2014年7月7日月曜日

LS:イラク情勢。議会と国民の間(はざま)で苦境に立つオバマ大統領。(上)

イラク情勢が混迷してきている。
宗教が絡むことであり、簡単には、解決することはなかろう。


1) 毎日新聞の”クローズアップ2014”より

今年の5月には、外交、制裁、国際法の重視と、軍事でも多国間の枠組みを形成する、と宣言した。要するに、「軍事より外交」に重点を移す、と宣言した、そのオバマ大統領が、苦境に立たされているようである。

以下は、毎日新聞のワシントン支局の及川正也(北米総局長)の報告である。

『米国がイラクへの軍事介入を巡り揺れている。オバマ大統領が空爆に慎重姿勢を示す背景のひとつに、あいまいな自衛権発動という過去の教訓や、議会のチェック機能を強化して大統領の戦争権限を抑制しようとする議会の動きがある。

集団的自衛権の行使容認を決めた日本は、米国の思惑に振り回される形で、これまで以上に負担を求められる可能性もある。【ワシントン及川正也】
「海外での軍事行動に当たって最も問われるべきは、米国にとって安全保障上の利益にかなうかどうかだ(と、6月19日に、オバマ氏は、ホワイトハウスで述べた)」。・・・

アフガニスタン攻撃(2001年)、イラク戦争(03年)で6000人超の米兵が犠牲となり、国内にはえん戦気分が広がる。戦費もかさみ、国家予算も圧迫する。大統領の慎重姿勢の裏にはこうした世論と共に、シリア空爆を昨年夏に直前で回避した際に浮上した大統領の戦争権限を巡る議会との対立がある』(毎日新聞 7/4)
http://mainichi.jp/shimen/news/20140705ddm003030154000c.html

2) 米国は、戦後に少なくとも、これだけの戦争をした

アフガニスタンの前には、二つの大きな戦争がある。
鮮戦争とベトナム戦争だ。

① 朝鮮戦争=1950年5月から1953年7月まで。
② ベトナム戦争=1961年5月から1973年1月まで。
③ アフガニスタン戦争=2001年から2014年末までに撤退予定。
④ イラク戦争=2001年から2011年まで。

第二次世界大戦後だけでも、大きな戦争は、これだけある。
これ以外に、「小さな戦争」も、多い。

もう少し詳しく見てみよう。(wikipedia”アメリカの戦争と外交政策”から拾ってみる)

① アメリカ軍(トルーマン大統領・民主党)は、イギリス軍、フランス軍、その他の連合国軍とともに、韓国に侵攻した北朝鮮軍を韓国から排除することを目的として、朝鮮戦争に介入朝鮮戦争に侵攻した。

② アメリカ政府(ケネディ大統領・民主党)は、196111月、南ベトナムとアメリカに協力的な南ベトナムのゴ・ディン・ディエム政権を、北ベトナムと南ベトナム解放戦線から保護し、南ベトナムの共産主義体制化の抑止と、ベトナムの共産主義体制化によりベトナムを基点に東南アジア諸国が共産主義体制化することを抑止するために、 

南ベトナムに空軍と軍事顧問団を派遣し、19622月、ベトナムに軍事援助司令部を設置し、ベトナム戦争へのアメリカの軍事介入を開始し、南ベトナム解放戦線とその支配地域に対して通常爆弾・焼夷弾・枯葉剤などを使用した攻撃、空爆を命じた。

③ アメリカ政府(ブッシュ大統領・共和党)は、アフガニスタンのタリバーン政権がアル・カーイダに訓練基地を提供していると認識し、アル・カーイダの訓練基地を破壊し、タリバーン政権を打倒して、アフガニスタンにアメリカに敵対しない政権を樹立することを目的として、アフガニスタンに軍を侵攻させ、タリバーン政権を打倒した。

