2014年10月9日木曜日

京都・梅小路運転区「鉄道史を未来に」 百周年式典

現存する最古の鉄筋コンクリート造りの扇形車庫「梅小路機関車庫」(京都市下京区)と、同車庫を拠点に東海道線や山陰線を走る蒸気機関車の整備・運行を担ってきた「梅小路運転区」が100周年を迎える。JR西日本は10日に記念セレモニーを催し、7100形蒸気機関車「義経」号を17年ぶりに復活運転する。「新たな歴史を刻んでいきたい」。節目の年に、関係者は気持ちを新たにしている。


 20の引き込み線を持ち、上から見ると扇を開いたような形に見える車庫は、1914(大正3)年10月10日に完成した。2代目京都駅や丸物百貨店(後の近鉄百貨店京都店)を手がけた建築家渡辺節(1884~1967年)が設計した。
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http://www.kyotonp.co.jp/sightseeing/article/20141009000081                                  


機関車の向きを変えるためのターンテーブル













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今では、電化されて、線路をはしっているのを見る事はない。
この機関車が、走っていたころは、汽車と呼んでいた。
今のように、電車とは、呼ばない。
これは、唄にもうたわれている。
この汽車を動かすことは、重労働であっただろうが、乗る方は、楽しかった。
煙を「もうもう」と吐いて走る汽車は、「頼もしい」ものであった。
その頃は、親と離れて暮らしていたので、一人で、この汽車に乗って、親の所まで、会いに行った。
何度も、時間を確認して、乗り遅れないか、気を使った。
だが、大人になって、日本の鉄道が、時間の正確さでは、「世界一であること」を知った。
だから、本当は、何の心配もする必要はなかったである。
その当時は、時刻表などというものがあることは、もちろん、知らない。

今は、煙で黒くなることもないし、大きな音も立てずに走る。
まさに、電車という感じだ。
電気のと同じで、「(音の)姿」がない。


最近は、旅館やホテルがたくさん出来たことで、夜行列車がなくなり、さみしい。

国鉄で亡くなって、採算が合わない所は、どんどん、廃線にされる。
だが、田舎では、今の重要な「足」だ。

出来れば、もう一度、国営にして、安い料金にしてもらいたい。
そして、時間をかけて、のんびりと、旅が出来るようにしてもらいものである。

(2014/10/9)

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