2015年8月30日日曜日

アイゼンハワー元大統領は「反対した」 WSJ「原爆投下を神に感謝」(Ⅲ)

今回は、アイゼンハワー元大統領を取り上げて、論じたい。
「国家安全保障公文書館」による調査と、元大統領による「回顧録」を中心に、
アイゼンハワー元大統領が、「原爆投下を神に感謝」してはいなかった、という事を明らかにしたい。



1) 米国の大学のシンクタンクが、調査

調査の結果、アイゼンハワー元大統領が、「原爆投下に反対の胸中」を周囲に明かしていたことが、判明した。
≪アイゼンハワー元米大統領が大統領就任前の1945年10月、同年8月の広島と長崎への原爆投下に反対の胸中を周囲に明かしていたことが4日、米ジョージ・ワシントン大のシンクタンク、国家安全保障公文書館の調査で分かった。原爆投下に批判的だったことで知られるアイゼンハワー氏の姿勢があらためて裏付けられた。
 アイゼンハワー氏は当時、ドイツのフランクフルトを拠点に米国が占領していた地域の軍政長官を務めていた。45年10月4日、フランクフルト郊外の自宅でハリマン駐ソ連大使を迎えた夕食の際に思いを語ったという。≫(「産経」)
それだけではない。
元大統領は、1945年7月20日には、「トルーマン大統領」に対しても、直接に、「原爆の使用は、不要」と進言をしていた。

さらに、「ニミッツ提督」も、都市への投下には消極的で、大統領に対し「ロタ島」への投下を、示唆していた。

当時の、米軍の「左右」の指揮官が、こぞって、原爆の投下には、反対を表明していた。このことは、けっして、「看過」することが出来ない事実として、我々は、よく認識しておく必要がある。

さらには、1945年6月11日には、シカゴ大学のJ/フランクと7名の科学者とが連名で、「フランクレポート」を大統領諮問委員会である、暫定委員会に提出した。(「wikipedia」)

その中で、彼らは、「社会倫理的に都市への原子爆弾投下に反対し、砂漠か無人島でその威力を各国にデモンストレーションすることにより戦争終結の目的が果たせる」との提案をおこなったが、暫定委員会の決定が覆ることはなかった。

ここ事実についても、忘れてはならない。


2) 「原爆投下を神に感謝」という「たわごと」は、「神を冒涜する」発言

また、アイゼンハワー元大統領は、スティムソン陸軍長官に対しても、原爆のの投下に反対する考えを伝えていた。

≪大統領退任後に書かれた回顧録「Mandate for Change」の中でアイゼンハワー氏は、1945年の連合軍司令官の時、スティムソン陸軍長官から日本への原爆投下の意向を知らされ、「日本との戦争ではすでに勝敗は決している」、「日本はメンツが保てる形で降伏する機会を模索しているだけだ」などの理由からこれに強く反対し、原爆投下によって国際世論からアメリカが非人道的な国として指弾されることを懸念したとしている。≫(「ヤフー」=ビデオ ドットコム」)
ほかには、「世界から批判を受ける」、「”アメリカ人を救うという論”は、成り立たない」とも、述べている。

「世界から批判を受ける」というのは、「正しい」観方だ。

このような「兵器」を使用することが、―世界から、どういう「観方」をされ―結果として、厳しい「批判」を浴びるであろうことは、「明らかな」ことである。


もし仮に、原爆が「ドイツ」に投下されたいたとしたら、どうであろうか。
やはり、WSJは、『原爆投下を神に感謝』と、書いたであろうか。

そして、「原爆の投下」への「非難」が、現在のような「生ぬるい」ことで、「済まされている」であろうか。

それよりなによりも それを、「神が許された」であろうか。
「神」は、それを「正しい判断」として、実行することを「命令された」であろうか。

私には、とうてい、「そうは思えない」のである。

「原爆投下を神に感謝」などという「たわごと」を言うのは、何よりも「神を冒涜する」発言である、という事になる。


※ 少し間が空きましたが、第3回目を投稿します。予定では、後と、2回か3回で終わりたいと思っています。これ以後は、「投下」までの経緯を中心に、記事にしたいと考えています。

(2015年8月30日)