今度は、顧問」が、「お怒り」のご様子である。
維新の党の、松井一郎顧問のことだ。
だが、松井顧問、橋下最高顧問こそ、「わがまま」だ。まず、このお二人こそが、自身に「けじめ」を着けるべきである
、と思う。
今回の発言の主(ぬし)は、松井一郎顧問(大阪府知事)である。
以前には、橋下徹最高顧問の「上京」が、話題になった。
今、審議中の安保法案が、衆議院で「強行採決」される、少し前のことである。
◆ 松井氏の「言葉こそ」、「わがまま放題」の放言だ
今回のことの発端は、柿沢幹事長の言動。
柿沢幹事長が、山形市長選で、民主、共産両党が支援する、候補予定者の応援をした。
そのことが、松井顧問の「カン」に、障ったようである。
また、「けじめをつけると言いながら、終わったら知らんふりか。わがままもわがまま」と、「お怒り」だ。
さらには、「この幹事長のもとでみんなついていけるかどうか。僕はもうついていけません」と言及。
進退について「自分で言った言葉を飲み込むのか。政治家が自分で言った言葉をのみ込んで知らないふりは通らない」と決断を求めた、ようなのだ。
とどめは、「自分は間違っていないと言うならば病院に行った方がいい」、とまで述べた。
ここまで言うと、さすがに、「言い過ぎではないの」と、思ってしまう。
特に、、最後の言葉は、これが、政治を預かる者の「物言い」であろうか、とさえ思う。私には、むしろ、この松井氏の「言葉こそ」、「わがまま放題」の放言に思える。
松井氏は、7月4日の「大阪維新の会」の会合では、「地方分権の理念が忘れ去られるなら我々は一緒にできない。民主と再編するなら僕らはそこに参加できない」と、記者団に述べている。
このような態度こそ、「幼児的」で、自己中心的な言動ではないか。自分の「気に入らない」ことは、激しく、「口を極めて」攻撃をする。
ところが、自分たちの行動への批判は、一切「許さない」という態度こそ、「わがまま」にすぎる、というものだ。
◆ 「自己の言葉」に責任を持たないのは、橋下氏も同じ
「市長任期まではやりますけど、その後は政治家はやりません」
これが、都構想の住民投票で敗退した後の、橋下徹氏の「言葉」である。
この時、自分の役目は、「政治家としていちばんだめです。それから、僕みたいな政治家はワンポイントリリーフ。」とも、述べた。
さらには、「いつかわからないが、誰か政治家が日本の危機的な状況の中で、統治機構改革を打ち出す政治家が出てきた時、都構想の設計図を頼りにされたらうれしい。」と、今後、橋下氏以外の人びとによる、「期待」を、表明した。
その橋下氏が、7月4日に、「大阪維新の会」の会合で、将来の新党設立も視野に近畿2府4県の議員らで「関西維新の会」の設立を目指す考えを示した。
それが、このたび、実現した。
◆ 松井顧問、橋下最高顧問こそ、自身に「けじめ」を着けるべき
これほど、「不可解」な行動は、ない。
橋下氏は、維新の党の共同代表を辞任した時、何と言っていたか。
都構想が否決された後の会見、昨年の12月24日の時の発言。
松井氏が言うように、「政治家が自分で言った言葉をのみ込んで知らないふりは通らない」 のであれば、橋下氏こそ、「けじめ」をつけるべきであろう。
維新の党の「維新」とは、これまでの「政治手法」、特に、自民党に代表される「料亭政治」や、「密室政治」の打破にある、と思う。
政治を「私物化」しない、身内で「たらいまわし」にしない、こういう「姿勢」が、「理想」のはずであろう。
もし、そうであるなら、松井顧問や、橋下最高顧問こそ、自身に「けじめ」を着け、「公明正大」に行動することが、求められている、と思う。
(2015年8月23日)
維新の党の、松井一郎顧問のことだ。
だが、松井顧問、橋下最高顧問こそ、「わがまま」だ。まず、このお二人こそが、自身に「けじめ」を着けるべきである
、と思う。
今回の発言の主(ぬし)は、松井一郎顧問(大阪府知事)である。
以前には、橋下徹最高顧問の「上京」が、話題になった。
今、審議中の安保法案が、衆議院で「強行採決」される、少し前のことである。
◆ 松井氏の「言葉こそ」、「わがまま放題」の放言だ
今回のことの発端は、柿沢幹事長の言動。
柿沢幹事長が、山形市長選で、民主、共産両党が支援する、候補予定者の応援をした。
そのことが、松井顧問の「カン」に、障ったようである。