④ アメリカ軍(ブッシュ大統領・共和党)は、湾岸戦争の停戦条件で規定されたイラクの大量破壊兵器廃棄義務に対する違反行為の疑いを理由として空爆を行った。

これらの戦争は、すべて、米国本土への直接的な武力攻撃がないのに、米国側から始めたことである。

これ以外にも、ある。

レバノン派遣=1983年8月から1984年2月まで。
ニカラグア空爆=1983年から1984年まで。
湾岸戦争=1991年1月から3月まで。
ソマリア派兵=1992年12月から1994年3月まで。

3) 国内に、えん戦気分が広がって当然

まさに、戦争に明け暮れた、と言ってよい。
しかも、これらの戦争は、すべて、米国への直接的な攻撃があって始まった訳ではない。

「米国の国益を守るため」、という名目で、戦争を始めたり、戦争に介入した。
全てが、米国の「自衛のための戦争」、という訳である。

また、これらの戦争や派兵は、全て大統領の権限で行われた。(戦争開始後に、議会が決めたものもあるが)

米国は、世界中で、これだけの戦争をし、土地や建物を破壊し、多くの人々の心や体を傷つけ、また殺した。
もちろん、自分たちも傷つき、殺されもした。

これでも、破壊し足りないのであろうか。
人々を傷つけ、殺し足りないのであろうか。
傷つき、殺され足りないのであろうか。

国内に、えん戦気分が広がって、当然である。
そうならないとしたら、それはもう、狂気である。
正気の沙汰ではない。

4) 大統領の戦争権限を抑制しようとする議会の動き

それでも議会が動かないとしたら、米国の議会そのものが、病んでいることになる。大統領の戦争権限を抑制しようとする動きが出てきて当然である。

『5月21日の上院外交委員会。


イラク空爆の検討前だったが、武力行使を発動する権限を持つ大統領をけん制する討論が行われた。「(大統領への)白紙委任の時期は終わった」。与党・民主党のケイン議員からも大統領権限を抑制する声があがった。
「合衆国憲法第2条は大統領を米軍の「最高司令官」と位置付け、部隊を動かす権限があると解釈される。一方、多くの米兵が犠牲となったベトナム戦争の教訓から、連邦議会は大統領の権限を抑制して安易な軍事介入を阻止するため戦争権限法(1973年)を制定した。
同法は米国への直接攻撃を前提とする。「急迫」の脅威が「明白」な場合に軍事行動を認めており、原則として議会の宣戦布告か承認が必要だ。しかし、過去の軍事介入の多くは大統領の権限で発動され、議会への報告も形式的だった』(同上)
ベトナム戦争の反省から、一度は、大統領から、戦争権限を奪い返した議会であったが、実際には、戦争は、大統領の命令では始められた。米国にとっての、「今そこにある危機」だから、という訳であったのだろう。
三権の分立が徹底している米国と言えども、「国家の危機」においては、政治の中枢にいる者の権限が優先される、ということは避けられないことなのであろう。
5) 今までの反省の中で、新たな動きが
『今回、議会側は「攻撃には議会の承認が必要」との意見が根強い。
オバマ政権が、自衛権に基づく対テロ戦争の一環としてイスラム国を空爆するという見方もある中、国防総省のプレストン法律顧問は「議会決議に関わらず、差し迫った脅威があれば、大統領には行動する憲法上の権限がある」と発言。政府と議会の溝は広がった。
「議員にとって軍事行動の決定ほど重要な仕事はない。政治的な合意の努力抜きに命を落としかねない若者に『戦え』とお願いできるのか」。
新戦争権限法案を共和党のマケイン上院議員と提出したケイン議員は、こう指摘した。法案は政府と議会の事前協議を柱として、議会のチェック・アンド・バランス機能の強化を強調する』(同上)
誰が決断するにせよ、戦地に赴いて、「実際に血を流すのは、前途ある若者」である。いい加減な手続きでよかろうはずがない。
慎重に検討するということは、一つの権力で、勝手に決めない、ということだ。まして、「自衛権に基づく対テロ戦争の一環」として、という曖昧な理由ではなおさらのことである。
今回はここまで。次回は、(下)として、日本との関連について考察する。
(2014/7/7)