2016年6月27日月曜日

どんな習慣であれ「産まれながらの習慣」というものはない

『現在身についている習慣は、これまでの生活で次第に強化され、習得されてきたものである。


自分でも意識しないうちに不幸になったり、腹を立てたり、傷ついたり、イライラしたりするのは、それまでの長い期間を通じてそういう考え方をするようになっていたからである。



自分自身のふるまいをそのまま受け入れ、あえて抵抗しなかったためだ。しかし、不幸になったり、腹を立てたり、傷ついたり、イライライラしたりしないようにもなれるのである。』
(ウエイン・ダイアー『自分のための人生』)



そうするためには、ダイアーは自分の考えが確固たるものとなるようにする努力がいる。そしてそれを、繰り返し試みることが大切である。

たとえば、自分自身で幸福になろう(したいのであれば)と心に決め、自分の中にある不幸を作り出してしまう考え方と対決し、それに打ち勝っていこうという決意がいる。

そう述べる。

人間は習慣の動物である、とはよく言われることである。
もっと極端な言い方をすれば、習慣が人間を造る、と言ってもよいくらいである。

が、良い習慣であれ、悪い習慣であれ、産まれたときからずっと今まで持ち続けてきた習慣というようなものは、誰であれ、ないはず。

大きくなるにつれて徐々に身についてきたものであって、それは結局のところ自分自身のこれまでの選択の結果である。

もっと、別の習慣を身につけることもできたはずである。
勝手に「身についた」のではなく、自分自身で「身につけた」のである。

そうであるなら、自分がよくないと感じている習慣や考え方を、
自分自身で変えることができるはずである。

(2016年6月27日)

0 件のコメント: