2014年9月4日木曜日

LS:ヘイトスピーチ禁止の法制化は、憲法違反  法が出来ても、規制は無理

法律を作っても、無くなりはしない。
日本の社会構造が変わらない限り、無駄な事である。

法律での規制など、出来はしない。
彼らは、法律が出来ても、ヘイトスピーチを止めはしないだろう。


1) 沖縄タイムスの記事より__。

国連の人種差別撤廃委員会は、ヘイトスピーチを、法律で規制するよう日本政府に、勧告した。

人種差別をあおる行為に関与した、個人や団体を捜査し、必要なら起訴するよう求めた。

人種差別撤廃条約は、1969年に発効、日本は、95年に批准した。


国連の委員から「人種差別の扇動は規制しても表現の自由の侵害にはならない」という意見が相次いだ




『特定の人種や民族への差別的な言動を繰り返す「ヘイトスピーチ」(憎悪表現)に対し、国際社会から厳しい目が向けられている。
 国連の人種差別撤廃委員会は、対日審査会合の最終見解で、ヘイトスピーチを法律で規制するよう日本政府に勧告した。人種差別をあおる行為に関与した個人や団体を捜査し、必要なら起訴するよう求めている。これらの行為をあおる政治家らに対しても適切な制裁を下すよう求めた。
 ヘイトスピーチをめぐっては、7月にも国連人権規約委員会が、禁止するよう日本政府に勧告したばかりだ。
 京都市の朝鮮学校に対して「在日特権を許さない市民の会」(在特会)が行った街宣活動に対して昨年10月、京都地裁は国連の人種差別撤廃条約を根拠に「人種差別にあたる」として違法性を認定。今年7月、大阪高裁も1審を支持し、在特会に対し損害賠償を命じている。
 人種差別撤廃条約は1969年に発効、日本は95年に批准した。条約は加盟国に「人種差別の扇動」などを禁じる法整備を求めているが、日本は憲法で保障された「表現の自由」に抵触する恐れがあるとして、法規制に慎重な立場を崩していない


 しかし、今回の対日審査ではヘイトスピーチに対し、委員から「人種差別の扇動は規制しても表現の自由の侵害にはならない」という意見が相次いだ。国際世論がヘイトスピーチ規制を求める強い決意を示したものである。日本はもはやこれを放置することは許されない。』=沖縄タイムス 9/2
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=81760

たとえ法制化しても、取り締まれない。
彼らは、言論の自由など、初めから、問題にはしていないからである。

そのような意識があれば、ヘイトスピーチをするはずがない。
問題は、警察や公安が、しっかりと彼らを取り締まらないことにある。

彼らを、放置し、「泳がしている」ことにある。
その事で、「民主的な勢力」の規制を強める材料に使おうと、初めから決めていることにある。

2) 日本国憲法こそが、最高法規である


基本は、あくまでも、日本国憲法にある。
日本国においては、日本国憲法こそが、最高法規である。

まず、この事を確認してきたい。
そうでないと、議論が、「むちゃくちゃ」になる。

日本国憲は、その第19条で、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と規定する。

何を、どう考えるか、どんな考えに賛成するか、などについては、__公共の福祉に反しない限りは__保障されているのである。


また、第21条では、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」としている。

そして、考えを同じくする者同士が、寄り集まって、相談をし、知恵を集めることも、その考えを公の場で発表し、意見をいうことも、同様に、保障されている。

もちろん、これも、個人や団体が、何を言い、何をしても許される、ということではない。
「公共の福祉に反しない限りは」という「但し書き」がつく。

さらには、第99条では、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」として、憲法を守るべきもの__つまり、この憲法を破る可能性のあるもの__を、規定している。

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員こそが、第19条や21条を守るべき義務を課されている。

これらの事を良く「腑に落とし込んでおく」ことが重要である。
これらの条文が、このヘイトスピーチについて考える際の基本である。

3) 法律は、いったん出来上がると、権力者の都合のいいように、解釈され、運用される危険がある


「税金は、取りやすい所から取る」と言うのが、為政者の基本的な考えなのだそうだ。

これに倣うと、「国民の権利は、規制しやすいところから、規制する」、と言うのが、権力側の基本思想であろう。

「誰でもが、納得しやすい」ことから、__まず、手始めに__ 規制する。

これなら、「文句を言うことが出来ないだろう」と国民が思う事から、規制の網をかけていく。
そして、徐々に、その規制の網を広げていく。

湖に小石を一つ落としたときの事を考えてみてもらえれば、解り安いかもしれない。

ほんの小さな小石が、引き起こした波でも、それが、やがては、ドンドンと広がっていく。

ヘイトスピーチを法律で規制する事は、このような危険をはらんだものである。

沖縄タイムスの記事も、そのことを警告して、次のように言う。

『原発再稼働や特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認などへの国民の批判を封じ込める意図があるなら到底容認できない。

国連の委員会もヘイトスピーチ対策を、通常のデモや抗議活動の「表現の自由」を規制する口実にすべきではないとくぎを刺している。PTの方針は、それに反するものである』(同上)
ここは、難しい所である。

だが、法律は、いったん出来上がると、権力者の都合のいいように、解釈され、運用されかねない。

まして、実際に、法律の条文を作るのは__驚くべきことであるが__日本の現状においては、官僚なのである。

官僚独特の、どうとでも解釈できる条文が出来上がることは、「火を見る」より明らかであろう。

だから、私は、その意味でも、法制化には反対である。
現行の法律や条例で対処すべきであると考える。

警察や自治体が、本気になって行えば、十分に可能な事である、と思う。

≪関連サイト案内≫


ヘイトスピーチは新法を制定して厳格に取り締まるべ
きだ=五十嵐仁 9/1
http://blogos.com/article/93559/

(2014/9/4)