2018年11月11日日曜日

『 紙 の世界史 』 中国の書写媒体の歴史:帛、竹簡、木簡から紙へ(Ⅶ) 

『 紙 の世界史 』 中国の書写媒体の歴史:帛、竹簡、木簡から紙へ

★52~53
・せめぎ合う諸侯は文書の読み書きが出来る優秀な人材を自分の封土(ほうど=領地)に
集めようとした。
ー3世紀の政治家、呂 不韋は、3000人の学者を一堂に集め、もてる知識を書き記すように要請したと言われている。

学者たちが書き終えるとそれを集め、200万語から成る書物として市場に出し、知識を高めたものには報奨を与えた。こんなことが呂不葦にできたということが庶民の識字率の高さを物語っている。

・広い分野の書物が手に入るようになった人々は本を旅の友とする事もあった。

20世紀に発見されたこの時代の4万冊以上の木製や竹製の本は、私信、法律書、医学書、暦、文芸書、処方箋など、ありとありゆる種類の文献で、そのほとんどが以前から使われていた竹の尖筆を改良した筆で書かれていた。

そうした筆に付ける墨は油煙、すなわちーー一番よいのは松脂ーーを燃やした時に発する炭素の粉から作られる。これが古代の調合法である。

商時代には赤と黒の油煙墨は占いのための骨に使われていた。古代エジプト人も同様の油煙墨を作った。

★53~54

・獣毛から作る筆の発明もまた大きな前進の第一歩で、これによってほとんどどんな素材にも文字を書くことが可能になった。

中国人よりも早く毛筆を発明した他の文化もあったかもしれないが、中国文化ほど毛筆を人の生き方の中心に据えた文化も、長く毛筆を使った文化もない。中国では今でも毛筆の文化が続いている。

・秦時代の中国人が、私信や行政文書のような比較的重要度の低い書きものに使ったのは、木製の札、木簡で、この数は多かった。

一方、古典作品や医学書のような重要な文献には、みずみずしい青竹の若枝から作る竹簡を用いた。これは、竹筒を切り裂いて細長い板状にし、緑の外皮を削いだものを縛って繋ぎ合わせてつくられる。



竹簡はサイズが豊富で、20㎝あまりの短い者から60cmほどの長いものまであった。

・歴史家はよく、この細長い竹の板に文字が書かれたことを中国語が縦書きである理由として指摘する・・(が)、縦書きの兆しはもっと昔からあり、竹簡以前の書写媒体、商や周の時代の青銅器に書かれていた文字も縦書きである。

★55~58


(はく=薄絹)は紙が登場するまでの最後の進化した書写媒体だと一般には考えられている。だが、帛そのものは実は太古の昔に中国で作られており、使用は、-3500年、先史時代の書き言葉の誕生にまで遡るとする文献もある。


最初は死に装束に使われ、霊の添え物として、死者ともに埋めものも帛で包まれた。帛に描かれた絵で、発見された最古のものは、-3世紀の葬式の旗だが、書き物に帛を使ったのは学者だけだった。
庶民は木や竹を使っていた。

・・・歴史書、宗教書、地図、帝王学書、後代に残す為の文献などは皆帛に書かれた。

・紙というものがどうして考案されたのかは今だに謎である。紙以前の書写媒体とはなんの関わりもないのだ。

紙は叩きほぐして水と混ぜ、目に見えないほどに薄められたスルロース繊維から作られる。繊維が混じったその液体をすくい上げて網の上に置き、水が捌(は)けるまで待つ。こうすることでふたたび無作為に織られた繊維の極薄の膜が後に残る。

・紙は世界で最もありふれたオーガニック(有機的)な化合物で、木、樹皮、草、絹、海藻など、紙の原材料にするものが数多くある理由でもある。

いったどんな思考回路で発見にいたったのか?セルロース繊維なるものが存在することすら知らずに、分離させる方法を思いついた部分がいちばんのポイントといえるだろう。

・切って叩いて煮てふやかすという長い手順を踏まなければセルロースを分離させる事ができない。そこまですると、なぜだかこの繊維が無作為に織りあわされるのだ。

紙一枚を作るに足るセルロース入りの薄い水溶液と、それをすくい上げる適切な網つきの型を見つけるまでには数知れない試行錯誤があったにちがいない。

そのあと作り手が、水溶液のなかに型枠をひたし、だまのない繊維の膜が網の上にできあがるまで前後にゆする動きを修得しなければならなかったはずだ。

・紙以前にあった代表的な書写媒体は、木も竹も帛もみなセルロースをふくんでいるから、その構成を壊しして紙を作るのに利用することは可能だ。

フェルトの製法から製紙の発想を得たと考える歴史家もいる。織物に先行するフェルトは、獣毛を繊維がもつれて厚みのある塊になるまで叩いて潰すことによって作られる。

何世紀ものあいだ中国の子供たちは、紙は105年、漢の朝廷に仕えた宦官の蔡倫が発明したと学校で習ってきた。

紙は、中国人が四大発明と称する、製紙、羅針盤、火薬、印刷の第一位におかれ、特定の発明者一人の功績とされているのである。

(2018年11月11日)