信じられないことだ。
あまりにお粗末である。
自民党の熊田祐通議員が掲載し続けた、「自身の過去の悪業」記事が、炎上、話題になっている。
「女性教師トイレに閉じ込め、爆竹投げ込んだ。(その結果に)『やった~』と快感でしたね」と、書きこんでいたのだ、という。
秘書に責任があるのか、本人の責任なのか、よくわからないが、「危機管理意識」に欠ける。
今、国会は、安保法案の審議の最中にある、という事を本当に理解できているのか、疑いたくなってくる。
それにしても、「このような人物」が、国会議員になり、国会のなかで、「教育委員会」のメンバーを構成しているとは、「話にもならない」ことである。
1) 「政治家=やんちゃな悪ガキ=自分は資格があった」と、いいたいのか
まして、熊田氏は、問題になった「文化芸術懇話会」のメンバーである、という事だ。
それであれば、「ウの目タカの目」で、自身の身辺が「探られている」という事を、想定できていなければ、ならない。
いつまでも、自身の「過去の言動」をつづったような記事を、掲載し続けるなどという事は、「論外」である。そんな記事を削除することなく、「堂々」と載せ続ければ、「”いじめ”を容認している」と、批判されるのは、目に見えている。
それなのに、削除もせずに「そのままにしておいた」という事は、たんに、「”いじめ”を容認している」という、レベルの問題ではない、と思う。
それは、熊田氏が、「このぐらいの”やんちゃ”が出来る人間でなければ、政治家にはなれない。あるいは、政治をすることが出来ない。
このことを、「暗に」主張をしたい、という考えがあるから、削除しなかったのではないか。
”JCAST”の記事は、
この文脈からすると、「政治家=まじめでよい子=自分は失格だった」と、なっている。
だが、事実上、熊田氏は、「失格」には、ならなかった。
ということは、上の図式は、「政治家=やんちゃな悪ガキ=自分は資格があった」と、なる。
2) 高校生の時のことだから、と見過ごすことの出来ない「悪業」
実際に、熊田氏が、高校生に時にした「先生とイタチゴッコ」(悪行)の例として、次のようなことを書いている。
高校生ともなれば、体格では、その「教師」に十分に勝っていたことであろう。
しかも、これは、熊田氏が一人でやったことではない。集団で、やったことだ。
これだけでも、「卑怯千万」な行いである。
しかも、その理由が、その女性教師が「生意気だから」という、およそ、生徒とは思えない理由からだ。おまけに、狭いトイレ中に、「爆竹」を、次々に、投げ込んだのだという。
もうくなると、これは、立派な「傷害事件」である。
もし、仮にこれが、この先生の顔にあたって、「顔を焼く」ようなことになったら、どうするつもりであったのだあろうか。
そんなことは、考えもしなかったのだろうか。
高校生といえば、もう、普通の判断力が、備わっているはずなのだが。
その判断力さえ、持ち合わせないほどの、「ワル」だった、ということなのか。
「不良っぽいグループの写真もアップ」されていた、ということであるから、
この「想像」は、あながち、間違ってはいまい。
それ以外にも、ここで紹介することが、「バカバカしくなる」ほどの、「悪行」が、書かれていたようだ。(今、その全文を読むことが出来ないのは、残念だが)
3) これで、道徳教育について「説く」など、論外だ
熊田議員は、驚くなかれ、文部科学委員会のメンバーである。
熊田氏が、自らのサイトに、アップした動画(youtube)を張り付けておきたい。
ぜひ、ご覧いただきたい。
熊田氏は、ホームページの中の、「政治信条『教育について考える』」において、次のように述べる。
よく、このようなことを、「平気」で書けるものである。
新聞記事が、とりあげた「投稿文」が、熊田氏によって削除されたのは、この「記事が、見つけられ、炎上した」後である。
それまでは、削除されることなく、掲載され続けてあった。
今は、
「不快な思い」をさせた事を、詫びては、いる。
が、削除した理由は述べずに、「理解せよ」という。
ここには、反省の言葉は、「ひとこと」もない。
何よりも、当の「女性教師」への「おわび」が必要だと思うが、それもない。
このような「履歴書」を掲載し続けた「理由」についても、一言も触れられていない。
これをもって、自民党のすべの議員が、「こういう人びと」であるとは、断定はしないが、党内のこのようなことを「許す」、あるいは「見過ごす」という体質が、「存在する」ということは、今や否定できない事実なのではないか。
それは、「マスコミ懲らしめ」発言のときの「対応」に、象徴的に示されている、と思う。
今こそ、熊田議員や、武藤議員、大西議員だけでなく、すべの自民党の国会議員が、「エリを正す」べき時であると、思う。
(2015年8月6日)
あまりにお粗末である。
自民党の熊田祐通議員が掲載し続けた、「自身の過去の悪業」記事が、炎上、話題になっている。
「女性教師トイレに閉じ込め、爆竹投げ込んだ。(その結果に)『やった~』と快感でしたね」と、書きこんでいたのだ、という。
秘書に責任があるのか、本人の責任なのか、よくわからないが、「危機管理意識」に欠ける。
今、国会は、安保法案の審議の最中にある、という事を本当に理解できているのか、疑いたくなってくる。
それにしても、「このような人物」が、国会議員になり、国会のなかで、「教育委員会」のメンバーを構成しているとは、「話にもならない」ことである。
1) 「政治家=やんちゃな悪ガキ=自分は資格があった」と、いいたいのか
まして、熊田氏は、問題になった「文化芸術懇話会」のメンバーである、という事だ。
