本当に「懲りない人」だ。
また、このような発言を許す自民党にも、「懲りない党だ」と言いたい。
大西議員が、今度は、「反」原発解説者を「個別撃破せよ」と発言した。
われわれも、「懲りること」なく、批判をしておきたい。
知った以上は、「黙っていることは、認める事」である、と思うからである。
前回の度重なる、「マスコミを懲らしめる」発言で、自民党内からは、「しゃべらせるな」という批判まで、飛び出していた、と記憶する。
ところが、またまた、「懲らしめる」に近いような「発言」をした。
場所は、今回も、党本部だ。
そこで、開かれた「原子力政策に関する会合」に、おいてのことである。
1) これも、形をかえた「マスコミへの干渉」である
東京新聞が、★「反原発コメンテーターを「個別撃破」 大西議員、エネ庁幹部に要求」というタイトルで、報じた。
そこはどうなのであろう。
もし、公開の会議の席上でおこなわれた「発言」なら、もうこの人に「つける薬はない」という気がする。
こんなことを公の場で発言すれば、「問題になる」のは、解りきったことである。
非公開の会議のことであるなら、誰かが「リークした」ことになる。
2) 大西議員だけのことではなく、「自民党」の問題である
ここまで来ると、もう「大西議員一人」の問題ではない、と思う。
自民党自体の「問題」である。
党内において、こういう「発言を許す雰囲気」が存在をする。
こういうこと、ではないか。
だから、平気でこのような発言が出てくる、のではないか。
また、「懲らしめ」発言の時の「処分の仕方」が、「いい加減であった」ことにも、大きな原因ではないか。
あのとき、大西議員は、「厳重注意」を受けただけのことであった。
谷垣幹事長の動きも、「緩慢」であった。
野党や、マスコミや、国民からの「ごうごうとした」批判が起きてきたことで、
はじめて、「対応を変換」した。
「事の重大性」を、どこまで認識できていたのか、その点、大いに「疑問」がある。
「これは、民主主義を否定する、重大な発言である」という認識が、「欠けていた」のではないか。
だから、「のど元過ぎたら、熱さを忘れた」という事ではないか。
若手のテレビ出演の禁止、「街頭演説の自粛」、新聞社の「アンケート」の拒否など、安倍政権にとって「不都合な真実」が、表面化することを避ける対策がなされている。
だが、所詮、「人の口に、戸は立てられない」のたとえ通り、完全にブロックすることは出来ない。
そこに、安倍政権の「脆弱性」がある。
(関連サイト案内)
★ 自民・大西議員 今度は反原発コメンテーターを「個別撃破」=日刊ゲンダイ
(2015年8月1日)
また、このような発言を許す自民党にも、「懲りない党だ」と言いたい。
大西議員が、今度は、「反」原発解説者を「個別撃破せよ」と発言した。
われわれも、「懲りること」なく、批判をしておきたい。
知った以上は、「黙っていることは、認める事」である、と思うからである。
前回の度重なる、「マスコミを懲らしめる」発言で、自民党内からは、「しゃべらせるな」という批判まで、飛び出していた、と記憶する。
ところが、またまた、「懲らしめる」に近いような「発言」をした。
場所は、今回も、党本部だ。
そこで、開かれた「原子力政策に関する会合」に、おいてのことである。
1) これも、形をかえた「マスコミへの干渉」である
東京新聞が、★「反原発コメンテーターを「個別撃破」 大西議員、エネ庁幹部に要求」というタイトルで、報じた。
「自民党の大西英男衆院議員(写真、東京16区)は三十日午前、党本部で開かれた原子力政策に関する会合で、原発に批判的なテレビのコメンテーター(解説者)らに関し『個別にどんどん正確な知識を知らせていくべきだ。各個撃破でいいからぜひ行って、皆さんの持っている知識を知らしめてください』と資源エネルギー庁の幹部らに求めた。
大西氏は会合で「安保法制が一段落つけば、九州電力川内(せんだい)原発がようやく再稼働になるが、こういった(再稼働)問題にマスコミの攻勢が行われる」と指摘。解説者らの発言を『ことさら原発再稼働反対の意思を表示している。一般の人たちが聞くと、あたかも日本のエネルギー政策は間違っているというとらえ方をしかねない』と述べた。この会議が、「秘密会」(非公開の会議)であったのかどうかは、この記事には言及がない。
そこはどうなのであろう。
もし、公開の会議の席上でおこなわれた「発言」なら、もうこの人に「つける薬はない」という気がする。
こんなことを公の場で発言すれば、「問題になる」のは、解りきったことである。
非公開の会議のことであるなら、誰かが「リークした」ことになる。
2) 大西議員だけのことではなく、「自民党」の問題である
ここまで来ると、もう「大西議員一人」の問題ではない、と思う。
自民党自体の「問題」である。
党内において、こういう「発言を許す雰囲気」が存在をする。
こういうこと、ではないか。
だから、平気でこのような発言が出てくる、のではないか。
また、「懲らしめ」発言の時の「処分の仕方」が、「いい加減であった」ことにも、大きな原因ではないか。
あのとき、大西議員は、「厳重注意」を受けただけのことであった。
谷垣幹事長の動きも、「緩慢」であった。
野党や、マスコミや、国民からの「ごうごうとした」批判が起きてきたことで、
はじめて、「対応を変換」した。
「事の重大性」を、どこまで認識できていたのか、その点、大いに「疑問」がある。
「これは、民主主義を否定する、重大な発言である」という認識が、「欠けていた」のではないか。
だから、「のど元過ぎたら、熱さを忘れた」という事ではないか。
若手のテレビ出演の禁止、「街頭演説の自粛」、新聞社の「アンケート」の拒否など、安倍政権にとって「不都合な真実」が、表面化することを避ける対策がなされている。
だが、所詮、「人の口に、戸は立てられない」のたとえ通り、完全にブロックすることは出来ない。
そこに、安倍政権の「脆弱性」がある。
(関連サイト案内)
★ 自民・大西議員 今度は反原発コメンテーターを「個別撃破」=日刊ゲンダイ
(2015年8月1日)