2014年7月30日水曜日

安倍総理との会談で、アキノ(フィリピン)大統領が、日本政府の閣議決定支持を表明。

安倍総理との会談で、表明したようだ。
そのことについて、岡崎研究所というところが、面白い記事を載せている。

1) ISMEDIAの記事より_


日比首脳会談で、アキノ大統領が、安倍総理の進める集団的自衛権の解釈変更を支持した、_WSJの記事を引用して_事について、論評している。


『24日付ウォール・ストリート・ジャーナル紙で、Alexander Martin同紙記者は、日比首脳会談で、アキノ大統領が、安倍総理の進める集団的自衛権の解釈変更や積極的平和主義に支持を与えたことを、中国の領有権主張に触れながら、報じています。
 すなわち、624日、アキノ比大統領は、安倍総理の自衛隊への制限緩和の政策に支持を与えた。日比両国は、東シナ海や南シナ海で領有権の自己主張を強める中国に困っている。
 アキノ大統領は、安倍総理が自衛隊の役割を拡大しようとしていることは、地域の安定に資するとともに、安全保障面でも経済面でも日比二国間の戦略的パートナーシップを深めることになろう、と述べた
日比首脳会談後の共同記者会見の中で、アキノ大統領は次のように述べた。「日本国憲法の解釈を一部見直すという日本政府の計画は論議を呼んでいるが」「もし日本が他国を援けられるようになり、必要な国に手を差し伸べられるようになれば、特に集団的自衛権の分野でそうなれば、友好諸国は利益を得るばかりである」・・


日本は、既にフィリピンに対して10隻の監視船を供与することを約束し、ベトナムにも同様の計画を検討している。ベトナムは、最近、自らが主張する領域内で中国が石油掘削作業を始めて、大変困っている。』(岡崎研究所
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4062?page=2

このWSJの記事は、今年の6月24日のものである。という事は、安倍首相は。閣議決定をする前に、すでに、武器供与を約束していたことになる。それはさておき、アキノ大統領のことである

2) アキノ大統領が期待する事

アキノ大統領が、述べている事をまとめると、以下のようになる。

*安倍総理の自衛隊への制限緩和の政策を支持する。集団的自衛権の行使を、フィリピンは、支持する。

*この度の閣議決定は、地域の安定に資するとともに、安全保障面でも経済面でも、戦略的パートナーシップを深めることになる。

日本が、集団的自衛権の分野で必要な国に手をさしのべられるようにれば、友好諸国は利益を得る。

              *     *      *

そして、安倍首相は、もうすでに、「フィリピンに対して10隻の監視船を供与することを約束している、と記事は書いているらしい。(ここまでが、岡崎研究所による、 WSJの記事の要約)

安倍首相は、着々と、集団的自衛権行使のための足固めを、実行していたようだ。

3) 岡崎研究所に見解は

続いて、岡崎研究所に見解として、以下のように述べる。

『この論説に示された米側の意識としてはフィリピンの防衛を日本が全面的にバックアップするということなのでしょう。それは、日本としては、集団的自衛権行使そのものよりも、集団的自衛権行使による意識改革によって実現されるもので、この論説にあるような米側の期待が高まるにつれて、日本側としても、東南アジア防衛が日本にとって有する死活的重要性の観点から、その覚悟をする必要がありましょう。』(同上)

要するに岡崎研究所としては、安倍首相の、この度の閣議決定を支持する、と言う見解のようだ。それは、それでいい事だ。どういう見解を岡崎研究所が述べようと、自由だ。ただ、こう言う見解を述べたことで、岡崎研究所が、どういう性格の研究所であるのかを、証明したに過ぎない。

4) 岡崎研究所とは。岡崎久彦氏とは

この岡崎研究所というのは、_名前でほぼお解りのことと思うが_元外交官の岡崎久彦氏が、主催する研究所である。


岡崎久彦氏は、イラク戦争においては、「イラク問題について米国の立場と行動を支持する声明」に署名している。


また、第一次安倍内閣の時の、私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の有識者委員でもあった。


自身の著書においては、「米国と協力しようとしまいと、それは日本が自然権を行使できる自然体の国家となれば、自分で国益に基づいて判断することです。

そして結論は日米同盟の維持となることは十分想定できます。それなのに、自分で自分の手を縛っておきながら、自らを責めず、よその国-日本の重要な同盟国-に恨み言を言い、楯ついてみせて主体性を求めるという惨めなことになっているのが現状です」とも述べている。(wikipediaによる)

そうであれば、上に様な見解が出てくるのは、当然のことであろう。

(2014/7/30)