2014年7月4日金曜日

 もうこの辺で止めにしないか。共に手を携えて進もう。そうすれば、前途は、明るい。

深慮遠謀の跡がうかがえる。
適切な判断であると思う。
そのタイトルは「中韓首脳、北の核「断固反対」 慰安婦研究、会見で日本批判せず」である。


1) 東京新聞の記事より

『中国の習近平国家主席は3日、国賓として韓国を初訪問し朴槿恵大統領とソウルの大統領府で会談した。双方は共同声明で「朝鮮半島での核兵器開発に断固として反対する」と明記。声明付属文書で旧日本軍の従軍慰安婦問題について関係機関による共同研究を進めるとした。中韓自由貿易協定(FTA)の年内妥結に努力することでも合意した。
 会談後に共同記者会見した両首脳は歴史問題で名指しの日本批判を避けた。中国中央テレビによると、習主席は会談で来年が抗日戦争勝利と「光復節」から70年だとして、中韓共同の式典開催を呼び掛けた』(東京新聞 7/4)

両国首脳の深慮遠謀の跡がうかがえる。
適切な配慮であると思う。

たとえそれが、米国への配慮を考慮した結果であったとしても、いい傾向であると思う。

2) 個人にも、国にも、過去はある

中国、韓国、日本の三国が、共に手を取り合うことこそが、重要であると思うからである。
個人にも、国にも、過去はある。

しかし、過去に縛れらて、足を踏み出せないのなら、何のために、現在を生きるのであろうか。
単に、贖罪のためにのみ、生きるであろうか。
生きるべきなのであろうか。

前進することは、許されないことなのであろうか。
過去に拘泥して、現在を無駄に生きる事しか、許されないのであろうか。

憎しみつづけ、あるいは、憐れみ続けて、生きていくしか方法がないのであろうか。
もし、そうであるとすれば、我々は、「生きた化石」に等しい。

われわれは、「人間は考える動物である」、と自慢する。
だが、誰に向かって、自慢するのであろう。

人間以外の動物たちに対してであろうか。
そうだとしたら、動物たちは、こう反論するであろう。

俺たちは、確かに「言葉を持たない。だから、考えることが出来ない」
だが、それなりの知恵はある。
だから、お互いに、同じ兄弟を憎んだり、蔑んだり、殺したりはしない、と。

3) 「もうこの辺で、やめにしないか」

三国は、それぞれに、過去がある。

中国と韓国(朝鮮)。
中国と日本。
韓国(朝鮮)と日本。

それぞれに、複雑な,経緯がある。

韓国(朝鮮)は、過去において、日本にとっての、偉大な教師であった。
江戸時代、鎖国をする中においても、韓国(朝鮮)との窓口は、閉ざさなかった。

中国とは、言葉に尽くせぬ経緯があるが、日本は、多くを中国から学び、手本とした。
そのことを、日本人は忘れてはいない。

中国と韓国(朝鮮)との間にも、さまざまな経緯があったことを、現代の日本人は、中国ドラマや韓国ドラマなどを見る事で、知っている。

我々は、これまで、過去にこだわり過ぎることで、お互いに、多くの時間を無駄にしてきた。
そしてまた、自分たちの事だけを重要視して、相手の事を、深く考えようとは、してこなかった。

お互いを非難し合うことで、自分たちの正しさを、証明しようとしてきた。


だが、もうこの辺で、やめにしないか。
お互いに、過去にこだわって、憎しみ合ったり、蔑み合ったりすることは。

それは、我々自身を傷つけ、みじめにするだけである。
本当に戦うべき、「真の敵」を、喜ばすだけの事である。

我々が、共に手を携えていけば、その前途は、明るい。
たとえ、苦労が多くとも、希望に満ちたものとなるであろう。

共に、進もうではないか。

(2014/74)