2014年6月8日日曜日

姑息な安倍政権。「集団的自衛権の行使」の容認をめぐる、与党協議。

国民をわきにおいて、安倍政権は与党協議に熱中している。
自民党と、公明党の間で、「し烈な戦い」が、おこなわれている。

どうしても、公明党を説き伏せたい、自民党。

そのためか、果てしない、迷走が続いている。


一方で、連立は解消したくない。

が、集団的自衛権は、党のメンツにかけても、認められない公明党。

与党協議は、党員や創価学会員の手前、「板挟みに」なっている公明党の姿を、浮き彫りにする。 


 安倍政権はいつ「変身する」か、知れない。

安倍政権は、この3日に提示した、4条件をもう撤回する、という。

不定見、不見識も、はなはだしい。

このような態度では、安倍政権は、いつ変身するか、知れたものではない。


取りあえず、譲歩しておいて(外堀を埋めておいて)、公明党が認めたら、変えようという心が、見え見えである。


『自衛隊の海外活動の際、憲法九条に基づき禁じられる「他国による武力行使との一体化」の判断基準をめぐり、政府は六日の与党協議で、三日に提示したばかりの四条件を撤回し、戦闘中の現場でないことを基本にした新たな三つの基準を提示した。撤回は公明党の反対を踏まえたものだが、新基準も従来禁じられてきた「戦闘地域」への自衛隊派遣を認め、人道的活動は戦闘中の現場でも可能にする内容。支援活動中の自衛隊が結果的に戦闘に加わるとの懸念は残ったままだ。 

 政府が示した基準は、(1)戦闘が行われている現場では支援しない(2)後に戦闘が行われている現場になったときは撤退する(3)ただし、人道的な捜索救助活動は例外とする-との内容。その上で、前の基準と同様、武力行使との一体化を避けるため、派遣先を戦闘行為が行われない「非戦闘地域」に限定していた従来の地理的制限は撤廃する方針を示した。

自衛隊の物資輸送支援は銃弾が飛び交う戦闘中でなければ、戦闘地域内でも可能になる。政府側出席者は会合で、基準に反しなければ、武器・弾薬の提供も可能との見解を示した』(東京新聞 5/6)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014060790070607.html

もうこれは、戦争を想定した議論である。(もちろん、議論する事が悪いとは、言わない。)
しかも、相変わらず、「後方支援は、戦争ではない」、という暗黙の了解がある。

確かに、後方支援は、「鉄砲を打ち合う」訳ではない」
だが、後方支援がなければ、戦闘は成り立たない。

早い話、「弾を打ち尽くし、兵士がいなくなり、食い物がなくなれば」終りである。
それを補うのが、後方支援だ。
当然、敵の攻撃対象となる。

相手とすれば、後方を断つ事こそ、戦争の要諦。
これは、常識である。
だからこそ、かって、日本軍は、「媛蒋ルート」を断つために、無謀な「インパール作戦」をやった。

米軍は、日本の輸送船(軍、民間を問わず)を、沈めまくった。
日本軍は、このため、「竹やり」で戦うこと、となった。(硫黄島で戦った、栗林中将の例。ガダルカナルの戦い、の例・・・)

かくして、戦争に負けた。

 何故、日本の自衛隊が、海外の戦闘地域で、「活動」をするのか

すこし、脱線しすぎ。話を元に戻す。

この案は、譲歩したものの、「戦闘地域での、活動を容認する事」には、変わりがない。

ところで、何故、わざわざ、日本の自衛隊が、戦闘地域に行ってまで、「人道的な捜索救助活動」をする必要がある、のだろう。

また、「人道的な捜索救助活動」とは何か。
この記事には、その説明は、ない。

「人道的な捜索救助活動」の必要性、何故、日本の自衛隊が、それを行うべきなのかも、示されていない。

もちろん、具体的な議論があったのであろう。

次に、「銃弾が飛び交わない所」であると、だれが、どう判断すのか。
これも、説明がない。

ここが戦闘地域、そうでない地域、の判断は、誰が行う。
これも明らかにされていない。

 国会こそが、言論の府。議論は、そこで、すべき。

このような事を与党の閣議協議で決めて、それを国会で、押し通そうとすること自体、国会軽視である。

安倍政権内で、意思統一を図りたい、のは解る。
しかし、自民党内でも意見の相違があろう。

当然、公明党内での意見の相違もある。
先日、「認めるべき」と、堂々と?発言した公明党の議員もいる。

意見の相違があって、当然である。
だからこそ、国会という場をある。

ここで、議論せずに、どこで議論をする。
国会こそが、言論の府、ではないか。

「国の命運を左右」するようなことについては,まず、国会で十分に議論を尽くす。
それこそが、議会制民主主義の本質である。

まず、与党協議のような議論こそ、国会内において、討議すべき、である。
集団的自衛権の行使は、日本の運命を大きく変えるもの。

軽々しく、政権内で議論すべき課題ではない。
ましてや、初めから、期限を限って決める、などとは。

おまけに、それは、米国が「急げ」と要求する、からである、なんて。
「内輪」で決めておいて、数をもって押切る、など、言語道断。


日本において、「高級」官僚によって、三権が簒奪(うばい取られること)されて、久しい。
既に、日本国憲法は、「脳死」状態にある。

これは、それを示す、典型的な例。
もし、これが許されるのなら、安倍政権においては、何でも自由にやれる、ことになる。

もうこれは、近代絶対権力に等しい、もの。
法も、伝統も、神をも恐れぬ、所業。
「ヒットラー」も顔負け。

まさに、リヴァイアサン、と呼ぶに、ふさわしい。

しかし、現実には、「ウルトラマン」は存在しない。


さて、この怪獣を、誰が、「退治」する。