2014年7月27日日曜日

続報:女子校生殺人事件。被害者の人権の確保より、加害者の人権を保障する方が大切か。


何故、マスコミは、いつも被害者の名前だけを、出すのであろう。
マスコミは、加害者の名前を出さないのなら、被害者の名前も出すべきではない。

1) 産経ニュース が伝えた記事より_







ここまで詳しく(遺体損傷のこと)、報道する必要があるか。
被害者の親の気持ちを考えたら、そんことはできないはずである。

今の所、事実関係は、警察発表でしか分らない。
それにしても、残酷な殺し方だ。

とても、女子校生の仕業とは思えない。

『長崎県警は27日、長崎県佐世保市の高校1年A(投稿者が消しました)さん(15)を殴って殺害したとして、殺人容疑で同じ高校のクラスメートの女子生徒(15)=佐世保市=を逮捕した。県警によると、遺体は首と左手首が切断されており、近くで工具や刃物が見つかった。
 逮捕容疑は26日午後8時ごろ、生徒の自宅マンションで、後頭部を鈍器のようなもので十数回殴り、ひも状のもので首を絞めて殺害した疑い。
 生徒は「全て自分一人でやった」と供述し、遺体切断も認めた。2人は中学も同じ。生徒は4月から市内の親のもとを離れて1人で住んでいた。
 県警によると、Aさんは26日午後3時ごろ、家族に友人と遊ぶと伝えて出かけた。午後6時40分ごろ、母親に「7時ごろに帰る」とメールが届いたが、その後も戻らなかった。

 県警は2人の間にトラブルがなかったかどうか調べている。生徒は落ち着いた様子で取り調べに応じているという。』(産経ニュース 7/27)

事件そのものは、警察が捜査し、裁判所が裁くことになろう。だから、この事については、現時点では、評価をしないことにしたい。

2) 何故、マスコミは、被害者の名前だけを出す


それにしても、不思議だ。加害者の名前を出さずに、被害者の名前を出すことは、被害者の親にすれば、二重の被害に遭ったことになる。何故、名前度出す必要があるのだろう。

被害者の名前を出すことに、何のメリットがある。名前を出す故ことで、被害者も、その親も、二度殺されることになることに、気づかないのであろうか。

被害者に対して、_たとえ、少年法を守っているとはいえ_それほどの配慮をしながら、如何して、被害者には、配慮することが出来ないのであろう。

被害者にこそ、加害者以上の配慮が必要なはずであるのに。世の中が進んだとはいえ、いまだに日本の社会は、弱いものの味方ではない。むしろ、水の中
に落ちたものを、_引き上げようとは、しないで_沈めようとする。

残酷な社会だ。
ひどい仕打ちである、と言わざるを得ない。

3) 公正な裁判の実施が必要

事件そのものについては評価をしない、と書いたが、裁判の事については、少し触れたい。「未成年」として裁くのか、「普通」の刑事事件として、裁くのかという事についてである。

加害者の顔を表に出すことをせず、公開の法廷で、裁くのかと言う問題である。従来通りであれば、公開の法廷でさばかれることはない、ということになる。

だが、果たして、それで、_法律が予定している_、被害者になり代わり裁く
ということが実現した、と言えるであろうか。そんな裁判をすれば、「憎しみを倍加」させる結果に、なりはしないであろうか。

_理由がどうであれ_理不尽にも、人生の途中で生命を断たれた被害者の、「無念さ」はどう解決されることになるのだろうか。検察はどういう判断をするだろうか。


4) 被害者の人権は、確保する必要がないのか

もう、この辺りで、従来からの慣例を変えてもらいたい。被害者も、加害者と同様に、人生を全うする権利があった。その権利は、どう保障されるのであろう。

こんなことを言うと、また、人権団体なるものが騒ぎ出す。彼らは、被害にあった物悲しさ、悔しさを知らない人々だ。ただ、自分らの理想に実現を計るために、事件を利用しているだけの存在である。気にする必要はない。

この事が抑止になるとは思わないが、「普通」の刑事事県として、裁くべきであると思う。国民投票の年齢を18歳に引き下げた。3歳ほどしか違わない。

「未熟である」などとは、とても言える年齢ではない。
やはり、公正な_多少の配慮は、するとしても、_公開の裁判の実施が必要であろう。


(2014/7/27)