雨の中、昨日は、安保法案に反対するための「統一デモ」が、行われた。
いっぽう、国会の審議は、止まったままである。
それは、維新の党や次世代の党などが、相次いで修正案を提出したことが、影響している。
だが、与党と一部の野党による「修正協議」は、「密室政治」そのものであり、「古い政治」への逆戻りである。
今、修正案を出しているのは、次世代、日本を元気にする会、新党改革の3党と、維新の党である。
1) この法案を「密室政治」によって「解決」することは、「古い政治」に戻ること
次世代、日本を元気にする会、新党改革の3党は合同で、維新は単独で、修正案を提出した。
この修正案の協議は、国民の目の届かないところで行われる。だから、それは、従来から行われている、「密室政治」そのものだ。
修正協議にはいり、合意がなされたら、どういう結果になるのか。もし、そこで合意形成が出来たということであれば、一体、国会における審議は、何であったのか。
また、合意形成が出来た以上は、採決の段階において、「反対すること」はありえないことだ。そのような合意を行う事は、国会の審議を「有名無実」にするものであり、国会軽視にほかならない。
そもそも、法案は、多少の「手直し」をされることがあっても、骨格が変えられることはない、であろう。
自民党の高村氏は、「われわれが害にならないと思うところは、できるだけ取り入れて維新が受け入れるなら修正はあり得る」と語っっているからだ。
そうであれば、この法案の「違憲性」そのものが、変更されるわけではない。
2) 米国の「指令」による「安倍首相の、安倍首相による、安倍首相のための法案」
これまでの国会審議の結果、明らかになってきたことは、この法案が、「安倍首相の、安倍首相による、安倍首相のための法案」である、ということだ。
それはまた、米国の要求、もっと言えば、「指令」による法案でもある。
この法案の目的は、あくまでも、自衛隊を使って、米国を「助ける」ことにある。日本の自衛隊を、米国のための「軍隊」に、つまり、「米衛隊(べいえいたい)」にすることにある。
安倍首相は、そのためなら、「どんなことでもする」つもりのようだ。「戦後70年談話」、「新国立競技場」などで、譲歩しているのは、その「あらわれ」である。
この安保法案を成立させる。
それが出来れば他のことは、「どうでもいい」という態度に見える。
それは、もちろん、米国からの「要請」でもある。
だからこそ、安倍首相は米国での議会演説において、あれほどの「歓迎」を受けた。オバマ政権は、この法案の成立を「首を長くして」待っていることであろう。
もし、法案の修正協議が行われ、合意形成が出来て採決されれば、法案は成立する。そうなれば、与党は単独で強行採決をした、という批判を受けなくても済む。
だが、大半の国民は、今でも、この法案に反対の意思を示している。
それは、世論調査の結果を見れば明らかである。
民意は、「廃案」にある。
そうであるのに、「密室政治」を行い、「政治を私(わたくし)する」ことは、許されない。
それは、主権者である国民の意思を無視することであり、この法案を採決すること自体(法案の中身がどうであれ)「そのもの」が、明らかに、憲法に違反した行為である。
その意味において、二重の「憲法違反」をすることになる。
3) 菅長官の認識こそ、「大きな誤解」である。
昨日も、雨の中、国会周辺はもとより、全国各地で、この法案に反対するデモや、集会が一斉に行われた。
民意は、示されている。
菅長官が、会見において「一部の野党、マスコミから『戦争法案』『徴兵制の復活』などと宣伝されており、大きな誤解が生じていることはきわめて残念だ」 とのべたようだ。
だが、この菅長官の認識こそ、「大きな誤解」である。
国民は、一部の野党、マスコミからの「宣伝」で、動いているのではない。
反対の集会を行い、デモをしているのではない。
この安保法案の「危険性」をよく理解したうえで、自らの判断で、反対の意思表示をおこなっているのである。
けっして、だれかの「煽動」に乗せられた結果ではないのである。
絶対であるべき国民の「主権」が、安倍首相によって、「簒奪(うばわれた)」された。
その主権を取り戻すべく、「奮闘」しているのであって、「誤解」によるものでも、何でもない。
「主権者」として、当然の権利を主張しているのである。
(関連サイト案内)
・高村氏、安保法案修正に消極的 付帯決議は含み=琉球新報
・安保法案、野党側の修正に応じず 与党、原案通り採決へ=朝日
・安保法案、自公が次世代など3党と修正協議=TBS
・自民・高村氏、維新との修正協議「必ずしも楽観していない」=TBS
(2015年8月31日)