2018年11月8日木曜日

第2章 中国の書字発達と紙の発見:紙の世界史(Ⅵ)

第2章 中国の書字発達と紙の発見
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・中国の伝説では、書字は三人の賢帝のもとで3段階の発達をとげた、とされる。


①民に獣を飼いならすことを教え、
婚姻の制度を創設、
占い術を開始

②耕作と交易を民に教えた
紐を使った会計記録のシステムの確立

③結縄による記録方式に限界を感じ、
もっと効率のいいシステムの考案を求めた

これが「書字」の発明につながった

・伝説では、4つの目をもつとされる蒼頡(そうけつ)は4人の学徒に書字を教えた。
蒼頡が最初の文字のイメージを思いついたのは、一羽の鳥によって未知の動物の「爪痕」からであった。

この「豼貅(ひきゅう)」と呼ばれるものは、翼のはえたライオンのような動物であった。彼は、その爪痕を一本の線で表してみた。それからも特別なものが現れるとその対象をよく観察し、線で描くことにした。

こうして彼は、空の星や身のまわりの自然、ことに動物の足跡や爪痕の模様から文字を考案し、書く行為を進化させた。

・中国の文字は、自然に由来すると信じられていた。この点は重要である。中国文化において書くことと自然との相関関係は現代にいたるまで続いている。おもしろいのは、動物の足跡から書くことを覚えたという蒼頡の逸話が、鳥は書記官でゆえに鳥は神聖鳥であるというシュメール人の民間伝説とよく似ていることだ。

鳥の足跡は楔形文字に似ていたが、人間には読めなかった。

★49~50

・三皇伝説の中に事実がどれほどあるのか三皇が実在したのかどうかさえ定かではないが、中国の書字が卜占(ぼくせん)とともに始まり、農耕社会の発達と併行して会計記録に使われるようになったことは考証がなされている。

・中国人が、2千年以上も教えこまれてきた三皇帝伝説もまた中国のなんたるかをよく言い表すもので、そこに描かれているのは宗教と商業と官僚制が一体となった社会である。

古代ギリシャなどの地域と同じく、中国人のだれもが新たなテクノロジーを受け入れたわけではなかった。

中国の詩聖と多くの人が認める8世紀の杜甫は、文字の発明が官僚制を生みだしたとして非難している。杜甫の皮肉は、テクノロジーが社会を変えるとする誤解の典型例である。

実際にはその逆で、テクノロジーは必要とされたときに社会が発明する、のである。いうまでのなく、書字が中国の官僚制を作ったわけではない。

(中国の)官僚制は、文字が創設されていくなかで、大きな役割を果たした要素の一つでは、あった。

・中国社会が進化し、複雑化するにつれ、文字で記することの必要性が生じ、それがより書きやすい素材を求めることにつながった。

杜甫は「蝋をともせば、蛾が群がる」と皮肉っているが。

・伝説では、-2700年頃に、蒼頡が漢字を発明したとされる。しかし、証拠が残る最古の中国文字は、黄河流域で発見された、-140年ごろのものである。

メソポタミアから2000年、エジプトから1000年後のことであった。

・中国人が、農耕生活に落ち着いた商王朝(紀元前17世紀~ー1046年)の時代には、祖先だけでなく霊も神として崇められ、大事な決断の前には神霊への相談が欠かせなくなった。それはまさに文字に書かれた信仰でもあった。

(そして、その文字は)たいていの場合、亀甲や獣骨に書かれた。(このような)商時代の骨が15万片発見されている。



・中国人は時代とともに文字体系を切り詰めるかわりに拡大したので、紙が普及しはじめた紀元100年頃には、文字数は9000にまで増えた。
中国では新たな発想や新たな課題が生まれるたびに新たな文字が作られた。

・商が滅びたあとに興った(ー1046年~-256年)でも、書くことは相変わらず信仰に用いられたが、書写媒体は変わりはじめた。亀甲や獣骨に代わって青銅器、さらには帛(はく=薄い絹織物)や竹も使われだした。



この時期から「書く」と言う行為がさまざまの占いの習慣となって行く。現在までに発見された「易経」の写しはほとんど竹や木に書かれている。

こうした古い時代からすでに中国の官僚制と、のちの文書主義と呼ばれるものへの志向は、うかがえた。

・周王朝が開かれるころには、中国人は自分の生きている時代に関する意義深い記録を作成しつつあった。

墨子は「わたしたちの知識の源は竹や帛に書かれ、銅や石に刻まれ、青銅器にきりこまれているが、それはのちの世の人々に手渡すべきものだ」と書き記している。

老子は中国の大転換期を生きた。貴族社会の支配がゆるみはじめ、庶民も教育を受ける機会や官職に就く機会さえも手にすることができるようになった。

識字率も高まっていた。-551年にうまれ、-79年に没した孔子は、学問が特権階級の独占的な権利であってはならないという信念から、中国で最初の庶民のための学校をつくった。

このころには出自の低い著述家、思想家、科学者が登場している。

(2018年11月8日)