2014年9月11日木曜日

国と東電に、損害賠償を求め提訴へ  原発事故で、九州に避難の人々

東電も、国も、裁判で争う姿勢を見せてほしくはない。
東電の原発事故で、九州に避難してきた人たちが、国と東電に、損害賠償を求め提訴に踏み切った。


1) 佐賀新聞の記事より__。

「放射能による死の恐怖から、一家5人の生活基盤を奪われて3年半」
「今なお不自由な生活を強いられる避難者を置き去りにしたまま」、原発事故を「終わったこと」にして、「原発再稼働へと突き進む現状に憤りを感じている」
その結果の事である。


『東京電力福島第1原発事故で九州に避難してきた人たちが9日、国と東電に損害賠償を求め提訴に踏み切った。
鳥栖市に逃れてきた牧師金本友孝さん(53)も原告に名を連ねた。放射能による死の恐怖から、一家5人の生活基盤を奪われて3年半。今なお不自由な生活を強いられる避難者を置き去りにしたまま、事故を「終わったこと」にして、原発再稼働へと突き進む現状に憤りを感じている。
 金本さんは福島第1原発から40キロ離れた福島県いわき市から自主避難。小学生から高校生までの子ども3人を連れ、妻の実家がある福岡県内に身を寄せた。福島に仕事はなく、健康被害の不安もぬぐえないことから、自宅に戻ることを断念。教会の仕事を得て昨年3月、鳥栖市に移り住んだ。
 事故から1年半後、避難のため2カ月間途絶えた収入の賠償を東電側に照会すると、回答は「2万円払う」。あまりに低い評価にあぜんとした
加害者側が一方的に金額を決めて被害者は泣き寝入り。苦しい避難生活の中で、その責任を追及する余裕もない」。避難者が置かれた、そんな現実を何とかしたかった。
 東日本大震災に伴う佐賀県内への避難者は70世帯174人(8月18日現在)とピーク時のほぼ3分の1。時間の経過とともに、世論の関心も遠ざかっていく。それと呼応するように、「避難者への風当たりが強くなるのを感じる」という。
 インターネットでは「避難するのは風評被害。不安をあおるな」「福島で生活する人が気の毒」など避難者バッシングが起き、避難者同士の会話の端々にも後ろめたさがにじむ。「福島の農産物を食べて応援しよう」といった復興ムードは一方で避難者の口をつぐませ、孤立させてしまう。

今回の訴訟でも、原告として表に出ることをためらった人たちがいる。そんな避難者の痛みをよそに、原発再稼働は現実味を増す。「まだ3年半しかたたないのに事故を忘れかけている。声を上げられない避難者のためにも、東電と国の責任を明らかにしなければ」。金本さんは強く誓った。』=佐賀新聞 9/10


2) 事故の原因の究明がなされることを、期待する


裁判で、事故の原因の究明がなされることを、期待したい。
損害賠償の請求のための裁判であるから、原発事故の原因の究明は、必要のない事ことかも知れないが、この点も明らかにしてもらいたい。

その上で、東電の幹部や、当時の政権の中枢にいた人々を断罪してもらいたい。

もちろん、刑事責任までは、この裁判では問うことは出来ないが、もし、この裁判の過程で、明らかになれば、後に続く裁判のために、判例を作ることは出来る。

3) 現に、福島での生活をしている人がいる、という事は、反論の理由にはならない。

「小学生から高校生までの子ども3人を連れ、妻の実家がある福岡県内に身を寄せた」

「福島に仕事はなく、健康被害の不安もぬぐえないことから、自宅に戻ることを断念」

無理もない選択であろう。
とくに、「健康被害の不安もぬぐえない」という事は、深刻だ。

でも現に、福島での生活をしている人がいる、という事は、反論の理由にはならない。

福島での生活をしている人とて,安心をして、日々を送っている訳ではないからである。

日々、食べるものの安全を心配し、子供の被曝の事を心配し、一向に進まない汚染水の処理の不満を持ちながらに毎日であろう。

「福島で生活する人が気の毒」などということは、問題にならないのである。

先日、東電は、やっと事故の責任を認め、控訴を断念した。
今度は。どんな理由を述べて弁護するのか知らないが、「個体の蓋然性」などと言う非人間的な言葉だけは使わないでもらいたい。

          ≪関連サイト案内≫

原発避難者、東電と国を集団提訴 九州では初めて=朝日DIGITAL  9/9
http://www.asahi.com/articles/ASG995D71G99TIPE019.html

(2014/9/11)