下村文科相が、「違法、脱法行為」だと批判した。
静岡県教委は七月、各市町教委に、何らかの方法で、市町別・学校別の結果を、明らかにするよう通知した。
県は同日夕、県ホームページに、市町別の平均正答率と校長名を、掲載した。
川勝知事は、全国学力テストの、静岡県内の市町別平均正答率を公表した。
1) 中日新聞の記事より__。
『文科省によると、実施要領は学力向上策を示さず数値だけを並べるような公表を禁じている。高木秀人学力調査室長は「要領に違反していることは明らかで、調査結果の情報が適切に取り扱われるよう求めていく」と話した。
これは、違法であり、学校教育の目的に背くものである。
元々、このような全国学力テストをすること自体に、問題がある。
テストをして、「全国の学校を序列化」しようとすることが、間違いの元だ。
学校教育法は、小学校での教育にについて、その大9条で、「小学校は、心身の発達に応じて、義務教育として行われる普通教育のうち基礎的なものを施すことを目的とする」と規定している。
その目的を達成するために、第31条は、「小学校においては、前条第一項の規定による目標の達成に資するよう、教育指導を行うに当たり、児童の体験的な学習活動、特にボランティア活動など社会奉仕体験活動、自然体験活動その他の体験活動の充実に努めるものとする」と述べる。
この趣旨からすれば、もともと、小学校での教育の成果について、ペーパーテストで測ること自体が、間違いである、と言えると思う。
「児童の体験的な学習活動、特にボランティア活動など社会奉仕体験活動、自然体験活動」などを、数字化する事など、出来はしないからである。
テストで測ることが、出来ないことだからだ。
日本列島は、細長い。
起伏に富む国土である。
それぞれに、特産品があり、地域色が強い。
山と海とでは、暮らしも考え方も、違う。
子供たちは、その中で成長してきている。
この事を無視する事は出来まい。
子供たちは、故郷の将来を背負って立つべき、「故郷(くに)の宝」だ。
当然、自分たちが住む故郷の事、__歴史や風土など__を優先的に学ばせる事が必要であり、実際に、そのような意図を持って、日本の各地で、学校教育が行われているはずだ。
それを全国一律の、ペーパーテストで測ろうとする文科省の方針こそ、改めるべきである。
3) 文科省が、「序列化する」という考えから、脱皮する事が必要
元々、教育は、他人との比較の上に成り立つものではない。
この事は、教育基本法にも規定されている。
教育基本法は、その第1条で、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と謳っている。
教育は、何よりも、「(個人の)人格の完成」を目指して行われるものなのだ。
もちろん、そのことは、学校教育においても、変わらないはずである。
ともすると、学校教育の現場では、この「(個人の)人格の完成」という事が、無視されがちである。
あるいは、意識的に、無視されている。
いたずらに、集団的な行動を取ることが、__子どもの側から見れば__要求される。
列を乱さずに、行動し、他人と同じ行動を取るように、強制される。
それは、運動会のマスゲームに象徴される。
それは、個人を序列化して、「自由に考える人間」を創らず、教育から、締め出すやりかただ。
個人を序列化するという発想が、全国統一テストの実行と言う発想を産み出す。
まずは、文科省がこの考えから、脱皮する事が必要である。
学校教育の「元締め」は、文科省であるからだ。
≪関連サイト案内≫
*(学力テスト小6≫同意なき公表に波紋=
=静岡新聞 9/5
http://www.at-s.com/news/detail/1141964640.html
(2014/9/5)
静岡県教委は七月、各市町教委に、何らかの方法で、市町別・学校別の結果を、明らかにするよう通知した。
県は同日夕、県ホームページに、市町別の平均正答率と校長名を、掲載した。
川勝知事は、全国学力テストの、静岡県内の市町別平均正答率を公表した。
1) 中日新聞の記事より__。
県教委は七月、各市町教委に何らかの方法で市町別・学校別の結果を明らかにするよう通知。公表の方法を含めた最終的な判断を市町教委に任せていた。
