今日の社会において、大手マスコミの紙面・論調論調だけが、国民にとっての、情報源か。
もはや、新聞は、時代遅れであるというのに、笑止である。
1) 産経ニュースが伝えた
すこし長くなるが、引用しよう。
『集団的自衛権の行使容認のための憲法解釈変更をめぐる議論は1日、自民、公明両党の与党間で合意が成立し、政府が閣議決定したことで決着しましたが、これに対する新聞各紙の紙面・論調はやはり、産経と読売は評価、朝日と毎日は反対と真っ向から対立したままでした。
もはや、新聞は、時代遅れであるというのに、笑止である。
1) 産経ニュースが伝えた
すこし長くなるが、引用しよう。
『集団的自衛権の行使容認のための憲法解釈変更をめぐる議論は1日、自民、公明両党の与党間で合意が成立し、政府が閣議決定したことで決着しましたが、これに対する新聞各紙の紙面・論調はやはり、産経と読売は評価、朝日と毎日は反対と真っ向から対立したままでした。
私が書き続けてきたこの「朝日・毎日への反論」シリーズも今回で10回目となります。朝日、毎日両紙がこれまでの指摘を受け止めていただいたのかどうか分かりませんが、
集団的自衛権をめぐる報道ぶりや社説での論じ方は多少、変わってきたと思っていただけに、先祖返りして自らの従来の主張を読者に押しつけるばかりの「現実から目を背けた情緒的な紙面と論調」には落胆を超えてあきれるばかりです・・・
こういう真実をねじ曲げてまで、自らの主張を正当化しようとする紙面作り、社説はやはり「扇動」であって「報道」ではありません。新聞は何を主張しようが自由を保障されていますが、
少なくとも多くの読者を持ち影響力が大きい全国紙は、後世の歴史の批判に耐えうる責任ある報道をしていきましょう。どこかの政治団体の機関紙ではないのですから。』(産経ニュース 7/5)
2) 高橋氏の論理を見る前に
まず、一番先に述べておきたいのは、「多くの読者を持ち影響力が大きい全国紙」と言う認識についてである。
現在の日本においては、新聞は、最早その役目を終えている。今日、国民が、情報を得るためのツールは、新聞の紙面だけではない。
それは、携帯電話が、何よりも、普及したことによる。携帯電話は、最早、若者だけが持つものではなくなっている。
携帯電話、もしくは、スマホ。特にスマホは、今後ますます、普及して生きであろう。そして、スマホは、最早携帯電話の域を超えた。パソコンと同じである。
今日、田舎の高齢のおじいさん、おばあさんさえ、携帯電話を持たない、と言う人は、ほとんどないであろう。もちろん、その人々が、「ネットを通じて、情報を得ているかどうか」は、一概には、判断できない。
しかし、最早、情報得る手段が、新聞のみではない、と言う認識は、ある、と思う。そして、もう、「新聞からの情報を、鵜呑みにする時代ではない」事は、肌で感じているのではないか、と思われる。
こういうじだにあって、”「多くの読者を持ち影響力が大きい全国紙」と言う認識”は、適当であるとは、とても思えない。国民の多くが、新聞の紙面」だけに、影響を受けるとは思えない。
3) 果たして、高橋氏の認識は、正しいであろうか。
それでは身もフタもない、いうことになるので、前に進もう。高橋氏は、10回にわたって、朝日、毎日に反論してきた、と言う。
「高橋氏の論」を読むのは、この記事が初めてなので、この記事に述べられたことについてだけを見てみる。
さて、高橋氏は、以下のように言う。
『この4紙の社説の書き出しではっきりするのは、集団的自衛権行使の憲法解釈変更について、産経、読売が「現在の国際情勢において日本の安全保障はどうあるべきか」という観点からとらえているのに対し、朝日、毎日はつまり「国際情勢が変化しているとしても、日本は従来のまま一国平和主義を貫くべきだ」と主張していることです。どちらが政策的で論理的であるか、良識ある国民の方々には明らかでしょう』(同上)
朝日や毎日の”自らの主張を正当化しようとする紙面作り、社説はやはり「扇動」であって「報道」”ではない、という。
では、産経や読売はどうか。”どちらが政策的で論理的であるか”は、明瞭だという。
「良識ある国民の方々には明らか」である、と述べるが、果たしてこの認識は、正しいであろうか。
(この続きは、今日、これから、図書館に行って、この記事が、産経新聞紙上に乗っているのかどうかを、確かめた後で、改めて論じたい。)
(2014/7/6)