2015年8月12日水曜日

「御巣鷹山」事故 原因、救助の遅延を「曖昧」にすることは、許されない

今日で、30年になる。
日航機の「御巣鷹山」事故のことである。
あらためて、お亡くなりになられた方々の、ご冥福を祈りたい。
また、「謎の多い」事故でもある。事故の原因、救援が遅れたこと、これらのことを、
「曖昧」にすることは、許されないと思う。


◆ 生涯忘れることのできない「出来事」の一つである

この事故は、私にとっても、生涯忘れることのできない「出来事」の一つである。
その理由については、昨年のブログでも、記事にした。
ここに、引用しておきたい。
「私にとっても「思い出深い」事件であった。
この時、兄弟が、欧州に新婚旅行中であり、帰国する予定になっていた。
 また、この日がやってきた。
もう、来年で、30年になる。
日本航空123便墜落事故の事である。
御巣鷹山の文字が、新聞紙上をにぎわした。」
 日本航空123便墜落事故(御巣鷹山墜落事故)の、29回目の日がやってきた。

この記事を書いたころの私は、まだ「ウブ」で、この事故については、世間一般の程度のことしか、しらなかった。

その後、youtubeの動画などで、この事故についていろいろ調べるうちに、この事故は、「単なる事故ではない」という事を、しった。

謎が多い事故である、ことを知った。


◆ 毎日新聞が載せた記事。事故原因については、機体の「破損」

11日の毎日新聞は、この記事のついて、詳しい記事をのせた。
その記事を、次のように結んでいる。

遺族は日航、運輸省、ボーイング社の幹部ら計12人を業務上過失致死傷などの容疑で東京地検に告訴。群馬県警は日航、運輸省、ボーイング社の関係者計20人(うち1人は告訴と重複)を書類送検した。捜査を担当した前橋地検は、それら全員を不起訴処分とした。ボーイング社については関係者の事情聴取ができず、過失が認定できなかったと説明。日航、運輸省については「問題の亀裂の発見は困難だった」と判断した。事故の刑事責任は、だれも問われることがなかった。」

だが、この記事は、国の航空事故調査委員会(現在の運輸安全委員会)が出した、最終事故調査報告書に基づいた記事になっている。

その報告書には、事故の原因について、「機体の後部圧力隔壁が破裂。垂直尾翼の大半が吹き飛び、油圧系統も破損したため、操縦不能になった(ことにある)」、と紹介している。


◆ 謎が多い、航空機事故である

一方で、このような観方もあることを、ここに紹介しておきたい。




≪「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について!」佐宗邦皇代表≫


佐宗邦皇氏は、この会議の数日後に、講演中にお茶を飲んだ後、急に体調を崩し、亡くなっておられる。
ネットでは、「暗殺された」というような情報が、飛び交っている。

この動画で語られているようなことが、「事実であるのかどうか」は、私には、判断をすることが出来ない。

新たな証言が、でた。
FNNが、報じた。




自衛隊機も、事故直後に、一度現場に行きながらも、「装備が十分でない」という理由で、引き返した。救援活動が再開されたのは、翌日の朝のことであった。

何故、米軍の「申し出」を断ったのか。自衛隊機が、引き返したのか。これも、大きな「疑問点」である。
どちらにしても、謎が多い事故であることは、間違いがない。

だから、この事故について、「単なる記念日にする」ことは、許されないことである、と思う。

日本の空を飛行機が飛び交う限りにおいて、永遠に忘れ去ってはならない、「事故」である。

 動画を追加、加筆しました。2015/8/13

(2015年8月12日)