2014年6月16日月曜日

自民党の石破幹事長の「解釈変更で(集団的自衛権の)行使可能となる理由を語ろう」に反論する。

集団的自衛権の行使の容認の協議についての、自民党と公明党の「せめぎ合い」が、佳境に入っている。

そんな中で、推進役の一人である、自民党の石破幹事長のインタビュー記事を「DIAMOND online」で、見つけた。

大手マスコミのニュースでは、あまり踏み込んだ報道がなされない中で、これは貴重な記事である、と思う。

まして、石破茂幹事長は、「政界きっての安全保障問題の政策通」である、と言われているから、なおさらのこと。

そのタイトルは、「冷戦時代と安全保障環境は全く違う   解釈変更で行使可能となる理由を語ろう」というもの。(2014/5/23)
http://diamond.jp/articles/-/53448

長文である。
石破幹事長の見解を要約すると、以下のようになろう。

① 憲法のどこにも、(集団的自衛権の行使の)明示的な禁止規定がない
② 前文には、「他国を無視してならない」、という文言がある
③ 「解釈の変更」ではなく、「解釈の解釈」を変える

④ 米軍が、グアム、ハワイに移動すれば、日本を守る義務がなくなる
⑤ 今までは、米軍の都合で、米軍を置いていた。だが、もう、主体的に考える   べき時だ。
⑥ 集団的自衛権は、権利であって、義務ではない
   だから、自動的に、巻き込まれることは、ない

⑦ イラク戦争は、集団的安全保障措置であった
⑧ 集団的自衛権の行使は、特定国を念頭に置いたものではない
⑨ 日本のイージス艦が、ミサイルを撃ち落とす能力を持っている(とした時)のに、何もしなければ、日米同盟は破棄される

⑩ 日米同盟の破棄は、考えるだけでも、恐ろしいこと、である
  また、米中に関係なく、行使できるように準備すべき
⑪ 今すぐに、「我が国がなすべきなのに、出来ないこと」がある、というのが、  安倍首相の真意

* 私の見解・反論を、以下に述べる。

 「憲法のどこにも、明示的な禁止規定がない」について

だから、何をしてもよい、とはならない。

 明示的な禁止がなければ、「何をしてもよい」ということになれば、もう何でもできることになる。条文など、あっても意味をなさない。
条文など、「必要でない」、ことになる。

元々憲法は、権力を縛るために、大まかに、条文が規定してある。
また、憲法は、慣習的なもの、でもある。

また、法律というものは、本来そういうものである。
だからこそ、歴代の自民党政権は、「自衛隊を合憲としてきた」、のではないのか。

勝手な解釈で、どんどんと、(憲法が予定している)本来の精神と離れたような
事をするのは、もってのほか、である。

もともと、憲法は、今の安倍政権のような独走、を防止するためにこそ、存在する。
まさに、まずは、行政権力の横暴を防ぐためにある。
今回の事は、安倍首相の「憲法への理解不足」からきていること、である。

② 『前文には、「他国を無視してならない」、という文言がある』について

これは完全に、石破氏の読み違えである。

日本国憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意して」この憲法を制定する、と書かれている。

まずは、他国を信頼する、というのが基本である。
他国を信頼する」ということが、無視することにつながるはずがない。
 
③ 『「解釈の変更」ではなく、「解釈の解釈」を変える』について

これは、詭弁というものだろう。
多くの反論を必要としない。石破氏らしからぬ、お粗末な論理。

 「米軍が、グアム、ハワイに移動すれば、日本を守る義務がなくなる」

北朝鮮の脅威をもって、米軍が日本から自主的に撤退し、基地も引き払うなど、考える事が出来ない。

米軍がなんのために、日本に駐留し続けているのかを、ごまかす議論である。

 「今までは、米軍の都合で、米軍を置いていた。主体的に考えるべき時」
    について

これは、その通り。
ならば、石破幹事長も、安倍首相も、国会で堂々と、そう主張すべきであろう。
内閣による閣議決定をもって、事を推し進めようとするから、問題がおこる。

