2014年6月13日金曜日

ショート時評:公明党の山口代表が、ついに自民党に押し切られた。閣議決定は、時間の問題か。

散々気をもませていた公明党が、ようやく決断を下した、ようだ。
「やはり」というか、「初めから出来レース」であった、というべきか。


党員や支援団体である創価学会に配慮する姿勢を見せながら、落としどころを、探ぐっていたという感じがする。


『公明党の山口那津男代表は13日の党参院議員総会で、集団的自衛権をめぐる与党協議について「議論を重ね国民の理解を深め、合意を目指す姿勢で臨んでいきたい」と述べた。従来の慎重姿勢を転換し、行使容認のための憲法解釈変更に歩み寄る姿勢を鮮明にした。これに先立つ安全保障法制の与党協議で、自民党の高村正彦副総裁は、日本への攻撃がなくても他国に対する武力攻撃が発生した場合に自衛権発動を認める新たな3要件の「たたき台」を提示した。』(東京新聞 6/13 )




もとより、連立政権からの離脱は、絶対に避ける、という命題があるのであろうから、こうなることは、分りきった事である。

自民党にすり寄って行った時点で、もう基本的な方向性は、決まったも同然であったのだから。
だから、初めから、そんなに期待はしていなかったし、驚くべきことでもない。

当然と言えば、当然のことである。
山口代表が、決断したことで、もう今後の流れは、決まったも同然。
 

それにしても、公明党というのは、本当に情けない政党だ。
そんなことで、党の綱領に「合わせる顔」があるか。とてもなかろう。

この際、公明党は、平和の党の党是も、また綱領もおろすべきである。
 れで「国民の暮らしを守ること」が出来るか。
国民を幸せにすることが、出来るか。

これでは、「平和」が聞いてあきれかえり、逃げ出す、ことであろう。

自民党は、相変わらず姑息だ。
自衛権と言ってみたり、個別自衛権をもちだしたり。
その場その場で、使い分けて、ごまかそうとしている。

つまるところ、集団的自衛権が、本命である事は分りきっている。
本当に、国民を愚弄するやり方である。

公明とも、自民党も、この際、今後は、「国民政党」と称するのは、やめるべきである。