2014年9月15日月曜日

避難者などの、原発関連の死者が、1700人を超えた 「原発事故による死者はない」と言った高市氏は何とする

東電の原発事故のよる、原発関連死者は、1700人を超えたのだという。

かって、高市早苗氏は、原発事故によって死者が出ている状況ではない」と述べたことがある。
高市早苗氏は、この事に関して今、いかなる感想を持つのであろうか。


1) 高市早苗氏は、総務大臣として、適格性に欠ける

福島の住民も多くの国民も、この事を忘れてはいないし、許してはいない。
謝罪して取り消したからといって、済まされることでは、ない。

高市早苗氏が、この暴言を取り消したのは、あまりに福島の住民や多くの国民からの反発があったからである。
あるいは、支持者らから、助言を受けての事であろう。

決して、__福島の住民や多くの国民を傷つけたことを__心から反省をし、謝罪したわけではないだろう。
あの時の、会見からは、心から反省をし、謝罪したいという態度は、みじんも感じることは出来なかった。

誤りを認めたくない。いやいや、謝罪をしたという態度であった。
そのような人物が、総務大臣という重職につくこと自体、許されないことである。

朝日を批判しているような「立場にある」とは、到底思えないのである。

また、任命した安倍首相の責任は、重いし、__福島の住民や多くの国民からすれば__誤りだ。

そのような高市早苗氏が、安倍内閣の総務大臣として、就任したところで、福島の現状は、変わることはないであろう。
原発関連死者は、今後も変わることなく、増え続ける事であろう。 

仮にも、高市早苗氏も政治家の端くれなら、いかなる取り組みをして、原発関連の死者を無くし、自己の政治家としての責任を果たそうと考えているか、明らかにすべきである。

そして、それ政策が、実劫力を持って、原発避難民の生活が楽になり、孤独死などの原発関連の死者を無くすことが出来た時、初めて、高市早苗氏は、謝罪をし、政治責任を果たした事に成る、と思う。

2) 東京新聞の記事より__。

東電原発事故に伴う避難で、体調が悪化し死亡した事例などを、東京新聞が独自に「原発関連死」と定義。

該当数を取材したところ、1700人を超えた。

『東日本大震災から十一日で三年半。東京電力福島第一原発事故に伴う避難で体調が悪化し死亡した事例などを、本紙が独自に「原発関連死」と定義し、福島県内の市町村に該当数を取材したところ、今年三月の調査から半年間で七十人増えたことが分かった。事故後の合計は少なくとも千百十八人。原発再稼働に向けた動きが進むが、事故の被害は今もやんでいない。

市町村は、災害の直接の犠牲者だけでなく、その後の避難中の死亡などについても「震災関連死」と認定する。本紙は震災関連死者のうち、原発事故で避難中だった人数などを調べ、原発関連死として集計したところ、福島県の十五市町村で該当者がいた。

 市町村別では、浪江町が半年前から十六人増の三百三十三人、富岡町が十八人増の二百五十人、双葉町が十四人増の百十三人、大熊町が七人増の百六人で、四町はいずれも全町避難が続く。担当者によると、四町を含む原発周辺の八町村では、現在も一カ月に計二十件以上の震災関連死の申請がある。

 四百五十八人の震災関連死者がいた南相馬市と百二十八人のいわき市は、原発事故を理由とした死者数を把握していない。だが、担当者は「大半が原発避難者」と説明。この分を加えると原発関連死者は千七百人を超える

 福島県内の震災関連死者数は千七百五十八人(十日現在)で、宮城県や岩手県を大幅に上回っており、このうち原発関連死者は少なくとも六割に上る。 (鷲野史彦)』=東京新聞 9/11
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014091102000147.html

なお、この統計には、東電の事故現場作業員の死者の統計は、加算されていないと思われる。
おそらくは、追及自体が困難であろう。

3) 東電の罪は、果てしなく重い。

改めて、事故の過酷さが明らかになった。
仮設での暮らしが、いかに人々の命を奪い、暮らしを奪うかを象徴している。

誤解を恐れずに書けば、もし、原発事故がなければ、もっと長く、快適で、幸福な人生を送ることが出来た筈の、人々である。

生活環境の破壊や激変。
人間関係の断絶。
仕事を奪われたこと。
狭い仮設住宅での、他人を気にしながらの、不自由な暮らし。
事故のよるストレス。
これらの原因が、重なっての、事であると思う。

このなかでは、特に、生活環境の破壊や激変、人間関係の断絶の影響が大きいと考える。

生活環境の破壊や激変で、大きく生活が変わったことは、想像がつく。
それは、大変な事であろう。

家庭菜園などで、自分で野菜や花を育てることは楽しい。
自分が作った物であれば、安心感もある。

花をいつでも、自宅に飾れる。
花のある暮らしは、ほんとに、人間の心を慰め、豊かにしてくれる。

だから、たとえ、収入につながる事がなくても、家庭菜園などで、野菜や花を育てる楽しみが持てた。それを急に奪われた。そのことだけでも、生きがいを奪われたことになる。

また、人間関係の断絶も、その影響は計り知れないものがある。
人間は、一人では、生きられない。

やはり、身近にいて、自分の事を理解してくれ、いたわり合う人々を必要とする。
楽しい時、苦しい、さみしい、悲しい時などに、共に感情を共有し合う人々を必要とする。

それらの人々とのつながりを一度に、断たれることになったのである。
もちろん、事故がなくても、地震があったのだから、状況はそう変わらなかったかもしれない。

それでも、自分が暮らしていた土地から、強制的に移動させられることになった影響は大きい。
自身だけであれば、すく近くで暮らせたことことであろう。

もし、津波に影響もなく、地震で家も壊れていないという事えあれば、ほとんど、事故前と同じ毎日が待っていた。

そう考えると、東電の罪は、果てしなく重い。

             ≪関連サイト案内≫
*”<川内原発>再稼働「国が責任」 事故対応への関与強調”
=ヤフーよりの転載 9/12
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140912-00000157-mai-pol
*”「東日本壊滅と思った」 原発事故、吉田調書全容判明”=中日新聞 8/31
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2014083102000060.html

(2014/9/15)

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