国民も、納得をしない。

どんなに時間がかかろうと、国会で、徹底して議論すべき、である。
それを省こうとするから、国民が反発する。

また、事は、手続きの問題でもある。
手続きを踏むことこそが、議会政治の根本だ。
この手続きをちゃんと踏まないことこそ、民主主義の否定につながる。

 「集団的自衛権は権利であって、義務ではない」について

権利でも、権利は行使しなければ、意味がない。
また、持てば、使いたくなるものである。
国家でも、個人でもそれは同じであろう。

また、「国民から選ばれた議員、その議員が構成する内閣で決定されることであって、自民党の考え方としては、集団的自衛権の行使にあたっては、事前に国会の承認を必要とする」と述べるが、これはおかしい。

安倍首相は、「私が、最高指揮官であり、私が決める」と明言しているからである。

⑦ 「イラク戦争は、集団的安全保障措置であった」について

それは違う。
米国が、無理やり「大量破壊兵器がある」とデッチ上げた末に、始めたことである。
国連は、同調せず、米国の軍事介入を非難した。

日本の政府は、「お金だけで済ますこと」を攻められるのが怖くて、米国に協力した。
実は、この時すでに、憲法に違反している。

だから、本当は、今頃になって、集団的自衛権を議論すること自体が、「おかしい」とも言える。

 「集団的自衛権の行使は、特定国を念頭に置いたものではない」について

こんな欺瞞に満ちた発言はない。
自民党の高村副総裁が、与党合意を急ぐのは、年末に行われる「日米防衛協力のための指針」に間に合わすためである、と明言している。

 「日本のイージス艦が、ミサイルを撃ち落とす能力を持っている(とした時)   のに、何もしなければ、日米同盟は破棄される」

日本のイージス艦には、ミサイルを撃ち落とす能力などないし、今後も持つことは出来ない。
これは、米国であっても、同じことである。

米国が、ミサイルを撃ち落とす事に成功したことは、一度もない。
今後もなかろう。
仮に出来たとしても、発射される、全てのミサイルを撃ち落とすことなど、到底、出来はしない。

 「日米同盟の破棄は、考える、だけで、恐ろしいこと、である」
   「また、米中に関係なく、行使できるように準備すべき」について

集団的自衛権の行使を容認し、「日米防衛協力のための指針」に、それを明記したなら、米国の要請を拒否することが出来なくなる。

それこそ、「信義にもとる」ということに、なりはしないか。
米国の信頼を損ねる結果を生むことに、なりはしないか。

つまりは、権利を行使するのは、「日本が独自に決めることである」と言っても、そんな理屈は「通らない」ことになる、のではないか。

 『今すぐに、「我が国がなすべきなのに、出来ないこと」がある、というの     が、安倍首相の真意』について

安倍政権が、今すぐになすべきことは、いわば、「経済」を実行する事。
「経済」とは何か。
経済とは、世を経(おさ)め、民を済(すく)うことである。

課題は、多い。
*福島の事故の対策であり、東北の復興。
*TPPをどうするか。
*農村の疲弊をどうするか。
*消費税は、今のままで良いのか。今の方式で良いのか。・・・・

総じて、疲弊した国民の生活を立て直すこと、が先決であろう。


今の日本は、まさに、2・26事件を引き起こした、「青年将校らが心配した」と同じ状況にある、といえる。

国民の生活を立て直すことこそ、安倍政権に課せられた、使命である。

 結論

繰り返しになるが、事の発端は、安倍首相の国会軽視にある。
議会、無視にある。

いくら石破幹事長が擁護しようとも、安倍首相の手法は、ゆるされるものではない。
このような前例を作ってしまえば、再現がなくなる。
やがて、日本国憲法は、有名無実の物に、成り果てる事であろう。

テレビの前で、赤ん坊を持ち出して、耳触りの良い事だけを取り上げて、説明をする、姑息なやり方で、国民をだませると考える、安倍首相の安易な姿勢にある。

もとより、テレビの前で、説明したからと言って、それで済ませられるような問題ではない。

国民の前に丁寧な説明をするというのであれば、まず、国会においてこそ、それを行うべきである。
そうしてこそ、はじめて説明責任を果たすことになる。

(2014/6/16)