それであれば、「ウの目タカの目」で、自身の身辺が「探られている」という事を、想定できていなければ、ならない。
いつまでも、自身の「過去の言動」をつづったような記事を、掲載し続けるなどという事は、「論外」である。そんな記事を削除することなく、「堂々」と載せ続ければ、「”いじめ”を容認している」と、批判されるのは、目に見えている。
それなのに、削除もせずに「そのままにしておいた」という事は、たんに、「”いじめ”を容認している」という、レベルの問題ではない、と思う。
それは、熊田氏が、「このぐらいの”やんちゃ”が出来る人間でなければ、政治家にはなれない。あるいは、政治をすることが出来ない。
このことを、「暗に」主張をしたい、という考えがあるから、削除しなかったのではないか。
”JCAST”の記事は、
「熊田氏は、愛知県議時代に書いたとみられる『議員への道』で、政治家になる条件というテーマで自己紹介文を載せた。そこでは、政治家にまじめでよい子が求められるとすれば、自分は失格だったと告白した。
中高時代は、政治家を志しながらも『やんちゃな悪ガキ』だったとして、グループで騒いでは先生とイタチゴッコするのを楽しみにしていたという。紹介文では、不良っぽいグループの写真もアップしていた。」と、紹介している。
この文脈からすると、「政治家=まじめでよい子=自分は失格だった」と、なっている。
だが、事実上、熊田氏は、「失格」には、ならなかった。
ということは、上の図式は、「政治家=やんちゃな悪ガキ=自分は資格があった」と、なる。
2) 高校生の時のことだから、と見過ごすことの出来ない「悪業」
実際に、熊田氏が、高校生に時にした「先生とイタチゴッコ」(悪行)の例として、次のようなことを書いている。
教師とはいえ、「若い(しかも)、女性」である。
”産休の補助で来た若い女性教師が生意気だとして、放課後にトイレ掃除の点検をしに来たこの教師をトイレに閉じ込め、天窓を開けて爆竹を次々に投げ込んだ。教師は最初、『開けなさい』と言っていたが、そのうちに悲鳴に変わり、熊田氏は、「『やった~』と快感でしたね」・・・”
高校生ともなれば、体格では、その「教師」に十分に勝っていたことであろう。
しかも、これは、熊田氏が一人でやったことではない。集団で、やったことだ。
これだけでも、「卑怯千万」な行いである。
しかも、その理由が、その女性教師が「生意気だから」という、およそ、生徒とは思えない理由からだ。おまけに、狭いトイレ中に、「爆竹」を、次々に、投げ込んだのだという。
もうくなると、これは、立派な「傷害事件」である。
もし、仮にこれが、この先生の顔にあたって、「顔を焼く」ようなことになったら、どうするつもりであったのだあろうか。
そんなことは、考えもしなかったのだろうか。
高校生といえば、もう、普通の判断力が、備わっているはずなのだが。
その判断力さえ、持ち合わせないほどの、「ワル」だった、ということなのか。
「不良っぽいグループの写真もアップ」されていた、ということであるから、
この「想像」は、あながち、間違ってはいまい。
それ以外にも、ここで紹介することが、「バカバカしくなる」ほどの、「悪行」が、書かれていたようだ。(今、その全文を読むことが出来ないのは、残念だが)
3) これで、道徳教育について「説く」など、論外だ
熊田議員は、驚くなかれ、文部科学委員会のメンバーである。
熊田氏が、自らのサイトに、アップした動画(youtube)を張り付けておきたい。
ぜひ、ご覧いただきたい。
熊田氏は、ホームページの中の、「政治信条『教育について考える』」において、次のように述べる。
「日本の未来を担う子供たちには学力のみならず、道徳心や公共を考える力、国を愛する意識など幅広い心の涵養が必要です。
道徳教育にかける時間を増やして、個人の行使できる権利とそれに伴う義務を自覚させなければなりません。ボランティアや福祉活動など課外活動に従事させ、社会教育を経験させることにより「公共」の中の「個」を意識する心を育てます。」まったく、笑えてくる。
よく、このようなことを、「平気」で書けるものである。
新聞記事が、とりあげた「投稿文」が、熊田氏によって削除されたのは、この「記事が、見つけられ、炎上した」後である。
それまでは、削除されることなく、掲載され続けてあった。
今は、
「このたび私のHP上に記載した、若い頃にやってしまった度を過ぎた悪戯について、各方面より多くのご批判を頂きました。ご不快な思いをされたすべての皆様と、関係各位に心よりお詫び申しあげます。という文が、載せられているだけである。
なお当該記事は削除させて頂きました。ご理解頂きますようお願い申しあげます」
「不快な思い」をさせた事を、詫びては、いる。
が、削除した理由は述べずに、「理解せよ」という。
ここには、反省の言葉は、「ひとこと」もない。
何よりも、当の「女性教師」への「おわび」が必要だと思うが、それもない。
このような「履歴書」を掲載し続けた「理由」についても、一言も触れられていない。
これをもって、自民党のすべの議員が、「こういう人びと」であるとは、断定はしないが、党内のこのようなことを「許す」、あるいは「見過ごす」という体質が、「存在する」ということは、今や否定できない事実なのではないか。
それは、「マスコミ懲らしめ」発言のときの「対応」に、象徴的に示されている、と思う。
今こそ、熊田議員や、武藤議員、大西議員だけでなく、すべの自民党の国会議員が、「エリを正す」べき時であると、思う。
(2015年8月6日)