2016年6月29日水曜日

愛国心から「軍国主義、特攻隊」を連想するのは無理もない

『自分たちの生まれ育った土地、つまりは国を愛するとは人間として極めて自然なことであり、決して非難されるようなことではない。愛国心すなわち帝国主義そして軍国主義、
最後は侵略戦争から特攻隊と人々の思いは連鎖してとどまることを知らない。
確かにその流れは二度とあってはならない。しかし純粋にそして素朴に、自分の生まれ育った国を愛することは、人間の本性そのものであるといっていい。

その気持ちは自分を産み、そして慈しみ育ててくれた両親に対する愛とも共通する。「親孝行」という言葉は死語になりつつ有るが、それは明らかに今の時代を生きる人たちが人間の本性を忘れかけているからであろう。

自分が生まれ育った土地を愛するとは、自分を産み育ててくれた両親を愛するのと全く同じであり、「愛国心」すなわち軍国主義そして特攻隊と想定して拒否反応を示すのは明白な誤りといっていい。(佐藤道夫『「参議院」未だ「良識の府」に非ず』)



佐藤氏のこの見解にていては、それぞれに判断の分かれるところであろう。

自分を産み育ててくれた両親の愛と、愛国心を二者択一的に並べることに、正直なところ、私は疑問を持つ。むしろ、「反感」に近い感情がある。

佐藤氏は「二度とあってはならない」で終わらせるが、そう簡単なことではないだろう。

この私とて、母親は自分の兄弟を太平洋戦争で2人も亡くしている。そのことを知っている。

私のような「思い」を抱く人々は多いことだろう。人々の思いが連鎖してとどまることを知らなくなるのは、当然のことであろう。

しかも、この世界は今もって戦争に明け暮れている国々が存在する。「二度とあってはならない」どころか、現に戦争は起きている。

その現実に目を閉ざすことは、許されない。



今、「東京五輪問題で日本中が「ごったがえして」いる。東京五輪が始まれば、今度は日本中で「ニッポン、ニッポン」の掛け声が鳴り響くことであろう。

その声を、「愛国心」と重ね合わせて語ることについては、私は疑問に思う。

表面的なことは別として、日本以外の選手やチームを「心の中」では応援する人々も、多かろう。

今やスポーツには、国境がない。自分の「ひいき」のスター選手を選ぶのに、国家は関係がなくなってきている。

そういう中で、「ニッポン、ニッポン」連呼する事には、違和感を感じる。そして、佐藤氏とは反対に、「帝国主義、軍国主義、侵略戦争、特攻隊」を、連想してしまう。

(2016年6月29日)

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