2016年10月4日火曜日

大佛次郎著『天皇の世紀』フェートン号、水と食料を得て逃走

<大佛次郎『天皇の世紀』 1>
池のように静かな湾を囲んで、何が起こるかも知れぬ無気味な時間が過ぎて行く。たしかに200年平和に過ごしてきた市民には
初めての緊迫した経験である。


午後4時になって、人質となっていたホゼマンが急に日本に送られて来てズーフの前に現れた。船長ペリュウは18,9歳の青年で、オランダ船が日本に来ているかどうかを隠さずに言わぬと殺すと言ってホゼマンを窮迫した。

その後に短艇を出して湾内を漕ぎまわって検分をさせ、ホゼマンの言うとおりオランダ船が来ていないのを確かめると、「予は飲料と食糧とを得るため予の小艇にてホゼマンを陸に送る。

若し同人が夕刻までにこれを携えて本船に還らざる時は、予は明朝早く回纜(かいらん)して、日本及シナの船舶を焼き払うべし」としてフリートウッド・ペリュウと署名した書面をもたせて帰らせた。

食料を以て暗れぬ時もホゼマンは必ず船まで帰ること、さもないとスヒンメルを容赦なく死刑にすると、船長はホゼマンを送り出しながら口頭で伝えた。

ズーフはこの脅迫的な書簡を松平図書頭に見せた。奉行が耐え難い激怒を抑えているのが、ズーフにもよく解った。


奉行はズーフに、英国人は要求を容れれば人質のオランダ人を間違わずにかえしてくれるとお思いですか、と念を押すように尋ねてから、水と食料を送るのに同意した。

まったく人質を救出しようとする人道的な意味で、武士として、忍び難いものに屈服したものである。

二人が帰るのを待つ間は不安であった。イギリス人が約束を破って人質を返さないことでもあれば、松平図書頭は武士の名誉はまったく地に落ちる。

ズーフも寛大な奉行の切ない心中を知っていた。

人質が無事に帰ると、奉行は、無礼な恐喝をした外国船をどうやって処罰すべきか、方法を考えた。ズーフは、フェートン号が十分に武装した軍艦で、これは困難なことだと伝えた。

襲撃しても海上のことだから、逃げてしまうのである。港湾の狭い水道に石を積んだ船を沈めて退路を塞ぐことが出来れば別だが、さもないと、さもないと、脱走を防ぐのは不可能に近かった。

図書頭は夜が明けたら使いをイギリス船に出して、口実を設けて出帆を遅らせように申し入れた。朝になると、待っていた大村候の軍隊が長崎に着いた。

300隻の小船に藁と矛を一杯積んで火を放ちイギリス船を囲んで、焼き打ちにする計画が提議された。

同じ朝に風が東に変わった。順風を見てフェートン号は人々が開眼から見ている前で出帆して遠く外洋に出ていった。逃げられてしまったのである。(P、75-76)

(2016年10月4日)

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