憲法解釈で禁じる「他国の武力行使との一体化」につながる恐れがあるとして自粛していた。集団的自衛権の行使を容認した閣議決定で「一体化」の定義を緩和したことなどを受け、自衛隊の海外任務拡大の具体化を図る。
政府関係者が21日、明らかにした。司令官派遣は、国際社会で「部隊派遣と同等の評価を得られる」(防衛省幹部)とされ、国連からも期待が寄せられているという。』(河北新報 7/22
政府関係者は、”司令官派遣は、国際社会で「部隊派遣と同等の評価」”をされるのだという。

当然のことである。部隊の司令官であれば、どの国の軍隊であれ、部隊そのものを指揮すれば、_部隊を動かしていることになるのであるから_自国の「部隊派遣」と同じことになる。
2) 「派遣」と言う言葉の使い方は、間違い
言い換えると、一部隊を派遣_派遣と言う言葉には、ごまかしがある_したことになると、いう訳である。
繰り返しになるが、この「派遣」と言う言葉の使い方は、間違いである。部隊ということであれば、「派兵」である。
戦前も同様に使い方がなされ、中国大陸に、「進出」していった。だが、実際は、侵略に継ぐ侵略をすることとなった。前線の部隊が、勝手な行動をとったからである。
それを、軍の上層部は、コントロールすることで出来なかった。
今なら、コントロールすることが出来る、というのであろうか。シビリアン・コントロールが効く、というのであろうか。ところがこれも、ごまかしである。現在の自衛隊は、日本の国内においては、「文民」である。そういう位置づけになっている。_世界の評価がどうであれ_けっして、軍人ではない。
何故なら、自衛隊は、「軍隊」ではない、という事になっているからである。だから、「文民」をシビリアン・コントロールする、などと言うことは、自己矛盾なのである。
3) 我々は、現実に行われたことをもって、判断する
この矛盾を解決しようとしたのが、安倍首相である。だから、安倍首相の頭には、自衛隊を軍隊に昇格させたい、という意識があると思う。集団的自衛権の行使をしようとすれば、そうする以外には、ないのだ。
自民党の憲法草案には、はっきりと「国軍」という言葉が出てくる。今、安倍首相がやろうしていることは、これに沿った路線だ。
この記事もはっきりと、「自衛隊の海外任務」と書いている。文民が、海外で活動するのは、警察権の行使より認められない。それも、現地の政府の許可が必要である。
警察権を持って、_国際部隊とは、国連の平和維持作戦を実行する部隊の事。_戦争の仲介などが出来る道理がない。となると、軍隊による、集団的自衛権の行使以外には、ない。
我々は、物事の、判断の基準として、言葉を信用するのであろうか。言葉が語られた通りのものであるとすると、_例えば、ドロボウを裁くときなど_警察の捜査は必要ない。我々は、現実に行われたことをもって、判断する。
だとするなら、安倍首相が言ったことのみで判断することは、危険である。安倍首相が、実際に何をしようとしているのか、よく観察する事が重要である。

≪関連サイトの案内≫
*”集団的自衛権 リスク語らぬ首相の不実”=西日本新聞
 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/102714
(2014/7/22)