2014年6月9日月曜日

「児童ポルノ法」の改正が、成立へ。AKB48とナルシシズム時代における犯罪。

「総選挙」と言われ、国政選挙しか頭に浮かばないものは、時代遅れ、であろう。
さる6月7日、「味の素スタジアム(東京都調布市)で開票イベントが行われ」た。「数万人のファンが会場に詰めかけ」て、「開票の結果、渡辺麻友さん(中間発表2位、昨年3位)が1位に輝」いた。

スナックに行って、カラオケを歌わなくなって、久しい。
今、どんな歌が流行っている、のかも、知らない。
まして、このイベントが、何のために行われたものである、のかさえ、知らない。

ただし、AKB48と言うグループの存在ぐらいは、知っている。

このAKB48のイベントに参加した人々(「追っかけ」と呼ばれる人々。)
そして、直接参加はしないが、テレビなどで見ている、人々。

それらの人々は、一体どれくらいの人数になるのであろう。
さらに、それをウオッチする、スポンサーの存在。

これらの事には、関心はないが、彼らの精神構造には、関心がある。

それは、一言でいうと、ナルシシズム、である、といえる。(スポンサーは、除く)

つまり、AKB48という、「アイドルの中に、自分の姿」をみる。
このことである。
この事が持つ意味を探ってみたい。

それを、補助線に、「児童ポルノ法」の改正について、2,3の問題点を考えてみたい。

 「ナルシスの故事」のもつ意味

さて、私のブログの、プロフィールには、水仙が貼り付けてある。
言わずと知れた、「ナルシスの故事」に、ちなんだもの。

この故事の教訓は、「自分しか愛せないものは、他人を愛せない」というものである。

自分だけを見る。見続ける。愛し、愛し続ける。ひたすらに、自分のみを,かわいがる。

そのようなものは、人間ではない、から、花になれ。
そして、永遠に、「水面に映る自分を見続けろ」、というのが、「神の命令」だった。
だから、水仙の花は、太陽を仰ぎ見ることなく、下を向く。

この、ナルシシズムには、「他者への視線(視点)」がない。
あるのは、ただただ、自分への視線のみである。

だから、他人の命を簡単に奪う。
だけでなく、そのことに、何の「苦しみ」を感じない。

* ナルシシズムは、恐ろしい。

だから、ナルシシズムは、恐ろしい。
同時に、アイドルが生み出す、ナルシシズムの危険性、を考えずにはおれない。

そして、それが、アイドルと同じ世代だけでなく、若い親の世代にまで、拡散している。
付け加えて言えば、それは、年齢的にだけでなく、全世界的(地域的)規模で、拡散している。(この点は、近いうちに、記事にしたい)

最近、毎日のようにニュースで報じられている、幼児や乳幼児の虐待。
それも、死に至るまでやめない、あるいは、死に至らしめる、という親にもあるまじき行為。

これらは、色々、原因は考えられると思うが、最も大きな原因は、ナルシシズムではないか、と思う。

先日も、若い夫婦が、5歳の子供が勝手に菓子を食べた」といって、「結束バンドで手足を縛る」、という報道があった。

これは、「親としての自覚」が足りない、というより、「自分の事しか考えられない」、というナルシシズムが、働いているのであろう。

* 法律を改正すれば、児童ポルノを制作する人々を無くせるか

さて、衆院法務委員会は4日、児童ポルノの所持規制を強化する児童買春・ポルノ禁止法改正案について、委員長提案として本会議に提出することを全会一致で可決した。個人が趣味で児童ポルノの写真や映像を持つ「単純所持」を禁止することが柱。5日の衆院本会議で可決、参院に送付する。22日の今国会会期末までに成立する見通しだ」(東京新聞
と報じられた。

たしかに、児童ポルノの所持、インターネットなどで、提供すること。場所を考慮せずに、販売する事などには、問題がある。

しかし、何よりも問題なのは、そのような児童ポルノを、制作する人々の存在である。

だが、この事は、いくら取締りを厳しくしても、なくなりはしまい。
また、取締りを無制限に、厳しくすることには、問題がある。(この事は、後に述べる)
そのような、児童ポルノを制作する人々の心の中には、先に述べた、ナルシシズムが横たわっている、と思う。

他者。まして、抵抗する力のない幼児や児童を、対象にして、ポルノを制作するという行為は、「他者への視線を持つことが出来ない」という、ナルシシズムなくしては、考えられない。

世の中が、アイドルを求め、こぞって、アイドルを称賛し、異常とも思えるイベントの開催に、異常さを感じない社会、こそが、多くの若いナルシストを生んでいる。

やがて、彼らは成長するが、「大人」にはなれず、ナルシシズムを引きずる。
自分の事のみに、関心を集中させ、他人と交わろうとしない。

他人の痛みがわからない。
解ろうともしない。

だから、「犠牲になる」幼児や児童の心が、理解できない。
法で規制しても、無駄なことであろう。

* 規制の強化。そのことへの懸念

ところで、今回の改正は、以下のような懸念もある。

 今回の改正案については、業界団体などから反対の声が上がっている。日本雑誌協会と日本書籍出版協会は65日、共同で「表現規制につながる危険性をはらんでいる」と反対声明を発表した。
児童ポルノの定義に文言が追加されたことについて、「依然、定義が曖昧なままであり、いかようにも解釈されうる欠陥がある」と批判。単純所持禁止の規定についても、「そうした事実はどのように証明できるというのだろうか」としている。さらに、「捜査機関が過去に入手した物を理由に家宅捜索を行う危険性さえある」と懸念を示した」(弁護士ドットコム)
また、BLOGOSに投稿された、「兎園」という投稿者は、
「それに今回の衆議院法務委の審議を見ても自公の議員を中心に漫画やアニメの規制に対する執念は凄まじく、この法改正案が通ったとしてもそれで終わりなどということは全くないだろう」BLOGOS)
と書く。

何故、「自公議員を中心」とする議員は、それほどまでに、規制に執念を燃やすのか。

これは、要するに、この法改正を手掛かりりにして、インターネットの利用者にたいして、ひろく網をかけたい、と言う思惑がある、のではないか。

かっての、「治安維持法」は、最初は、「当然だ」、と思われることから、取り締まりが始まった。
そして、取り締まりの輪が、すこしづつ広げられていった。

警戒すべきは、ここである。
取り締まりが、児童ポルノに、とどまっている内は、良い。
それが、少しづつ広げられていき、やがては、表現の自由全体が脅かされる、ことになる。

この危険が潜んでいる事が、問題である。
これは、単なる杞憂ではない。
今年中には、「特定秘密保護法」が施行される。

法律は、それだけを見ていたのでは、条文のみを読むだけでは、その本質が理解できない。多角的(単に、その法律のみでなく)に考える必要がある。

そうでないと、「自公の議員を中心」に、「すざましい、執念」を燃やす、彼らの意図が理解できない。
彼らが、本当に、幼児や児童の命を大切に思う、のなら、現在の義務教育や幼児教育をこそ、まず一番に、改正すべきである。

自国の国民(将来の若者)が、「他国の国民のために血を流すこと」になるような、安倍政権の、集団的自衛権の行使の容認にこそ、こぞって反対すべきである。

≪参考にした図書の案内≫
『糸川英夫の人類生存の大法則』 糸川英夫著 徳間書店 1995年刊

なお、この本は、科学とは何か。あるいは、科学と技術の違い。
科学的態度とは、いかなる態度を言うのか。
日本で、真の科学が理解されない理由、など。
科学について、やさしく解説されている。