すこし「古い」記事だが、重要と思うので、検討を加えてみたい。
ついにここまで来たか、という感がする。
五輪のことである。
「東京五輪を返上せよ」という声が、出始めてきている。
それは、「競技場」の建設についての「ゴタゴタ」が、ますますヒドクなってきているからだ。
安倍首相の「鶴の一声」が出た後も、「迷走」が続いている。
とうとう、安倍首相は、この原因を民主党に、「負わせよう」と思い始めているようだ。
1) とうとう「五輪返上の声」まで、出始めた
7月30日、「JCASTニュース」が、”「東京五輪を返上せよ」論が急浮上 費用の「妙な高騰」へ怒り爆発”という記事を、載せた。
「建設費用の膨れ上がりは新国立競技場だけではない。海の森水上競技場(ボート・カヌー)は当初69億円が491億円に、有明テニスの森(テニス)が59億円から114億円と軒並み建設費用が高騰しているのだ。オリンピック招致の際には低予算とコンパクトをアピールし開催を獲得したはずなのに、これでは日本は世界の恥さらしになる、というのが「返上」を迫る理由だ。」これ以外にも、軒並み、建設費が、「膨れあげっている」ことを、具体的な数字を挙げ、指摘している。
もちろん、もっとも、大きな原因は、新国立競技場のことだ。
建設費は、3000億円といわれる。
安倍首相の「鶴の一声」で、「ゼロベース」で見直すことになったが、まだ、「不満の声」が、くすぶっている。
森元首相が、典型だ。
「たったの、2500億円が出せないのかね」とのべ、多くの非難をあびることになった。
しかも、森氏は、「もともとあのスタイルは嫌だった」とも述べる。
2) 「体裁」ととらわれず、根本から、見直せ
8月5日には、河野太郎しの、「8万人収容スタジアムは最悪の選択」という記事を、TBSが、報じた。
「間に合わないからもうとりあえず目をつぶって作るというのは、最初のプランを白紙撤回した以上、やるべきではない。極端なことをいえばゼロオプションなら間に合う。2500億をやめて8万人を1800億で建てます、みたいなのは最悪の選択だと思います」その中で、河野氏は、こう述べている。
さらに、「スタジアムを造り、国が維持費を払い続けるモデル」は、見直すべきだ、ともっと踏み込んだ提言をしている。
河野太郎氏は、自身のサイトで、
「陸上競技場あるいはサッカー場は、新たに建設しなくともオリンピックを開催することはできます。とまで、述べている。
残る開会式・閉会式に関しては、現状では六万人収容のスタンドというIOCの条件があります。
しかし、それも開会式をスタジアムでやらない方法をとれば必要なくなります」
いまでは、下村博文・文部科学大臣の辞任の要求が、公然と語られるようになってきた。
もともと、誰が責任者であるのか、ハッキリしないことが、問題であるのに、未だにこのことが、「あいまい」にされたままだ。
新国立競技場の変更は、「鶴の一声」で決まったが、誰も、責任を取っていない。
「誰が責任者である」かを、ハッキリとさせない限り、また、同じことが繰り返されるであろう。
3) これ以上、「財政の赤字」を増やすようなことは避けるべきだ
私は、この五輪の誘致で、日本中が「沸き返っている」ときに、「五輪の誘致は、やめるべきだ」と、記事に書いたことがある。
「五輪という姑息な手段に期待せず、自己に課せられた使命を地道に遂行することこそが、
福島の、そして日本の再生につながることを、自覚すべきだ。
今からで遅くない。こうなることを予測していた訳ではないが、「緊急の課題」は、東電事故の解決であり、東北の復興である、と考えていたからであった。
日本は、五輪誘致を辞退するべきだ。
核物質を、世界にばら撒いた責任を取るべきだ。」
事ここに至っての、―「今からでも遅くはない」という事が許されるのかどうかは、「知らない」が―、「東京五輪を返上せよ」という声は、十分に理解できる。
もともと、東京に五輪を持ってこようとしたこと自体が、「誤り」であったのだ。
安倍首相の「大見得」(本当は、「大ウソ」。未だに、このことを、認めようとはしていないが)と、お金の「ばらまき」で、始まったことである。
このゴタゴタを考えるにつけ、つくづく、日本社会の「劣化」という事を思わずにはおれない。
こんなことは、少し前には、「考えることが出来なかった」ことだ。
今後、どういう形で解決することになるにせよ、「将来の人びとに、大きな負担を残すようなこと」だけは、絶対に避けるべきである、と思う。
(関連サイト案内)
★ 総工費「9月上旬に」…新国立競技場計画=読売
★ 建設費用が当初予定の15倍!=NAVER
★ 「新国立建設」を管理下に 日本を三流国扱いするIOCの本心=日刊ゲンダイ
★ 自民党「建設しないことも…」 首相に提言=日テレ
(2015年8月10日)