2015年12月31日木曜日
2015年12月30日水曜日
2015年12月29日火曜日
岸の唱えた「自主的国民外交」とその「限界」
<正村 戦後史(77)
今回は、岸の唱えた「自主的国民外交」の中身がどんなものであったが検討されます。それは、言葉と裏腹に、非「自主的」、非「国民」な外交でした。
今回は、岸の唱えた「自主的国民外交」の中身がどんなものであったが検討されます。それは、言葉と裏腹に、非「自主的」、非「国民」な外交でした。
2015年12月28日月曜日
県民の沖縄祖国復帰運動は、「軍事基地反対」運動へと転換した
<正村 戦後史(76)
沖縄返還と、沖縄住民の祖国復帰運動について、読んでいきます。祖国復帰運動は、「軍事基地反対」運動へと転換を遂げます。
沖縄返還と、沖縄住民の祖国復帰運動について、読んでいきます。祖国復帰運動は、「軍事基地反対」運動へと転換を遂げます。
2015年12月26日土曜日
「マンハッタン計画」関連施設を、国立歴史公園に指定(上) 米国人は凄いことを成した
「傷口に塩を塗る」とは、このことである。いくら弁解しようと、到底、我々日本人としては、認めることは出来ない。安倍首相は、どう感じるのだろうか。米国が、原爆を開発した「マンハッタン計画」の核関連施設を、国立歴史公園に指定した。
2015年12月25日金曜日
2015年12月24日木曜日
2015年12月23日水曜日
岸が警官を国会にいれて、日米新安保条約を強行採決
<正村 戦後史(72)>
岸内閣が、日米新安保条約を強行採決します。警官を国会に入れてのことでした。そのことは、自民党議員でさえ、ほとんどが知らされていませんでした。
岸内閣が、日米新安保条約を強行採決します。警官を国会に入れてのことでした。そのことは、自民党議員でさえ、ほとんどが知らされていませんでした。
2015年12月22日火曜日
岸首相「新安保条約は、個別自衛権の発動、と答弁」
<正村 戦後史(71)>
国会審議で、岸首相は「新安保条約における在日アメリカ軍にたいする日本側の防衛協力義務は、集団的自衛権ではなく、個別自衛権の発動だ」と答弁します。
国会審議で、岸首相は「新安保条約における在日アメリカ軍にたいする日本側の防衛協力義務は、集団的自衛権ではなく、個別自衛権の発動だ」と答弁します。
2015年12月21日月曜日
2015年12月20日日曜日
2015年12月19日土曜日
1960年1月19日「岸が、日米新安保条約に調印」
<正村 戦後史(69)>
1958年10月に岸、藤山、マッカ―サー会談以来、正式会談だけで25回に及ぶ交渉の結果、新安保条約の締結に合意。調印が行われました。
1958年10月に岸、藤山、マッカ―サー会談以来、正式会談だけで25回に及ぶ交渉の結果、新安保条約の締結に合意。調印が行われました。
2015年12月16日水曜日
2015年12月15日火曜日
日米安保条約改定阻止国民会議と、安保改定阻止
<正村 戦後史(66)>
今日は、安保改定反対闘争を見ていきます。ただ、この時点においては、条約が締結される前の段階であり、それほど、「激しい」反対運動にまで発展はしていません。
今日は、安保改定反対闘争を見ていきます。ただ、この時点においては、条約が締結される前の段階であり、それほど、「激しい」反対運動にまで発展はしていません。
2015年12月14日月曜日
2015年12月13日日曜日
岸の警職法改正「全国統一行動が、改悪を阻止した」
<正村 戦後史(64)>
岸の警職法国会上程。警職法改悪反対運動と、改定の断念などについて観ていきます。全国統一行動が、改悪を阻止することになりました。
岸の警職法国会上程。警職法改悪反対運動と、改定の断念などについて観ていきます。全国統一行動が、改悪を阻止することになりました。
2015年12月12日土曜日
2015年12月9日水曜日
2015年12月8日火曜日
児島襄著『講和条約』=「戦後日米関係の起点」となった条約
読書ノート。児島襄著「講和条約」。それを徹底して、追求した本書は、現在においても、第1級の資料である。
副題は、「戦後日米関係の起点」。まさに、ここが、「新生」日本の起点であった。それを、児島氏は、時折、自身の感想を挟みながら、「坦々と」記述していく。
2015年12月7日月曜日
2015年12月6日日曜日
2015年12月5日土曜日
2015年12月4日金曜日
2015年12月3日木曜日
社会党が分裂「サンフランシスコ両条約の衆議院で採決を前に」
<正村 戦後史(60)>
この回では、「社会党の分裂」を見ていきます。講和問題が表面化するとともに、社会党内部の路線の対立が、激しくなってきます。
この回では、「社会党の分裂」を見ていきます。講和問題が表面化するとともに、社会党内部の路線の対立が、激しくなってきます。
2015年12月2日水曜日
アルヘル・べラスコ氏「我々の夢と力 それらはどこに消えたのか」
これは、今日の日本の状況に対する強烈な「メッセージ」である。そう、思う。
戦前に「東」機関という情報収集組織があった。それに関係した重要人物が、スペインの「アンヘル・アルカッサル・デ・べラスコ」氏、である。高橋五郎氏の『天皇のスパイ』に詳しい。
戦前に「東」機関という情報収集組織があった。それに関係した重要人物が、スペインの「アンヘル・アルカッサル・デ・べラスコ」氏、である。高橋五郎氏の『天皇のスパイ』に詳しい。
曲学阿世の輩=吉田首相が南原総長を呼び捨て
<正村 戦後史(59)>
今日は、吉田首相の「曲学阿世の輩」発言と、南原総長の反論。アメリカ軍の日本駐留という路線が決定的になった経過について、読んでいきます。
今日は、吉田首相の「曲学阿世の輩」発言と、南原総長の反論。アメリカ軍の日本駐留という路線が決定的になった経過について、読んでいきます。
2015年12月1日火曜日
”正当”な主張「知識人による”全面講和”の主張」
<正村 戦後史(58)>
今回は、「全面講和論」です。米国や、日本政府の方針に反して、日本の知識人や、報道機関などから、「全面講和」を押す動きが起きてきました。
今回は、「全面講和論」です。米国や、日本政府の方針に反して、日本の知識人や、報道機関などから、「全面講和」を押す動きが起きてきました。
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