県は同日夕、県ホームページに市町別の平均正答率と校長名を掲載した。知事は昨年、小学六年国語Aの成績が全国最下位だったことを受け、上位八十六校の校長名を公表した。・・・
2) テストで測ることが、出来ないこと県は同日夕、県ホームページに市町別の平均正答率と校長名を掲載した。知事は昨年、小学六年国語Aの成績が全国最下位だったことを受け、上位八十六校の校長名を公表した。・・・
下村博文文部科学相は四日夜の民放テレビ番組で、川勝知事が全国学力テストの静岡県内の市町別平均正答率を公表したことについて「違法、脱法行為だ。公表するか判断をするのは教育委員会で、そもそも知事は権限を持っていない。(平均正答率の)一覧表を作ってもプラスにならない。県教委は同意しておらず、問題だ」と批判した。
実施要領の範囲内で最大限の情報公開を実現している自治体もある中、今回の川勝知事の手法は議論を呼びそうだ。文科省の担当者は「テスト結果の数値が独り歩きしかねない方法だ」と懸念。静岡県教委の安倍徹教育長は「都道府県別の結果公表を前提にした調査方法自体を見直す時に来ているのではないか」と指摘した。』=中日新聞 9/5
これは、違法であり、学校教育の目的に背くものである。
元々、このような全国学力テストをすること自体に、問題がある。
テストをして、「全国の学校を序列化」しようとすることが、間違いの元だ。
学校教育法は、小学校での教育にについて、その大9条で、「小学校は、心身の発達に応じて、義務教育として行われる普通教育のうち基礎的なものを施すことを目的とする」と規定している。
その目的を達成するために、第31条は、「小学校においては、前条第一項の規定による目標の達成に資するよう、教育指導を行うに当たり、児童の体験的な学習活動、特にボランティア活動など社会奉仕体験活動、自然体験活動その他の体験活動の充実に努めるものとする」と述べる。
この趣旨からすれば、もともと、小学校での教育の成果について、ペーパーテストで測ること自体が、間違いである、と言えると思う。
「児童の体験的な学習活動、特にボランティア活動など社会奉仕体験活動、自然体験活動」などを、数字化する事など、出来はしないからである。
テストで測ることが、出来ないことだからだ。
日本列島は、細長い。
起伏に富む国土である。
それぞれに、特産品があり、地域色が強い。
山と海とでは、暮らしも考え方も、違う。
子供たちは、その中で成長してきている。
この事を無視する事は出来まい。
子供たちは、故郷の将来を背負って立つべき、「故郷(くに)の宝」だ。
当然、自分たちが住む故郷の事、__歴史や風土など__を優先的に学ばせる事が必要であり、実際に、そのような意図を持って、日本の各地で、学校教育が行われているはずだ。
それを全国一律の、ペーパーテストで測ろうとする文科省の方針こそ、改めるべきである。
3) 文科省が、「序列化する」という考えから、脱皮する事が必要
元々、教育は、他人との比較の上に成り立つものではない。
この事は、教育基本法にも規定されている。
教育基本法は、その第1条で、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と謳っている。
教育は、何よりも、「(個人の)人格の完成」を目指して行われるものなのだ。
もちろん、そのことは、学校教育においても、変わらないはずである。
ともすると、学校教育の現場では、この「(個人の)人格の完成」という事が、無視されがちである。
あるいは、意識的に、無視されている。
いたずらに、集団的な行動を取ることが、__子どもの側から見れば__要求される。
列を乱さずに、行動し、他人と同じ行動を取るように、強制される。
それは、運動会のマスゲームに象徴される。
それは、個人を序列化して、「自由に考える人間」を創らず、教育から、締め出すやりかただ。
個人を序列化するという発想が、全国統一テストの実行と言う発想を産み出す。
まずは、文科省がこの考えから、脱皮する事が必要である。
学校教育の「元締め」は、文科省であるからだ。
≪関連サイト案内≫
*(学力テスト小6≫同意なき公表に波紋=
=静岡新聞 9/5
http://www.at-s.com/news/detail/1141964640.html
(2014/9/5)