2016年6月26日日曜日

自分のためだけか?『自己向上は、自他の幸福を追い求めるにある』

『自分だけ丈夫になって、もっとうまいものを食べようとか、もっといい着物を着ようとか、もっと事業が成功したら、うんと別荘でも造って、いろんな遊びをしてみよう、なんて考えを持ったら、とんでもないことことだ。


修養ばかりでなく、何を志すときでも、自己向上を目的とする。そして、その目的とする自己向上は、ただ単に自分の幸福だけのためにするんじゃない。

自他の幸福のためにするんだ、という広い意味を忘れてはいけない。そうしてはじめて、自分の勉強にも努力にも、非常なぞくぞくするようなカが湧いてくるのだ。(中村天風『運命を拓く』)



年をとろうと、いくつであろうと、年齢によって創造意欲というものを上げたり下げたりするようなことがあつてはいけない、と天風は教える。

そういう考え方をする人は、自分の人生の価値を、全然認識していない人である。人の本質は、もともと年齢とは関係がない。

人間が年齢を考え、うんぬんするということは滑稽極まる話であり、余命があといくばくもないから、今更それをしたって仕様がない。そういう考え方を持っていたのでは、なおさら仕様がない、と言う。

人間は時が来れば、一度は死ぬけども、しかし、生きている間は死んでいないのだから、生きていれば歳なんか関係ない。

どんな時代がこようと、どんなに歳をとろうと、我々は自然の法則の中で生きている。花が育っていくように、人も常に伸びよう伸びようとする力を備えている。

現在、病のある人、あるいは運命のよくない人も、けっして、その病や、運命 に、心を奪いさられてはいけない。むしろ、「心を強く持つ」ことで乗り越えていかなければならない。__


さらに天風は、自己向上を正しく念願せよ。そうしないで、仕事なり、運命なりを向上させようとする事は、無理なことであると言う。

ただたんに、自分だけのために努力するというような、狭い料簡を持つな、と説いている。

(2016年6月26日)

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