2015年8月15日土曜日

戦後70年談話(Ⅰ) 安倍首相の「お詫び」は、「心」がこもっていない

早くから騒がれていたが、その割には、「独自性」を出すものには、なっていない。
当初の「意気込みから」は、大きく後退したものになっている。
焦点のおわびについても、安倍首相の「お詫び」には、まったく「心」がこもっていない。


昨日出された、70年談話を、二点に絞って、思うところを記してみたい。
一点は、「お詫び」について。
もうひとつは、「歴史認識」についてである。

この記事では、「お詫び」についてのみを、記す。


◆ 安倍首相の、この姿勢(おわびに言及しない)は、一貫していた

安倍晋三首相は、4月20日のBSフジ番組では、戦後70年談話に、「侵略」や「おわび」などを盛り込むかどうかについて、「(村山富市首相談話などと)同じことなら談話を出す必要がない。(過去の内閣の歴史認識を)引き継いでいくと言っている以上、これをもう一度書く必要はない」と、述べた。

また、4月22日のバンドン会議においても、「お詫び」には、言及しなかった。

「侵略または侵略の脅威、武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立を侵さない。国際紛争は平和的手段によって解決する。

 バンドンで確認されたこの原則を、日本は、先の大戦の深い反省と共に、いかなる時でも守り抜く国であろう、と誓いました。
 と、述べるにとどまった。


さらに、4月29日の米国での、議会演説においても、次のように述べた。
戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。」
この演説においても、「反省」は述べたが、「お詫び」には、言及しなかった。

安倍首相の、この姿勢は、これまでは一貫していた。
それは、それで、かまわない。


◆ この70年談話における「お詫び」の表明は、形ばかりの表明でしかない

だが、昨日の談話では、これまでの姿勢を 、180度、転換させた。
そして、「お詫び」の文言を、いれた。

しかも、それは、「自分の言葉」として、「明言」されたものではなかった。

「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」というものであり、到底、安倍首相本人の気持ちが表明された言葉には、なっていない。

首相の、「心からのおわび」の言葉には、なってはいない。

この「姿勢の転換」は、ふたつの理由が考えられる。

ひとつは、 今日の日本国内の状況を顧慮してのものであろう。
それは、安保法案に反対する国民の声に、「配慮」してのことであろう。

安倍内閣の支持率は、「急降下」しつつある。
8月に行われた毎日の世論調査では、32%まで、落ち込んでいる。

新国立競技場の「見直し」の表明も、支持率の低下の「歯止め」には、ならなかった。

ふたつ目は、公明党への「配慮」も、それに加わっている。

これについては、公明党の山口代表が、11日の記者会見において、「国民や国際社会に歴代内閣の談話を継承した意味が伝わるものにしてほしい」と、安倍首相に「注文」をつけたことを明らかにした。

閣議決定は、公明党の大臣の承認がなければ、出来ない。
そのためにも、「お詫び」のついて、言及せざるを得なかった、という事であろう。


どちらにしても、この70年談話における「お詫び」の表明は、形ばかりの表明に終わっている。
これを、中国や韓国の政府や国民が、受け入れるとは、到底思えない。

また、この談話が、次の世代や、その次の世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせ(ること)」を、「終わらせる」ものになっているとも、思えない。

(関連サイト案内)
[FT]安倍首相、談話継承も文脈変える =日経
韓国市民団体「自らの言葉で謝罪してない」=ytv
「安倍首相、他人の言葉借りて謝罪…国民は納得しない」=中央日報
首相談話、維新など評価…民主・共産説明要求へ=読売
日本政府の歴史観あらわに=・・・「行動見守る」-韓国外務省=時事
戦後70年に 安倍首相談話 言葉の裏を見極めたい=信濃毎日

(2015年8月15日)