2014年7月16日水曜日

続報:規制委の田中委員長が、九電川内原発の審査の終了を、宣言。

(九州電力川内原発)
こんなことでは、到底認められない。

世界の国々からも、反発を受けるであろう。

1) 時事ドットコムが報じた記事より_

規制委の田中俊一委員長が、九州電力川内原発の審査が事実上終わったと、会見で述べた事について、である。


『原子力規制委員会の田中俊一委員長は16日午後の定例記者会見で、九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)の審査書案がまとまったことについて「時間はかかったが、特に重大事故対策や自然災害について十分に検討してきた。一つの山を越えた」と述べた。

 田中委員長は、審査書案が「新規制基準に適合している」と結論付けた川内1、2号機について「新しい基準は相当ハードルが高くなっている。

事業者(九電)と長い期間議論し、納得ずくの上でまとまった。一定程度、安全性が高まったと思う」と評価した。


一方で「基準に適合しているかどうかは(審査で)見ているが、安全だとは申し上げない」と述べ、審査合格はお墨付きにならないと強調。

「最善を尽くして基準を作り審査をしてきたが、結果をどう受け止めるかは地元の人の判断だ」と話した。』(時事ドットコム 7/16)

これが、原子力の安全を守るべき立場にある人のいう言葉であろうか。

2) 原子力規制委員会設置法が求めているもの

原子力規制委員会設置法は、その第三条 で、

 「原子力規制委員会は、国民の生命、健康及び財産の保護環境の保全並びに我が国の安全保障に資するため、原子力利用における安全の確保を図ること(原子力に係る製錬、加工、貯蔵、再処理及び廃棄の事業並びに原子炉に関する規制に関すること並びに国際約束に基づく保障措置の実施のための規制その他の原子力の平和的利用の確保のための規制に関することを含む。)を任務とする。」

と規定している。

規制委の田中委員長
田中委員長は、本当に自分の職務を理解しているのであろうか。
原子力規制委員会設置法の第三条が、理解できていれば、記事のような言葉が出てくる道理がない。


「基準に適合しているかどうかは(審査で)見ているが、安全だとは申し上げない」とは、どういう意味なのであろう。

審査とは、安全かどうかを、検査する事ではないのか。
審査は、「原子力利用における安全の確保を図ること」を目的として行われたのではないのか。

もし、「安全の確保を図る」ことを目的としていないのだとしたら、「この審査は、一体、何の目的で、どういう方法で行われたのであろうか。

3)今の規制委に、原発の安全性の審査を任せる事は、危険だ

「新しい基準は相当ハードルが高く」という事が、事実であるとするなら、その基準に基づいて行われたのであるから、安全と言えるのではないのか。

もし、「安全である」と言うことが出来ないとしたら、一体どういう基準で作られたものなのか。

「安全である」と言うことが出来ないような、「相当高いハードル」とは、どんな、ハードルなのか。
何故、そんな意味のない「相当高いハードル」を設置したのか。

だいたい、「事業者(九電)と長い期間議論し、納得ずくの上で」まとまったような、審査が、中立公正であると、言えるのか。
大いに疑問だ。

審査とは、規制委が、事業者と議論しておこなうべきものなのか。
そうであるなら、基準は、何のために設けられている。

中立公正に、厳正に、審査すればいい事ではないのか。

さらに、事業者と議論することで、どうして「一定程度、安全性が高まった」というようなことが、いえるのか。

規制委は、事業者と議論しないと、「安全性」を高めることが出来ないような組織なのか。
そんな、専門性がない、組織なのか。

そうだとしたら、とてもこんな組織に、原発の安全性の審査を任せることなど、出来はしない。

まして「安全だとは申し上げない」と言いながら、「結果をどう受け止めるかは地元の人の判断だ」などと_住民に下駄を預けるとは_言うとは、無責任も甚だしいことである。

(最終稿。一部追加しました)
(さらに追加)
*ロイターの記事 2014/5/27)
 ”九電・川内原発の審査が足踏み、夏の再稼働困難に”
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPL3N0OD2EL20140527

(2014/7/16)