2016年10月6日木曜日

外務省、「平和条約問題研究幹事会」を組織する

<児島 襄『講和条約』第1巻>
昭和20年11月21日、外務省に「平和条約問題研究幹事会」が組織されたーー 
平和条約すなわち講和条約について
、とりあえず事務担当者による「予備的研究」を行っておこう、という趣旨のものである。


実際の作業は年が明けてからのことにして、この日は・・構成メンバーを定めた。


会のメンバー
・・・略・・

戦闘は休戦条約で停止し、戦争状態は講和条約で終止する、といわれる。

その理屈は、わかる・・・が、多くの国民にとっては、現実は、そのような法的理解とは別の場所にあるように思える。

日本は敗けた。日本は占領された。

ということは、占領も戦争状態ではあろうが、実際には戦争は終わったのである。いまさら戦争を終わらせるための講和条約は不要なのではないか。

総司令部は、矢継ぎ早に日本改革のための指令を発出し、日本はその実行に追われている。

それは日本が降伏条件として受け入れたものであり、占領軍は、それらが実行されれば引き揚げるという。

国民は、いまや、外国支配の占領下において、政治体制の変革に揺れ動きながら、その日の食糧に苦慮する生活に耐えている。

同時に、これまでに述べたように、敗戦後4か月の体験で、いくぶんかは占領に慣れ、進駐軍との”共存のコツ”を自得しはじめていた。

総司令部が投与する指令を、単調で暗い黒白色の過去から、多彩で明るい天然色の未来に導いてくれる指針のように理解して、占領を歓迎する市民も増えた。

講和条約と聞いて、想起されるのは「日露講和条約」である。

同条約は、しかし、日露戦争において日本、ロシア両国ともに戦勝の決め手がなくなったために、日本が米国大統領T・ルーズベルトに仲介を依頼して成立したものである。

「軍事闘争」を「外交闘争」に転化した成果であり、だから、まず、外交折衝によって平和(講和)が達成され、それにともなって戦闘停止(休戦)が実現している。

今度は、違う。

日本は「軍事闘争」に完敗し、日露戦争のさいのように、継戦力を残しての「外交闘争」の余地もなく、降伏した。

そして、その降伏条件を実行するために、日本は「保障占領」されているのである。

これまでの通念では、講和条約で戦争が終わり戦争処理のための条件が定まり、それを実行する「戦後」がはじまることになる。

だが、日本の現状は、すでに「戦後」そのものだといえよう。

では「戦後」に入っているのに、「戦後」をきめる講話条約が必要なのであろうか・・・。

そういった想いをさそわれないまでも、よいうやく両国(相撲会場)に復活したやぐら太鼓に目を細める一般市民にとっては、講和条約はまだまだほど遠い関心ごとであった。

外務省も、あるいは連合軍側は対日講和条約に至急の関心を持たないのではないか、と推理した。(P・30-31)

(2016年10月6日)