2016年10月6日木曜日

「統制」撤廃で各都市の市場に魚、野菜があふれた

<児島 襄『講和条約』第1巻>
当事、新聞は「餓死者」について報じていました。5,6人というような人数ではありません。3ケタ台の数字でした。
こういう中で、やがて、政府は「生鮮食料品の統制」に踏み切ります。


物はある、政府が出させないのだーーとの趣意の批判をした、公衆衛生福祉局C・サムズ大佐も、満足の意を表明した。

「これは食料の解放にして、物価も安定に向かうべし」
自由競争を基本とする自由経済こそ本来の姿だ、と言うのである。

そして、大佐の期待は現実化するものと観測された。

統制撤廃日の11月20日、すかさず各都市に魚、野菜が、「嘘ではないか」と新聞が叫ぶほどに、一挙に出回った。

東京では、銀座、上野、浅草などに魚屋、八百屋が出店して”自由市場”をひらき、築地中央市場でも、久しぶりに大量の入荷によるセリの声が響いた。

農林省は、係官を派遣して状況を調査させた。

政府は、不安と懸念を感じていた。

公定価格すなわち統制価格と、実際価格であるヤミ値との格差は大きく、前者が有名無実になっているのは、明らかである。

統制撤廃は、その実情にあわせた措置であるが、同時に、米国側が言う自由経済は、政情の安定、産業・貿易の自由などにより、物があることを前提にするはずである。

だが日本には、物があるにせよ、少ない。増やす手段も機会も、与えられていない。

そんな環境で、政府の手綱がきりはなされたらどうなるのか。

統制撤廃は、そのままヤミ市場の公認となり、物価を上昇させるだけではないか。

それとも、業者も「お互いさま」民主主義にのっとり、消費者のために自制心を発揮するのであろうか。

政府は、調査により「ある程度」の安定感を得た。

この日に記録された一貫目あたりの”自由値段”は、次のようなものであった。(かっこ内は、公定価格)

にんじん8~12円(4円50銭)、大根8円(1円50銭)、ごぼう15円(6円)、春菊10円(2円50銭)・・・

いか21円(3円40銭)、ハマグリ5円(3円50銭)・・・

はまぐりについて、新橋のヤミ市値段8円の2倍近く、買い出し人も歓声を上げた。

「ヤミのまた倍なんざア、消費者が可哀想ぢゃねェか」

だが、一般の肯定価格の5、6倍以上の高値は見当たらなかった。

市民たちの反応も、意外に明るかった。

公定価格の数倍であっても、収入もとぼしいだけに、 「高嶺の花」である。

戦時中の配給生活。並んで待つ女性と子供。
敗戦までの昭和20年間は、「満州事変」「シナ事変」「太平洋戦争」と、準戦時また戦時態勢がつづき、生活窮乏度は増すばかりであった。食料不足も体験
済みである。

戦後生活も、だから、市民たちにとっては当然の災厄の到来ではなかった、といえよう。

市民たちの願いは、平時生活への復帰である。

配給とヤミ買いとはちがって、皿に山盛りになった魚、積み上げられた野菜を自分の手で買えるのは、なつかしい平時の日の訪れともいえよう。

「高いが、あるねェ」

どこでも、そんな喜声に似たつぶやきが聞こえた。(P・24-25)

(2016年10月6日)

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