2014年7月23日水曜日

LS:フクイチの今(10)原発事故で「故郷」を取り戻す訴訟審理。連帯感を取り戻せるか。

東電側は、どう受け止めているのであろうか。
また、以前の時のように、「無主物」である、というような言い逃れをするつもりなのであろうか。

いかに、東電でも、それはできまい。
「故郷」を喪失したことに対する、慰謝料であるからだ。


1) 河北新報が、報じた記事より_

福島県民ら354人が、「故郷」を喪失した精神的苦痛に対する慰謝料などを、東電に求めた訴訟の審理が、行われている。

『福島第1原発事故で避難を強いられた福島県民ら354人が、古里を失った精神的苦痛に対する慰謝料などを東京電力に求めた訴訟の審理が福島地裁いわき支部で行われている。

古里喪失の慰謝料を全国に先駆けて求めた訴訟だ。
原発事故は固有の文化や伝統など地域の財産を破壊し、コミュニティーを分断した。

点は原発事故特有の被害について法的責任を問えるかどうか。
同種の訴訟は各地で提起されており、審理の行方は影響を与えそうだ。

◎原告、人格発達権平穏生活権の「侵害」と主張 東電反論「損害二重に評価」

 原告側は一律1人2000万円の古里喪失慰謝料を求め、
2012年12月に提訴した。併せて月50万円の慰謝料や避難先での住居の再取得費用なども賠償対象とした。


 
原告側弁護団が、古里喪失慰謝料の法的根拠に据えるのが「人格発達権」と「平穏生活権」だ。
長い歴史を経て形成された地域社会は、個別の土地建物などの賠償に還元できない固有の価値を持つ。

原発事故により、そこで過ごすはずだった人生の発達可能性が奪われ、「人格発達権が侵害された」と弁護団は主張する。被ばくの不安や先行きが見えない焦燥感により「平穏な生活も失われた」と訴えている。


 原告の年齢は幅広く、避難前の住所も広範囲に及ぶが、
喪失感
は共通する。金額を均一にするため、交通事故の後遺症の慰謝料は年齢より障がいの等級が基準になることを参考にした。


6月18日の口頭弁論で、杉浦正樹裁判長は「避難に伴う慰謝料などと別に請求する基準は何か」「共通する損害はどの事実で認定できるのか」と原告側に問い掛け、原告側の認識との隔たりが浮き彫りになった。』(河北新報 7/22)
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201407/20140722_63023.html

2) 世界でも珍しい、訴訟ではなかろうか。

これまでにない訴訟である。
おそらく、世界でも珍しい、訴訟ではなかろうか。

また、単に、同種の訴訟に限らず、今後起きるであろう_再稼働が実際されれば、今後も、東電のような原発事故は起きる_訴訟の行方を占う意味においても、重要な意味を持つ裁判となるであろう。

日本は、地震大国である。
これまでは、地震のような自然災害による被害は、自己責任という事になっているが、全て、自己責任と言えない部分もある。

「お恵み的」な国による補償ではなく、正当な損害として、裁判を起こす道を開くものになるかもしれない。

例えば、阪神淡路大震災の時、自衛隊の出動がもっと早く行なわれていれば、多くの人々の命が救われ、多くの住宅は消失を免れたであろう。

明らかな、行政の初動ミスである。
充分に、損害賠償を請求する理由があった、と言える。

政府は、それを災害補償金という形で誤魔化したが_それも渋々認めたに過ぎない_訴訟が起こされていれば、膨大な額の補償金を積む結果になった事であろう。

その面でも、新たな補償への足掛かりとなる裁判でもある、と思う。

3) すべてが、東電の原発事故が招いた結果

この記事が伝えるところでは、原告側は、”人格発達権平穏生活権の「侵害」”を主張し、東電側は、「損害二重に評価」と反論しているようである。

東電の主張は、要するに、「二重取り」である、という事であろう。しかし、現在の生活一時金は、微々たる金額だ。

それに比べて、それまで住んでいた土地(故郷)を、強制的に立ち退かされた。
それまでの人間関係を_人が生きていくのに、最も重要なものである_壊された。

仕事もなくし、生活の手段を奪われた。
見知らぬ土地で、新たに職を見つける事は_年齢にもよるであろうが_相当な困難を伴うことである。まして、高齢であれば、余計に難しい。

今は、夏休み。夏祭りが盛んである。ここでの楽しみの一つに、金魚すくいがある。ところが、この金魚、家に持って帰っても、しばらくすると、すぐに死んでしまう事が多い。

飼い方が悪い、という事もあろうが、一番の原因は、急激な環境の変化に耐えられなかった、という面が大きいと思う。

広い池から、また、多くの仲間に囲まれた環境から、狭い金魚鉢へ移された。
そして、仲間がいない、「ひとりぼっち」の環境に、急に投げ出されたことによるストレス_金魚がストレスを感じるかどうかは知らないが_による死だと思う。

4) 「故郷」喪失というような、急激な環境の変化には、耐えられまい。

これが、人間であれば、尚更のことである。
急激な環境の変化は、耐えられまい。

まして、故郷_自分に繋がる、すべての人々の想い出が詰まる故郷_
を破壊され、奪われた悔しさ、悲しみは、計り知れないものがあろう。
 
それは、やがては、人格の破壊につながり、孤独死なども起きることであろう。孤独死ほど、悲惨なものは、ない。

誰一人、見守ってくれる人もない中で、死んでいくのである。
もし、事故がなければ、親しい人々に見守られながらの、臨終を迎えることで出来たのだ。

さらに、孤独感などから、アルコール中毒、犯罪者になる、などの反社会的な行動へと、「走る」危険性もはらむ。また、被害者として、十分な補償がなされなければ、それは、モラルの低下を招くことにもつながろう。

5) 「急性アノミー」現象が、社会に蔓延する

これは、上で述べたことと関連する事であるが、何よりも、連帯感の喪失と言う人間にとっても、最も重要なものが、断ち切られる、ということがある。これは、「アノミー」と、ふつうは、呼ばれている現象である。

今回の場合は、ある日突然起きたことが、引き金になっているので、「急性アノミー」と呼ばれる。だからこれは、個人の内面の問題ではない。社会の急激な変化が引き起こすことなのである。

よって、これは、_ 個人の内面には関わらないことなので_ 誰にでも、起こりうることなのである。実は、この事がもっとも、大きな問題である。

上では、_孤独感や環境の急激な変化を原因として挙げたが_、アルコール中毒、犯罪に手を染める、モラルの低下、無気力感と言ったようなことは、連帯感の喪失こそが原因なのである。「急性アノミー」現象なのである。

これは、個人にとどまらず、やがて、社会全体にまで、広がっていく。そのことが、もっとも、恐ろしい。まるで、伝染病なようなものなのである。マスコミは、こんなことは、報じようとはしないであろう。

そのことで、増々、連帯感の喪失が進む。社会道徳は、地に落ち、犯罪が蔓延することになろう。何が正しいのかが、分からなくなる。これまでには考えられないようなことが、起きる可能性がある。本当の怖さは、そこにある。


これらのことは、全てが、東電の原発事故が招いた結果である。
東電はこの事をよくよく、考えたうえで、真摯に対応すべきである。

≪関連図書案内≫
『人類生存の大法則』  糸川英夫著  徳間書店 1995年

*砂漠の民”ベドウィン”について、観察して得た結果を、「ベドウィンの法則」と名づけ、人間が生きていく条件などについて、述べた本。

(2014/7/23)