2018年11月3日土曜日

以前の悪行も、善によって償うなら、救われる

・以前には悪い行いをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、その人はこの世の中を照らす。--雲を放慣れた月のように。(16-9)


・生命がだまあるちに苦しまない人は、死後に如何なる点でも苦しむことはないが、道を見たその賢者は、死後に悲しみ憂えることがない。(16-11)

・田畑の汚れは雑草であり、この人びとの汚れは情欲である。それ故に、情欲を離れた人々に供養して与えたものは、大きな果報をもたらす。(16-16)

・第六の状態(=五感につづく心)が、支配者の王である。それが情欲に染まっているときには情欲のままになり、染まっていないときには「汚れを離れた者」となるが、染まっているときには「凡夫」とよばれる。(16-22)

・骨で都市の城壁がつくられ、それに肉と血とが塗ってあり、愛と憎しみとおごり高ぶりとごまかしとがつめこまれている。(16-23)

・苦しみはつねに因縁からおこる。そのことわりを観ないものだから、それによってひとは苦しみに縛られている。しかし、そのことを理解するならば、執着を捨て去る。

けだし外の人々はその大きな激流を捨てないのである。(16ー24)

〈『ブッダの感興のことば』 第16章 さまざまなこと〉



この章では、繰り返しが多い。もっと、これは、この章に限らないことであるが。

12~13では、色を変えた部分の語句が、以下、
・憂いさの中にあっても憂えない。
・親族のあいだで輝く。
と、変わる。



17~21の句も、同様に、
・怒り
・迷妄
・おごり高ぶり
・貪り
・愛執 
のように変わる。



以前に悪い行いをした人でも、後に善によって償うならば、その人はこの世の中を照らす、と諭す。この句は、多くの人々にとり救いの句、となろう。

人間は、誤りを避けることができない。
よって、その誤りを反省し、自覚して、以後善い行動をとるなら、「世の中を照らす」人にもなり得る、ということであるから。

(2018年11月3日)