2014年9月9日火曜日

宮内庁編纂の「昭和天皇実録」を公開  特別に目新しい内容は含まず

実録は、裕仁天皇の生涯を確実な資料に基づいて記録した年代記である。
宮内庁による編纂による。




1) 中日新聞の記事より__。

昭和天皇実録が、刊行された。


「実録は、天皇の生涯を確実な資料に基づいて記した年代記。宮内庁が逝去翌年の九〇年から編さんを始め、二十四年余で完成。今年八月に天皇、皇后両陛下に提出した。全一万二千ページ。大正天皇実録が一部黒塗りだったのに対し、今回はすべて公開された。来年三月から五年計画で公刊される」=東京新聞


『昭和天皇実録には、昭和天皇が太平洋戦争終結の二年後、米軍による沖縄占領継続を希望していることを記した米国の報告書が引用された。一方で、後半生に沖縄への贖罪(しょくざい)意識や訪問の意思を抱いていたことも繰り返し盛り込まれた。
 報告書は一九七九年、筑波大の進藤栄一名誉教授(米国外交史)が米国立公文書館で発掘、公表した。
 実録によると、終戦二年後の四七年九月十九日、宮内庁(当時宮内府)の寺崎英成御用掛(ごようがかり)が、連合国軍総司令部(GHQ)のシーボルト外交局長を訪問。シーボルトが、寺崎から聞いた内容をマッカーサー最高司令官らに文書で報告した。
 報告には「昭和天皇が沖縄の軍事占領継続を希望している」と明記され、天皇が「占領は米国の利益になり、日本の保護にもなる」などと考えたとされる。
 当時は米国など自由主義圏とソ連など共産圏の対立が進み、武装解除された日本の防衛が課題だった。沖縄は五一年に米国施政権下に置かれた。報告書は新憲法下に作成され、象徴天皇制と政治とのかかわりについて議論を醸した経緯がある。
 報告書の引用について、宮内庁は「天皇が実際に寺崎に話したかどうかや、GHQに伝えるよう指示したかどうかまで裏付ける資料は見つからなかった」と説明している。
 進藤名誉教授は「昭和天皇のメッセージが実録で確認されたことは、応分に評価されてよいかもしれない」としつつ、昭和天皇が沖縄占領の意向を実際に示したとまでは認めない宮内庁に疑問を呈した
 一方、実録は昭和天皇が沖縄に寄せる思いも引用している。本土復帰三年前の六九年九月の記者会見では「政府が努力しているのでそれを信頼して協力してほしい」と述べた。
 八七年十月に予定した沖縄訪問を病気のため断念した際は皇太子(現在の天皇陛下)が代理を務め、昭和天皇のお言葉を代読。「島々の姿をも変える甚大な被害を蒙(こうむ)り、一般住民を含む数多(あまた)の尊い犠牲者を出したことに加え、戦後も長らく多大の苦労を余儀なくされてきたことを思うとき、深い悲しみと痛みを憶(おぼ)えます」とされた』=中日新聞 9/9

2) 学者や研究者にとっては、資料的な価値は、少ないもの

「歴史を残す」という事についての意識が低い、日本においては、どの程度、信頼できる資料と成り得るかは、未知数である、と言わねばならない。

中国の史家のように、自分の命を懸けてまで、「歴史の真実を残す」というような気がいは、到底見いだせないからである。

「首をはねられる」ことが三代に及んでも、事実を記録する、というような使命感を感じることは出来ない。

だから、東京新聞の記事が、特別に目新しい内容は含まず__従来と違った新説が建てられるほどの内容を含まない__研究資料としての価値は、低いものである、と書くのも無理はない。

戦後、70年が経過し、関係者の多くが他界したことも、この時期の公開になった理由であろう。
もちろん、「実録」と言えども、都合の悪いことまでを、記録してあるとは、到底思えない。

宮内庁が、編纂したものである。
政治的な配慮が皆無である、とは到底思えない。
こんなことを書くと差し障りがあるかもしれないが、「天皇ともいえども人間である」
自分に不利になることを、正直に記録に残したいと考えていたとは、思えない。
むしろ、「死後に公開されるであろうことを前提にして、記録された」、と考えることの方が自然だろう。

その記録が基になっているのだろうから、ある程度、その点を「差し引いて」読むべきであろう。

学者や研究者が、資料的な価値は、少ない、という見方をするのも無理はないことだ。

3) 宮内庁が編纂した「実録」では、読み取ることは出来ない

我々、国民としては、資料的な価値より、摂政として、政治に関わりだしてから、いかなる思いで国民と接しようとしていたのかについて、知りたいところである。

20歳で摂政となり、45歳で、「終戦」を迎えるまでに、どのような気持ちで、日々を送っていたのか、知りたいものである。

「天皇の命令である」と言う名目の下に、多くの若者が、死に赴いたことについて、いかなる気持ちを抱いていたのか知りたいと思う。

だが、それは、到底、宮内庁が編纂した「実録」では、天皇の心の中までは、読み取ることは出来ないであろう。

また、何故、「退位」しなかったのかについても、本心を知りたいが、それもかなわぬ事であろう。

そうだとすれば、この「実録」は、国民にとっても、あまり意味のあるものとは思えない。

D・バーガミニの「天皇の陰謀」のような本が、歴史学会において、真面目に取り上げられないような現状では、それに代わるような情報は、ない、と思う。

本来ならば、青のような本こそが、日本人の手によって、書き残されるべきであろう。
だが、関係者の多くが、他界した現状にあっては、もはや、それもかなわぬことであろう。

         ≪関連サイト案内≫
* 昭和天皇実録を公表 開戦回避できず苦悩=東京新聞 9/9
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014090990070046.html
 
* 昭和天皇実録 激動の時代読み取る資料=北海道新聞
9/9
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/561686.html

昭和天皇の生涯記録 実録を公開 

終戦決意の一方で戦勝祈願=日本経済新聞  9/9

http://www.nikkei.com/article/DGXLZO76818440Z00C14A9MM8000/

昭和天皇イメージに配慮か=エピソード選別し記載-慎重姿勢に識者から疑問も
=時事ドットコム9/9
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014090900053

 (2014/9/9)