2014年6月28日土曜日

多事叢論:集団的自衛権行使の憲法解釈。政府の想定問答集があった。

これも、安倍政権には、予定の行動であろう。
問答集なるものがある、と報じられた。


27日に分ったと言うことは、もちろん、それ以前に用意されていたことになる。
別の見方をすれば、用意していたのに、「わざ」と与党協議には、提出しなかった、ということである。

 安倍内閣の、集団的自衛権行使の憲法解釈見直氏についての事である。

『 集団的自衛権行使の憲法解釈見直しに向け、政府がまとめた想定問答集の内容が27日、わかった。

米艦防護やシーレーン(海上交通路)での機雷掃海など政府が与党協議会に示した事例に集団的自衛権が行使できるかどうかについて、「事例のような活動は可能になるが、実際には個別具体的な状況に即して判断する」と説明している。

 一方で、集団安全保障に関しては、「湾岸戦争のような戦闘には参加しない」と強調。「国連安全保障理事会が決議を採択しても、(自衛権発動の)新3

要件を満たす活動を途中でやめなければならないわけではない。

国際法上は国連安保理決議が根拠となる場合でも、新3要件を満たす武力行使は、憲法上、我が国の自衛の措置として許容される。実施できる活動が集団的自衛権が根拠となる場合より広がることはない」とし、国際法と憲法上の解釈を切り離し、活動を可能とする見解を明示した。』

(YOMIURI ONLINE 6/28)

 高村氏は、この事を知っていたのか。 

高村氏は、この事を知っていたのか。 
知らなかったのか。
あるいは、知っていたが,知らない顔をして、公明党との協議を重ねていたのか。

どちらにしても、この事を考えただけでも、今までの、安倍首相の説明が、ウソであることがわかる。

「歯止め」が、最初からない事が、判明した。

「実際には個別具体的な状況に即して判断」と言うのは、当然のことであるだろう。

あくまで事例であって、現実には、どのような状況が起こってくるかは、分らない、事は、当然であろう。

だからこそ、歯止め」などと言う言葉は、安倍政権が、集団的自衛権が行使について、際限なく行うものではない、ということの、何の担保にもならない。

もう初めから、箍(たが)がはずれた桶である。

そんなものは、信用できない。
安倍首相は、初めから、そのつもりであったことは、はっきりしている。

耳さわりにいいことばかり並べ立てて、、国民を欺こうとした。
このことだけでも、「戦争はしない」と言う安倍首相の言明が、ウソであるのは、明白だ。

 集団的自衛権とは、「自衛権」ではなく、「他衛権」

「機雷掃海」は、場合によっては、明白な戦争行為となる。
戦争は、相手のあることである。

こちらがこの時期に行うことは、戦争行為ではないと、説いても、相手がそうとらないときは、攻撃を受ける。

当然のことである。
戦争は、話し合いではないのだから。

そのような事態になることは、初めから解かること。
だから、賛成できない、と言い続けているのだ。

なによりも、集団的自衛権は、他国の防衛、と言うことが目的なのであるから、自衛権ではない。

そうではなく、他衛権なのだ。
自国を守ることが主眼ではない。

自国の利益を守る、と言うことが、理由として使われるが、「自国の利益」と言う言葉こそいい加減な言葉はない。

どうにでも、使うことが出来る。
これは、米国がイラクでやったことを考えただけでも、すぐに分ることだ。

だから、出発点からして、間違っている。
中国新聞は、その社説で、公明党に呼びかけている。

イマカラデモオソクナイカラ、「自民党との最終合意は見送ってもらいたい」と。

   *(追記)

東京新聞が、もっと詳しく報じていた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014062702000280.html


(2014/6/28)