2015年8月16日日曜日

戦後70年談話(Ⅱ) 「先の戦争」の「置き土産」を清算したか

今日は、「五山の送り火」の日。
この送り火とともに、京都には、秋の気配が漂うようになる。
送り火が、「死者の霊」とともに、「暑さ」も、送ってくれる。
70年談話も、「さきの戦争」の「置き土産」である「日米安保条約」と「在日米軍基地」を、「送ってくれる」(清算する)ものになって、欲しかった。


「五山の送り火」の火が消え、「盆」が終わり、暑さがやわらごうとも、我々日本人は、決して、忘れてはならないことがある。

70年談話の続き。
「歴史認識」について、記しておきたい。
ただ、ここで特別難しいことを説くつもりはないし、その能力もない。
「身近な」問題を取り上げて、論じる事しかしない。


 どの世代であれ、過去の歴史に、真正面から向き合うことは、当然のこと

70年談話で、安倍首相は、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」(前段)と、述べた。

ニュースの記事などでは、「この部分」だけが取り上げられ、あたかも、「謝罪する責任」をこれで回避できるようになるかのごとき論調がある。

しかし、この文だけを取り上げて論じるのは、「誤り」である。

70年談話は、続けて、「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」(後段)

この文章全体の前には、「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています」という言葉が、置かれている。

前段のままだと、あの戦争に「関わりのある世代」がいなくなれば、日本は「謝罪」する必要がなくなる。こう、「誤解」されかねない。

それを避けるために、「世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合」う必要がある、と付け加えている。
「謙虚な気持ちで、過去を受け継」ぐ責任がある、とも述べる。

それは、当然のことだ。


◆ 「子の世代や孫の世代」だけでなく、その次の世代にまで、影響する

確かに、戦後生まれの世代(首相もふくめて)は、直接的には、「「先の戦争」には、関係していない。
だが、まったく無関係では、ない。

それは、親の兄弟や姉妹が、「先の戦争」で命を奪われた、というだけのことではない。あるいは、「奪った」というだけのことではない。

今なお、「「先の戦争」が原因で、苦しむ人びとが存在する、ということにある。(もちろん、それは日本人だけのことではない)
広島や長崎への、原爆の投下による被害にあった人びとは、今なお、その後遺症に苦しんでいる。

このことは、親の世代だけの問題ではなく、「子の世代や孫の世代」は言うに及ばず、その次の世代にまで、影響することであろう。

沖縄においては、在日米軍基地の存在がある。
離着陸のさいの騒音(特に夜間)、米兵らによる「暴行事件」、航空機の「墜落事故」など、限りがない。

もちろん、それは、沖縄に限ったことではない。

日本の各地の在日米軍基地で、問題が起きている。そして、それは、今後、ますます、大きな問題へと発展する可能性がある。


◆ すべてのことは、「本をただせば」、「先の大戦」に行く着く

このことは、「先の戦争」の「置き土産」である、日米安保条約とも、関係している。
この日米安保条約が、日米間で結ばれている限りは、「戦後は終わらない」し、「さきの戦争」へのかかわりは、なくならない。

さらには、日米地位協定や、日米共同会議などの存在もある。

もし、今の安保法案が「成立した」、という事になれば、さらに、その関係は深まる。安倍首相は「否定」するが、米軍と自衛隊とのつながりは、より深まり、「一体化」が進むことになるであろう。

そうなれば、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたち」には、関係がない、と言って済ますことは出来なくなる。

そして、そのことは、「本をただせば」、「先の大戦」に行く着くことになる。

その意味において、我々日本人は、歴史が続く限りにおいて、「先の大戦」を忘れることは出来ないし、してはならない。


(2015年8月6日)