2014年9月9日火曜日

LS:”梅雨空に『九条守れ』の女性デモ”の俳句  さいたま市が「公民館だより」への、掲載拒否した

記事とは、関係がない
「市教委の対応に批判や疑問の声が上がる一方、支持する意見は聞かれなかった」ことは、当然である。

身近な「井戸端」までが、「右傾化」しつつあることを、危惧する。


1) 埼玉新聞の記事より__。

「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と言う俳句についての話題である。

この俳句を、さいたま市大宮区の三橋公民館が、「公民館だより」に掲載する事を拒否した。

同公民館は、さいたま市公民館運営審議会が設置されており、この問題が、議論された


『さいたま市大宮区の三橋公民館が、公民館だより7月号の俳句コーナーに、同公民館で活動する句会が選んだ会員の作品「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」を掲載拒否した問題で、外部の識者や教育、PTA、自治会関係者らでつくるさいたま市公民館運営審議会は29日、同市大宮区内でこの問題を議論した。

審議会は公民館の事業などについて調査や審議するため、市教委が設置。会議では、市教委の対応に批判や疑問の声が上がる一方、支持する意見は聞かれなかった。

審議会は2カ月に1回開かれている。問題の表面化を受けて、埼玉大学教授で同審議会の安藤聡彦委員長らが今回の議題に加えることを要望。市内の公民館を所管する市生涯学習総合センターが経緯を説明した後、委員らが約1時間の議論に臨んだ。


 世論を二分する政治的な内容だったとする掲載拒否の判断理由について、男性委員の一人は「行政が介入すること自体が問題で、学びの自由を保障する公民館の存在意義がなくなってしまう」と厳しく批判した。80代の女性委員は「作者が73歳女性ということを考えると、幼少期の戦争体験から来る自分の思いを表現した俳句と捉えるべき。作者ときちんと話し合ってほしかった」と注文した。』=埼玉新聞 7/30
htmlhttp://www.saitama-np.co.jp/news/2014/07/30/04.html

人権意識の欠如も甚だしい、「政治的」に偏った、一方的な判断である。
このような事が、大きくな取扱いを受けないことに、疑問を感じる。
人権感覚のマヒを感じる。

2) 掲載拒否という問題は、今が、「旬」の話題

この所、朝日新聞による、雑誌の広告、コラム記事の掲載拒否で、ネット上がが騒がしい。
もちろん、この事は、朝日新聞がそれだけ影響力を持つ新聞である事にもよる。

だが、理由はそれだけではないように気がする。
何故なら、ここで取り上げたようなは話題が、俎上に上る事が、ほとんどない殻らである。

私も、この情報に接っしたのは、今日が最初である。
知っていれば、もっと早くに話題にした。

もちろん、私がすべての話題について、リサーチしていると、自負するつもりはない。
むしろ、抜け落ちている事の方が多いだろう。

だが、掲載拒否と言う問題は、今が、「旬」のは話題だ。
朝日新聞の事は、多くの識者、マスコミ関係者、ネットユーザーなどが話題として取り上げている。

ところが、このような話題については、ほとんど取り上げられない。
いくら、朝日新聞と、地方の公民館便りとは出は違いすぎると言っても、内容は、よく似ている。

問題の本質においては、そう変わらないと思う。
もちろん、朝日新聞は、影響力があるとはいえ、一私企業である。

その点は、公民館とは違う。
その影響は小さいとはいえ、公民館である以上は、公の機関の問題である。

その点で言えば、むしろ、こちらの方が、大きく取り挙げられてもいいぐらいである。
むしろ、そうされないことの方が、おかしいぐらいである。

3) 人権感覚の欠如も甚だしい、「政治的」に偏った判断である

「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」__。

梅雨の雨の中を、女性たちが、デモをしている。

口々に、(日本国憲法の)9条を守れ、と叫びながら。

どんな思いから、彼女らは、デモに参加し、どんな思いを込めて、「9条を守れ」と叫んでいる事だろう、というような意味であろう。


このような思いを、俳句にしたものであろう。


さいたま市公民館運営審議会の80代の女性委員が、「作者が73歳女性ということを考えると、幼少期の戦争体験から来る自分の思いを表現した俳句と捉えるべき」と意見を述べているように、私も、作者は、そういう思いを、デモとダブらせていたものと判断する。


心のこもった、すばらしい俳句である。

この俳句の何処が問題なのか。

公民館の管理責任者である、市生涯学習総合センターは、「世論を二分する政治的な内容だった」ことが、掲載拒否の理由であったと、説明した。


余りに、拙速な見方である。

世論を二分する」というように考えること自体が、単純すぎる。
何でも、「二分する」と言えば済むように思っているようだが、その間には多くの、意見が、__違いが__存在する。

だから、「世論を二分する」などという見方こそが、偏った見方である、と言える。

行政が介入すること自体が問題」という、以前の問題である。

もとより、「中立的な見方」ということ自体、「存在しない」ものだ、と私は思う。

このような見方、そのものが、幻想である、と思う。
 
どちらかに、傾いている、というのが、正しい見方であろう。
これは、その「思想が、政治的である」という事より、以前の問題だ。

だいいち、この俳句から、多くの人が「政治的なにおい」を感じるとは限らない。

また、それを誰が判断し、その判断が正しいと、誰が、判定するのか。

そんなことは出来ない相談である。


政治は、「人の心に中にまでは踏み込まない」と言うのが、近代的社会のルールだ。

これは、公民館であっても、同じことである。
いや、むしろ、公民館であっればこそ、大きな問題である。

公民館は、地域住民のとっては、最も身近な存在であるからだ。


朝日新聞のような大きな組織の事を問題にすることは、重要である。

その事と同様に、公民館と言う身近な存在の問題について、議論する事も、重要である。

水は、「低きに流れる」という。

こうした人権侵害も、得てして、「何の変哲もない」ような所から、崩されていく。

よくよく、注視する事が、肝心である。

私は、そう思う。

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(2014/9/9/)