2016年10月1日土曜日

大佛次郎著『天皇の世紀』太平の世にある人びとの目を覚まさせた、フェートン号事件

<大佛次郎『天皇の世紀』 1>  舞台は長崎の出島に移ります──
窓は小さいが、ここで受けている風は、いつも新鮮で、遠く大阪、江戸、もっと奥の仙台あたりにまで通っていた。
禁断だった海外の知識に、それほど渇いていた事実が人に在る。


これが、やがて学問の他の動機から、まだ年若い勝海舟、坂本竜馬、高杉晋作、伊藤博文、井上馨などの次の時代を作った人々が、新しい知識や技術を知ろうとして、また海外の事情を聞こうとして、いそがしく足を運ぶ土地となった。

たしかに江戸湾の水はロンドン橋の下の水と通じ合っていた。船首には人体の彫刻を、船尾にも思い装飾をつけて船足がおもかったオランダ船の時代は去り、帆船でもクッリッパー型の、鋭く軽快な船体で海を早くわたるようになったし、蒸気機関が外洋船に取り付けられてから、風を帆にとらえなくとも自由に遠距離の航海が可能となる時代が来ていた。

日本の鎖国は、日本列島が極東の奥深くにあったせいで、長いあいだ安穏に維持されたが、航海術の発達から海洋が狭くなると、オランダ船、唐船以外の外国船が近海に現れて、祖先から受け継いで来た異国に対する警戒本能を刺激するようになった。

長崎は良かれ悪しかれ、外からの風をまともに受ける場所であった。土地の人たちは、アチャさんと愛称で呼ぶ習慣だった唐人とも、オランダさんとも二百年も続いた友好関係で親しい目でながめたが、この両国以外に外国船がふいに来るのを見て、驚くことが起こった。

その最初のショックが、平和な長崎の湾内で、文化5年(1808)に起こったフェートン号事件であろう。

この外国船は、日本人が知っているオランダの国旗をマストに掲げて長崎に入港してきた。新暦の10月に入って、秋の光が池のように静かな海に憧れている眼である。

水平線に姿を現したこの船に、それまで日本人が知らなかったヨ―ロッパの烈しい意志が隠されて来た。




・・・・

(久ぶりで長崎にオランダ船が入港したと思ったら、それは実は英国船でした。乗組員が、様子を見に来たオランダ人を拉致します。

当事、英国とフランスは戦争中でした。オランダもこの戦争に巻き込まれていました。

長崎の役人は、船の主と刺し違えても、オランダ人を助けると言い張って、商館長を驚かせます。やがて、)

次の日の朝になると、沖合の船はオランダの旗をおろして公然と英国旗を掲げた。これはドリユリ提督の下に属するイギリス船フェートン号で、大砲数門を備え、オランダ船を拿捕して日本貿易を破壊する目的で、日本近海を巡邏し、長崎の湾内に侵入してきたものである。

船長はフリートウッド・ぺリュウである。イギリス船が偽ってオランダ国旗を掲げて、湾内に侵入し、武力を盾に我物顔に湾内を調らべて廻ったのである。(p、70-74)

(2016年10月1日) 

0 件のコメント: