2014年7月16日水曜日

LS*美濃加茂市の藤井浩人市長の事件。裁判の目的と市民の発言。

何故、いつもこうなるのであろうか。
市民の反応は、いつもこうだ。


1)  岐阜新聞が伝えたニュースから_

美濃加茂市の藤井浩人市長の事件の事である。

『現金授受はあったのか、なかったのか─。15日、事前収賄などの罪で美濃加茂市長の藤井浩人被告(29)が起訴された。

「賄賂をもらったと認識していることは明らか」とする検察に、「起訴は不当極まりない」と真っ向から対立する弁護団。真相は公判で解明されることになった。

「最年少市長」として期待と注目を集めた市のトップが刑事被告人となる異例の事態に、市民の動揺は続く。

起訴状などによると、現金の授受があったのは2回。

藤井市長は昨年4月2日に美濃加茂市のファミリーレストランで10万円、同25日には名古屋市の居酒屋で20万円を、贈賄などの罪で起訴された地下水供給設備会社「水源」社長の中林正善被告(44)から受け取ったとされる。

 中林被告は、会社資料に現金入りの封筒を挟んで渡したと供述。一方、藤井市長は弁護団に「資料はその場で確認している。現金はなかった」と説明、一貫して否認している。』(岐阜新聞 7/16)

まだ、起訴されただけの事である。
それをもうこの扱いである。

2) その事実は、あくまで、「検察が認めている事実」

検察に起訴されたところで、それは、「検察が、認定したところの事実」があるだけの事だ。
その事実は、あくまで、「検察が認めている事実」である。

今の時点で、明らかにされている事実は、検察が、藤井浩人市長が、「現金の授受を受けた」と起訴状に書いた、ということだけである。

それが、「事実」であったかどうかは、これから争われることである。
だから、検察に起訴された、という自体をもって、実際に、「収賄がおこなわれた」とは、まだ言えない。

それをあたかも、事実(=犯罪が行われた)のように言いたてるのは、間違いである。
以下のような、コメントを寄せる人々は、この事に気づいているのであろうか。

3) 「事実」をもとにして、発言されたことではない。

この記事から、それを拾ってみよう。(以下は、岐阜新聞の記事より)

* 『派遣社員の女性(24)は藤井市長の無実を信じる。「あれだけ否定しているのだから、やっていない」』

* 『不起訴を期待していた無職男性(70)は、起訴されたことを重く受け止めた。「検察にはそれなりの証拠があるのだろう」と漏らす。「裁判と行政は同時にできない」と市政の停滞を懸念し辞職を求めた。』


* 『看護師の女性(30)は「いい人という印象があるので、残念」とした上で「(市の)業務に影響はないと新聞で読んだので、白黒がはっきりするまで(市長は)辞めなくてよい」と述べ、真相の究明を望んだ。』



* 『美濃加茂商工会議所の鈴木登会頭は「藤井市長は(当選から)1年間、仕事を完璧にこなしていた。だからこそ(今回の事態は)非常に残念。経済界として裁判を見守りたい」と話した。』

これらのコメントは、すべて、事実をもとにして、発言されたことではない。

4)全てが、「検察のいう事実」認定に基づいた発言 

派遣社員の女性(24)は、_「無実を信じる」=なぜなら、市長が「あれだけ否定」するから_市長の言葉に基づいて、発言している。

これは、一見、関係ないようであるが、実は「検察のいう事実」をもとにしたものである。
これが果たして、事実かどうかは、現時点では、分らない。

無職男性(70)は、検察を信じている。「検察が起訴したのであるから」相当な証拠を検察が持っているのであろう、と思っている。
これも、「検察のいう事実」に基づいていての、発言だ。

看護師の女性(30)は、「残念」と、もう「収賄の事実があった」と認めている。
どういう事実によるか。。新聞の報道した、「新聞報道という事実」によって、である。

鈴木登会頭はどうか。
「非常に残念」とこれまた、犯罪があったと決めつけている。
この発言も、「検察による事実認定」をもとにしている。

こう見てくると、全てが、その根拠は、「検察のいう事実」認定に基づいている。

5) 裁判は、「真相の究明」をするためのものではない

上で見たように、全てが、事実に基づいた発言ではない事が分った。
だが、事実は、本当の事実はどうなのか。

こういう場合に、すぐに出てくる言葉が、「真相の究明」という言葉だ。
実は、それは、分らない。

裁判が終わっても、尚、それは解らない。
それは、「神様のみ」が知っていることである。

というより、裁判は、「真相の究明」をするために行われるものではない。
この事が分っていないので、すぐに、この言葉が出てくる。

裁判は、検察が示した事実が正しいかどうか。
その証拠を、検察が、正当(合法)な手段で得たかどうかを、争うものである。

「真実を究明する」ことを、その目的とはしていない、のである。
この事を誤解しているから、上のような発言が出てくる。

6) 事実認定の当事者が、裁判所に移っただけ

裁判が終了して、判決が確定して、初めて、事実が、明らかになる。
もちろん、その事実は、単なる「事実ではない」

あくまで、「裁判所が認定した事実」だ。
事実認定の当事者が、裁判所に移った、だけの事である。

尚、「真実」は、「神のみぞ知る」という状態にある。

だから、冤罪が生れる可能性が、常にある。
そうでなければ、_裁判所が、絶対に間違わない、ということあれば_
冤罪が産まれることはない。

裁判とは何か。
そのことが分っていないことによる、弊害が多すぎる。
この事は、今の日本の社会にとっては、看過できないことである。

(一部、表現を訂正しました)

         ≪関連サイト案内≫

*”
美濃加茂市長の藤井被告 公務に復帰 8/26
http://www.news24.jp/nnn/news86220780.html

*”保釈の美濃加茂市長、2か月ぶり登庁 事件への関与否定”=朝日DIJITAL
http://www.asahi.com/articles/ASG8T4DKXG8TOIPE01K.html  8/26

(2014/7/16)