2016年10月22日土曜日

人間の心も体も「生きるための道具」 一番尊いのは霊魂

私は、かって、この中村天風の本で、「九死に一生を得た」ことがある。
想えば、不思議な出会いであった。


その後、中村元(はじめ)博士とも、「出会うこと」になる。
が、いずれも、両賢人に直にお会いしたことが無い。

それでも、直にお会いしているかのような錯覚にとらわれるから、不思議だ。

以前にも、書いたが、何も現実の世界だけでの「出会い」が、出会いではない。
本を通じての、出会いもある、のだ。

かえって、そういう出会いの方が、長続きするかもしれない。
こういう出会いででは、「裏切られた」ということがない。

仮に、「裏切られた」ということがあったにしても、それは自分自身のせいである。
だれに、責任をかぶせることが出来ない。判断したのは、自分であるから、だ。

さて、中村天風はこう言っている。




       *      *      *

どんな場合であっても,肉体が自分だなんて下等な気持ちで、人生に生きちゃいかんぜ。そうかといって、心が自分だと思うと、人生を生きる場合に非常に生きづらい負担をよけいに感ずるという結果がでてくるのよ。

なぜだというと、心が自分だと思うと、精神至上主義に知らざる間におちいっちまうんです。一にも、二にも心となると、理性を培養して人生を生きることがいちばん賢いというような断定を知らざる間につくっちまう。

そうすると、何でもいい、学問しさえすれば、結局、自分と言うものは満足に生きられるという、とんでもない寸法違いでさかんに理知を増やそうとする。

すると、その結果はどうなる?いかに理知を増やしても、磨いても、この世の中には、わかることと分からないことがあって、わかることより分からないことの方が多い。

だから、メーテルリンクが何て言った?「極め能(あと)う限りは極めるがよし、さりながら極め能(あた)わざるものは信ずるにしかず」。

孔子もすでに2千年の昔こういった。「学んでいよいよ苦しみ、極めていよいよ迷う」。精神至上主義になったら、やりそこなうよ。そこを間違えちゃいけない。

よろしいか、心を尊く、強く、正しく、清くいきろ、そういうふうに生かすために、明るく朗らかに、生き生きとして勇ましい気持ち、心持をもつようにしなさいと言っているのは、精神至上主義じゃないのよ。

精神至上主義っていうのは心がいちばん尊い、心以上に尊いものはないという考え方。私の教えはそうじゃないだろう。人間は心も体も生きるための道具。一番尊いのは霊魂という一つの気体。これがあなた方の正体なの。

       *     *     *

最初に読んだころからすると、少しは考えが違ってきているが、それでも中村天風は、すばらしい。

どこまでも、我々、凡人に優しい。
そして、どこまでも、元気に生きていく、勇気をくれる。

(追加して、再送しました。2016/10/23

(2016年10月22日)