≪維新の党の松野頼久代表は20日の記者会見で、山形市長選(9月13日投開票)で民主、共産両党が支援する候補予定者を、地元の意向に反して現地で応援した柿沢未途幹事長について「しっかりがんばって党務に励んでほしい」と述べ、続投させる考えを示した。
松井一郎顧問(大阪府知事)や大阪系の国会議員は柿沢氏に辞任を強く求めており、11月の代表選を前に対立が激化している。≫(「読売」)この件について、松井氏は、大阪府庁で記者団に、「お子ちゃま。赤ちゃん。自分がやったことに対してけじめもつけない」と語った。
また、「けじめをつけると言いながら、終わったら知らんふりか。わがままもわがまま」と、「お怒り」だ。
さらには、「この幹事長のもとでみんなついていけるかどうか。僕はもうついていけません」と言及。
進退について「自分で言った言葉を飲み込むのか。政治家が自分で言った言葉をのみ込んで知らないふりは通らない」と決断を求めた、ようなのだ。
とどめは、「自分は間違っていないと言うならば病院に行った方がいい」、とまで述べた。
ここまで言うと、さすがに、「言い過ぎではないの」と、思ってしまう。
特に、、最後の言葉は、これが、政治を預かる者の「物言い」であろうか、とさえ思う。私には、むしろ、この松井氏の「言葉こそ」、「わがまま放題」の放言に思える。
松井氏は、7月4日の「大阪維新の会」の会合では、「地方分権の理念が忘れ去られるなら我々は一緒にできない。民主と再編するなら僕らはそこに参加できない」と、記者団に述べている。
このような態度こそ、「幼児的」で、自己中心的な言動ではないか。自分の「気に入らない」ことは、激しく、「口を極めて」攻撃をする。
ところが、自分たちの行動への批判は、一切「許さない」という態度こそ、「わがまま」にすぎる、というものだ。
◆ 「自己の言葉」に責任を持たないのは、橋下氏も同じ
「市長任期まではやりますけど、その後は政治家はやりません」
これが、都構想の住民投票で敗退した後の、橋下徹氏の「言葉」である。
この時、自分の役目は、「政治家としていちばんだめです。それから、僕みたいな政治家はワンポイントリリーフ。」とも、述べた。
さらには、「いつかわからないが、誰か政治家が日本の危機的な状況の中で、統治機構改革を打ち出す政治家が出てきた時、都構想の設計図を頼りにされたらうれしい。」と、今後、橋下氏以外の人びとによる、「期待」を、表明した。
その橋下氏が、7月4日に、「大阪維新の会」の会合で、将来の新党設立も視野に近畿2府4県の議員らで「関西維新の会」の設立を目指す考えを示した。
それが、このたび、実現した。
「地域政党である大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)が、近畿圏の地方議員でつくる「関西維新の会」の政治団体としての設立を届け出ていたことが22日、分かった。
橋下氏が最高顧問を務める国政政党の維新の党では、大阪系と党執行部の対立が深まっており、11月の代表選に向け党内の主導権争いが激しくなりそうだ。」(「ヤフー」)このことで、維新の会は、「二重組織から、三重組織」へと、「変身」した。
◆ 松井顧問、橋下最高顧問こそ、自身に「けじめ」を着けるべき
これほど、「不可解」な行動は、ない。
橋下氏は、維新の党の共同代表を辞任した時、何と言っていたか。
「維新の党の共同代表を辞任した橋下徹氏(大阪市長)は24日、最高顧問に就任したという党の発表について「了承した覚えはない。一番嫌な肩書。死んでも嫌」と話し、現在は党役員の肩書はなく一党員であることを強調した。市役所で記者団の取材に答えた。」(「産経」)これは、昨年の12月24日の、ことである。
都構想が否決された後の会見、昨年の12月24日の時の発言。
松井氏が言うように、「政治家が自分で言った言葉をのみ込んで知らないふりは通らない」 のであれば、橋下氏こそ、「けじめ」をつけるべきであろう。
維新の党の「維新」とは、これまでの「政治手法」、特に、自民党に代表される「料亭政治」や、「密室政治」の打破にある、と思う。
政治を「私物化」しない、身内で「たらいまわし」にしない、こういう「姿勢」が、「理想」のはずであろう。
もし、そうであるなら、松井顧問や、橋下最高顧問こそ、自身に「けじめ」を着け、「公明正大」に行動することが、求められている、と思う。
(2015年8月23日)